4月14日(金)の昼下がり。渋谷宮下公園のブルーシート小屋が立ち並ぶ一画に、私と吹原氏の二人はすっかり溶け込んでいった。約1時間のシラフでの盛り上がりが始まった。
取材地(渋谷宮下公園の柵に腰掛けて=ケツ痛かった)
劇団PMC野郎は2002年設立。旗揚げ公演は東中野エウロスで。2005年10月に池袋小劇場で「おい!麗子さんがご機嫌ナナメだぞ!!」を上演。これが第4回公演という若い劇団だ。この「麗子さん〜」を映画プロデューサーが見て映画化の話を持ち込んだという。なんでも、劇団主宰(作・演出)であり、今回の映画の監督を務める吹原氏とこのプロデューサーは以前から親交があり、しばしば映画談義を交わしていたとか。また、前の公演のとき、吹原氏は自力で映像を作り、DVDにして配布したらしい。そのDVDをこのプロデューサー氏は見ており、吹原氏の映像スキルは認めていたらしい。確かに、ただの映画好きに対して「映画作れ」とは言わない。芝居ファンだからと言って芝居が作れないのと一緒だ。伺ったところでは、吹原氏は学生時代に「自主制作映画サークル」に関わっていたらしい。また、現在もCM制作会社と関係している。「現場」を知っているのだ。もっとも、学生時代の映画サークルに関しては、「あそこでの知識は何の役にも立ちませんでした」とも。これ、かなり正しい判断だ。
しかし、短編ならまだしも、75分ものを作るという。25分のもの3話で構成されているらしい。オムニバスではなくて、続きものだとか。芝居は4話構成だったのだが、あえて3話にしたのだとか。それでも75分は「長編」だ。短編製作とはノウハウが違うわけだ。さらにはスクリーン上映のあと、DVD化して発売する計画だし、ネット配信も予定しているという。スクリーン上映と、DVD(テレビ)と、ネット配信(パソコン)では制作の方法論が全く違う。そこいらへんをこの人はわかっているのでしょうか・・・ねほりはほり聞いてみた。
劇団PMC野郎・・・こんなやつら
結論から言うと、吹原氏はすべて理解していた。驚いた。一話25分だが、25分だって短くはない。ましてやネット配信となると、ちょっとでもつまらなかったり、ダレたりすると、即座にクリックされ、「終了」してしまう。吹原氏は、「ネット配信が一番ハードルが高い」と言っていた。スクリーン上映はお金払ってるし、劇場にしばりつけていれるのだから、ちゃんと最後まで見てもらえる。DVDだと自宅で寝っころがって見るんだけど、セルDVDにしろレンタルにしろ、金払ってるからちゃんと見てもらえる。でも、ネット配信は無料なので、ほんと、つまらないシーンがあると、その後でどんなに盛り上がって、素晴らしいシーンがあっても、見てもらえない。「テンポが重要なんです。」と考えたのだとか。あと、芝居ではキャラで通用しても、映画ではそうも言ってられないので、すべての「穴」「弱点」はふさいだとか。年配の役も、芝居では若い役者にやらせるのが可能だが、映画だとリアリティがなくなるので、ちゃんと年相応の役者を連れてきたのだとか。
公演を行ったのが2005年10月。翌11月にプロデューサー氏から映画化の話があり、シナリオに取り掛かった。12月末までかかって、ようやくシナリオが完成。ある程度のホンが出来上がったら画を撮り始める監督がいるが、吹原氏は決定稿を先に出す監督だとか。芝居と本筋は変えないとしても、やはり芝居の脚本と映画のシナリオは全く違うものであり、前提のネット配信のことも考えると、密度は濃くしていかなければならない。シナリオ作りの作業はかなりハードだったことだろう。
その後、年明けから撮影に入った。約一ヵ月半で撮影は終了した。すごいスピードだ。全部スタジオロケ、とか言うのなら容易だろうが、ロケも行い、キャバクラも借りての撮影だから、大変だったはず。実際、4日間限定で借りたキャバクラでの撮影は、撮り終わらなかったらしい。泣いて頼んで、延長してもらったらしい。
撮影風景
また、ロケに関して吹原氏は、とてもするどい指摘をしていた。「映像で、一番差が出るのがロケなんですよね。だから、極力ロケは減らしました。」と。確かに、何も知らない人が映画を撮ると、どうしてもロケをやりたくなってしまう。屋外での撮影は、いろんな不確定要素に左右され、クオリティが下がることになる。そのわりに苦労ばかりが増えるのだ。屋内で、照明を使っての撮影を増やしたのだとか。正しい選択だろう。
それにしても、あまりにも順調な進行だ。そもそも映画では「プリプロ(Pre-production)」といわれる準備段階がとても重要だ。実際に撮影に入る前の、すべての準備段階の総称がプリプロだが、これが完璧なら「終わったも同然」とまで言われている。そして、これを整えるのが、助監督以下のスタッフなわけで、いかに有能なスタッフを集められるかが大きなカギを握ることとなる。聞いてみると、今回の吹原組は、このスタッフがとても有能だったらしい。というか、吹原氏は、有能なスタッフを揃えることの意味をちゃんと知っていたのだ。やはり、CM制作などの「現場」を知っていることの意義が大きいのだろう。ちゃんと映像畑の「助監督」や「撮影監督」を配していたのだった。そして、完成映像のクオリティを上げる上では、編集や録音の技術者がとても重要になることも知っていたのだった。
映画版スタッフ
監督・脚本 吹原幸太
音楽 花澤孝一(主力会)
編集 雨宮実
撮影監督 小暮法大
助監督 大谷知己
録音 見市大輔
照明 トキワユキ・北原昌樹
記録 河合駿介・大竹志門
プロデューサー 渋谷恒一(マスターピース)
友情出演:須藤元気
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いろんな意味で、コネが重要なんだよなあ。「現場」を知り、どこに重点を置くかを知った上で、コネが役に立つ。直接、有能なスタッフと知り合いでなくても、その気になれば辿って行くことは可能だろう。そこいらへんを妥協しないことはとても重要なのだ。
2月に撮り終わり、3月からは編集が続いている。4月29日に下北沢トリウッド(自主制作映画のメッカ)で主力会主催のイベントで招待上映される。さすが主力会だけに、イベントはチケットがほぼ完売だとか。もう立ち見ぐらいしかチケットがないかもしれないらしい。多くの映画通が見に来る、ということだ・・・。
ふと思った。主力会のイベントで上映するってことは、怖くないのか・・・?
舞台のほうの公演は4回目を数え、6月には第五回公演がある。回数を重ねれば、そこそこわかってきて、自信も出てくるだろう。会場も、東中野のエウロスから始まり、池袋や大塚などへと徐々に「進出」してきた。しかし、最初に作った映画が下北沢トリウッドで主力会イベントでの上映というのは、普通びびるんじゃないのか。失敗したら、芝居にも影響が出るだろうし。
撮影風景
これに対して吹原氏は「どんどんやっていく方針」だと言う。「もう、大学も出ちゃったんですよ。」と。ぼやぼやしてると「就職プレッシャー」が来るんだとか。そして、映画が芝居にいい影響を与えると信じて疑っていないようだ。6月の芝居も映画化する計画だとか。もう、両刀で一気呵成に攻めていく方針なのだ。
話していて、映像に対する知識は十分だと感じた。単なる知識だけではなく、現場を知っていることが大きい。それゆえに、映像のクオリティに対する自信があるのだろう。芝居よりも「知っている」と感じた。これだけ映像の知識のある才能を、演劇界にとどめておくことが、今の小劇場シーンにできるのだろうか、なんてことも感じてしまったのだが・・・。いやいや、私はまだ彼の芝居も映像も見ていないので、そんなことを言うのは早すぎる。まずは29日の映画を見てからだ。とても楽しみになっている。
ちなみに、毎回の取材で尋ねる恒例の質問「いま、どんな事件・ニュースが気になっていますか?」も聞いてみた。「ニュース、見ないこともないんですけど、小沢がどこの代表になろうが、あまり関係ないですね。むしろ、日本ハムの調子が悪いのが気になって気になって。」 そこで思わず私は「楽天に二連敗しちゃダメでしょう。」と言ってしまった。そしたら彼に火がついた! 北海道に行く前からの長年のファンだとか。「私の芝居には必ず正田って人物が出てるんですが、正田のファンなんですよ、日本ハムの。桐生第一高校出身なんです。」 そんな選手、知らないよなあ。広島の正田なら知ってるけど。たぶん、万人には伝わらないコダワリだ。「今回の映画にも出ていますっ!」・・・だから、それは伝わらないと思う。
(友情出演 須藤元気)
世はブロードバンド時代。ネットで映像を見る。GyaOとか、かなりの人気ぶりらしい。でも私はロクな映像がないし、足りないと思っている。また、PCで見るのは間違いだとも思っている。コンテンツも視聴環境も、まだまだ未熟だ。それでも将来的には、ネットは大きな流通チャネルとなるだろう。良質のコンテンツが求められていくことは間違いない。にもかかわらず、圧倒的に足りていないのだ。ところで、日本には毎年数千のドラマが生産されている分野がある・・・。日本に2000〜3000もの劇団があり、一年で5000ぐらいのオリジナルなドラマが制作されているのだ。それなりに、考えこまれ、練り上げられたドラマが作られている。映像化のノウハウを劇団が持てば、すごいことが起きるのではないかと思えてならない。
そこで考えた。なぜみんなは映画でなくて演劇をやるのだろう。いくつか理由はあるだろうが、コストの面も大きいと思う。これまで100万円じゃ、芝居はできても映画は作れなかったから。完成しても、上映する場所は限られていたから。映画館なんて、なかなか自主制作映画を上映してくれない。しかし今、状況は大きく変わった。100万円もかけずに映画が作れるようになった。そして、流通チャネルとしてのネット配信が登場した。10年後、2000〜3000の映像サークルが年間5000本の映像作品をネットに乗せるようになっても、不思議ではない。
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