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一跡二跳特集 (2)

1999.11.20
古城十忍インタビュー

by 一寸小丸

1986年に旗揚げされた一跡二跳(いっせきにちょう)という劇団の、作・演出を担当するのが古城十忍(こじょう・としのぶ)だ。「元・新聞記者」というプロフィールがついて回る。作品は社会的なテーマがベースとなっているが、登場人物の右往左往がテーマである。

インタビューは24日(水)の初日を前にした20日(土)の通し稽古の後、喫茶店に場所を移して行われた。制作の岸本さんと、若い役者さんが同席していた。岸本さんはFSTAGERでもあり、まだ学生で制作のお手伝いをしていたころからの知り合いだ。いつのまにか、制作の中心に位置している。

古城さんは、(社)日本劇団協議会でも活躍している。若い劇団から唯一、運営に関わっている人だ。(1999.11.20. 22:10〜23:00)

(インタビューは週刊FSTAGE編集部員の一寸小丸により行われた)


ダメ出し中

小丸:
新作ですね。
古城:
はい。新作です。
小丸:
今年は3本公演して、うち2本が新作ですね。最近はこんなペースみたいですね。
古城:
基本的には新作、再演、新作、再演っていうペースなんですけど、最近は新作が多いですね。
小丸:
新作ですと、毎回テーマも違うんで、資料を調べるのが大変だと思うんですけど、調べるの好きなんですか。
古城:
いや、好きではないですけど、でもまあ、自分の経験で書けることはもう、出尽くしてますから。(今回の「醜形恐怖。」は26作目だ)
小丸:
ええ。
古城:
今、自分が興味を持っていることを調べて書くしかないというか・・・
小丸:
まあ、いろんなことに興味を持つ、ということが重要なんですよね。
古城:
それで、自分が新聞記者をやっていたものですから、いろんな人に会ってお話しを聞くことに抵抗がないし、また、そこでしか見えてこないものがあるのも事実ですから。
小丸:
へええ。ちゃんと人と会ってるんだあ。資料を集めるだけじゃなくてぇ。
古城:
資料も集めまくりますけど、けっこう会います。今回も精神科の先生に会いましたし、患者さんとのやり取りも見させていただきました。
小丸:
へええ。それはすごいですね。資料を見て書く人はけっこういると思いますけど、わざわざ人と会ってというのは大変ですから、なかなかいないだろうなあ。やっぱ、元新聞記者っていう・・・
古城:
まあ、そうは言っても、昔に比べたたら、人と会うのは減っているかなあ。
小丸:
ええええ。毎回、こんだけ多岐に渡ったテーマですと、大変だよなあ。年に新作2本だしぃ。

小丸:
ところで、その「社会派」ですけど。一跡二跳は私は「社会派」じゃなくて、エンタメ系だろうと、作家は「笑かそうとしている」と、まあ思うんですけど。「社会派」のレッテルってマイナスじゃないかと。でも、さっき松浦さんが「自分たちで言ってしまった」とか。
古城:
いやあ、最初のころ、ちょっと言ってましたけど、最近はあんまり言ってませんよ。っていうか、「演劇にしかできないことをやる」ということで、やってるわけで。
小丸:
そりゃそうですよねえ。
古城:
最初のころ、「社会派」とかまあ言ってましたが、すべからく演劇はエンタテインメントである、というのが原点ですし、その気持ちは常に持ってましたよ。だから、今はもう、そんなに言ってませんし、そう言われている実感はないですよ。
小丸:
そうですかあ。
古城:
それに、社会派と言われることを是とも非とも思ってないわけで
小丸:
しかし、一跡二跳といえば、たいがいは「元新聞記者の古城さん」という
古城:
ああ、それが必ず出てしまいますねえ。それと、毎回、社会ネタを取り上げているもんだから、安易に「社会派」って呼ばれているんでしょうね
小丸:
私に言わせると、そんなんはシチュエーションに過ぎず、どっちかというと松浦さんとかが「笑える」わけで、そこんとこを、もっと回りが特筆すべきかと思うわけです。
古城:
表面的には、その「題材」が目に付くわけで、それで「社会派」になっちゃうわけですねえ。坂手さんの方がはるかに社会派でしょうに。うちはもっとエンタテインメントしてるつもりなんですけど。
小丸:
燐光群と一跡二跳って、全然違いますもんね。燐光群はかなりの社会派だと思いますし、毎回気合い入ってますけど、まあ、一跡二跳はねえ。
古城:
でも、自分たちで「社会派」って公言したってのは、ないんじゃないかなあ
小丸:
芝居ですから、現代を描きますし、現代を描けば、今の社会的なネタが入ってくるのはある意味で当然ですからねえ。
古城:
やっぱ、プロフィールとかに「元新聞記者」とか入っているのがアレなのかなあ。もう出さないようにしようかなあ。
小丸:
そのほうがいいですよ。ジャーナリスティックな視点、とか。

小丸:
松浦さんが復帰して、私はほっとしてますよ。さっきも元気でしたねえ。前回公演は「本調子じゃなかったでしょう」とかさっきつっこんでしまいました。
岸本:
(横から制作の岸本さんが)元気でしたねえ。
古城:
今回のは、地方で既に10ステージぐらいやってて、少しずつ手を入れてはいるんですけど。地方ではいろいろありまして、
小丸:
ですってねえ。10ステージも終わってるって知らなかったんで、通し稽古のレベルにしては、めちゃめちゃ完成度が高いなあ、とか思っちゃいましたよ。
古城:
で、タビやってるときに松浦も調子を崩しかけたこともあったんですが、今日に関してはかなり調子良かったみたいで
小丸:
面白かったですよお。

小丸:
一跡二跳と言えば「装置」ですけど、どうなんでしょう。前回は砂まみれでしたし、その前はトップスの舞台を水びたしでしたし、で、その意味で今回は地味かと
古城:
まあ正直に言ってしまえば、今回の場合、タビに持っていくという前提がありましたんで、これが、サンモールオンリーだということでしたら、もっともっとやれたと思いますよ。
小丸:
なるほどー。んじゃあ、再演の時は、同じネタでも変わっちゃうわけですね。
古城:
タビは乗り打ち乗り打ちですんで、1時間半以内でバラス必要があり
小丸:
でもまあ、今回もそこそこはやってますねえ。あの鏡は
古城:
ハーフミラーです。
小丸:
ハーフミラーって芝居で使えますよねえ。今回、いい使い方してましたねえ。
古城:
あと、サンモールって、劇場の構造上、使い難い点もあるんです。下手の奥が張り出してて、ちょっと大変なんですよ。
小丸:
あそこ、じゃまですよねえ。
古城:
今回の芝居では、下手奥がポイントですけど、なんせ転換ができないんです。あそこ、ほんとは違うことやりたかったんです。××××にするとか。
小丸:
あ、それいいですねえ。
古城:
サンモールだと、できないんです。でもまあ、水戸ではできるかな、と。
小丸:
そうかあ。じゃあ、やっぱ再演とかになって、劇場が変わると、いろいろまた、やってくれるんだろうなあ。
古城:
今回については、演劇的な表現という意味で美術にこだわってきた部分を、役者によって、演劇的に表現できないかということで、まあ、二人一役ということで
小丸:
なるほどお。
古城:
まあ、ここんとこ、ちょっとやりすぎてましたからねえ。「平面になる」で30度の傾斜舞台を作り、「アジアンエイリアン」で水を使い・・・
岸本:
「アジアン」はどこでも再演できませんよ、もう・・・
古城:
「ガッコー設立」では5トンの砂を敷き・・・
小丸:
「ガッコー設立」の後、私ら小屋入りしたんですけど、大変でした、バトンの上が真っ白で
古城:
すみません。カベとか灯体は拭いたんですけど。
岸本:
バトンの上は気がつかなかったなあ。
古城:
バラシは朝までかかったんです。
小丸:
バカですねえ。よくやるよなあ。再演できないだろうなあ。

稽古中

小丸:
今回、プロジェクター使ってませんねえ。毎回、ありますよねえ。
岸本:
そのかわり、コンピュータの映像があります。
小丸:
あああ、あんなのたいしたことないでしょう。
岸本:
いやあ、まだまだ、これからです。内容を変えるんです。
小丸:
やっぱ、やるんだあ。

小丸:
古城さんの作品は、ディスコミュニケーションを扱ったものが多い、というか、毎回必ずディコミュニケーションなやつが登場します。で、ディスコミュニケーションが提示されるんですけど、いっつもそのまま終わってしまいます。ディスコミュニケーションなままです。ディスコミュニケーションおやじとかが登場し、まんまで終わってしまいます。現代ってのは、世代間のディスコミュニケーションというよりは、カテゴリー間のディスコミュニケーションとも言える時代だと思うんですけど、古城さんは、この状況をどう考えてますか
古城:
たぶん、もっとそのカテゴリーってのは狭くなると思います。小さなカテゴリーでしかコミュニケーションがとれなくなる、と。で、今回の作品では、まさに「自分と自分のディスコミュニケーション」をやりたかったわけです。いままではカテゴリーとカテゴリーとか、家族と社会だったりとかのディスコミュニケーションを描いてきましたが、今回は自分が自分に対してディスコミュニケーションしているという。また、回りの人たちもディスコミュニケーションな人たちなわけです。その中であがいていると。「醜形」なものですから、顔を変えることで「あがいている」というのを示したわけです。
小丸:
思うんですけど、一跡二跳は「問題の提示の仕方」はうまいと思います。「ガッコー」もその「終わっている」という提示は見事でした。で、伺いたいは、そのディスコミュニケーションの未来っつうか、我々はどこに向かうのか、みたいなアレなんですけど、古城さんはどうお考えですか。
古城:
それはですね、作品によって違うわけです。未来の見せ方を変えているわけです。「アジアンエイリアン」の時は自分の中では方向性を見せたつもりです。奥村がやっていた役のお兄さんがラストで自らエイリアンというゲートの中に入っていくということです。受けいれるしかないということです。それでしかディスコミュニケーションを回復する道はないという。「ガッコー」の場合は違ってて、もうこのディスコミュニケーションはどうしようもない、と思いまして、ものすごく暗い終わり方にしたんですけど、ほんとはもっと突き放しても良かったと思うぐらいでした。もう、ガッコーは博物館になるしかないよ、という風にやっちゃいました。
小丸:
あれはねえ、素晴らしかったと思います。そのことを、ちゃんとやったとこってないんじゃないんですか。「ガッコーは終わってる」って示したのすごかったですね。痛みが来ましたもの。
古城:
で、今回は「自分」です。安易かなあとも思いますけど、救いというか、回復の兆しが見える、というようなとこで終わりたいなあ、と思ってました。そのつもりで始めたんですが、やってくうちに今のような形になっちゃいました。
小丸:
私の場合、その「自分」という二人を見るよりも、松浦さんとか奥村さんを見てしまうので、そっちの方の「先」は提示されていないことが気になるんでしょうねえ。私の場合、やっぱ芝居を観ずに役者を観るもんですから・・・。今回だと奥村さんの問題です。
古城:
ええ。結局、そっちの側のディスコミュニケーションは何も改善されずに終わってます。
小丸:
そっちばっか観てるんです。あのオヤジは、あのままかよー、って。でもまあ、コミュニケーションしようよ、って思い続けるしかないのだろうなあ。そうか、作品ごとかあ。
古城:
それぞれの作品で、このテーマでこの方向、という風に分けてるってことです。このタイプのディスコミュニケーションであれば、そんなには回復できないでしょう、このディスコミュニケーションなら、こんな道があるんではないか、という風に作品ごとには提示しているつもりです。
小丸:
ええ。

古城:
で、ディスコミュニケーション自体、今後ますますひどくなっていくと思います。カテゴリーはますます細分化されるでしょう。
小丸:
カテゴリー内だってコミュニケーション取れていると言えるのか、つまり若い女の子同士のコミュニケーションですけど。
古城:
あれは、例えばガン黒系の女の子たちっては、ディスコミュニケーションが前提となって、コミュニケーションが取れないもんだから、同じ格好をしているということでしょう。ほんと、2〜3人の仲間同士しかコミュニケーションがとれなくて、同じガン黒同士でも、普通のコミュニケーションは取れないと思いますよ。そこまで若い世代ってのは行ってると思いますよ。

小丸:
話しは変わって、最近ですが、どうでしょう。
古城:
今はライフスペースが面白いです。
小丸:
めちゃめちゃ面白いですねえ。
古城:
もう、高橋弘二のひとことひとことに関心がありますねえ。「私には血液がありません」と言いきるキャラクターを書いてみたいですよ。
小丸:
芝居だと、ただ「うそくせー」で終わりませんか
古城:
「私は髪を洗わない、なぜなら臭くならないから」、これを言いきってしまうのはスゴイですよね。
小丸:
すんごいですねえ。
古城:
で、私がライフスペースの人たちに聞いてみたいのが、「あなたたちはオウム真理教のことをどういうふうに見てたんですか」ということです。で、たぶん、「(自分たちとは)違う」って応えると思うんですけど、どういう観点で違うのかを聞いてみたい。取材したいって思ってるんです。
小丸:
高橋なんとかは、「麻原は能無しだ」とか言ってたそうですね。
古城:
高橋よりも、回りにいる人たちに聞いてみたいんです。オウム真理教をどう見ていたのか、地下鉄サリン事件をとう見てたのか
小丸:
オウムのことはどうですか。オウム排斥運動って、あれはイジメじゃないんですか。私は、あの排斥運動を見せられると、学校のイジメはなくならないなあ、って思うんですけど。まあ、どうしたってなくならないんですけど。ただ、醜悪だなと。
古城:
オウムの問題は、オウム真理教が集団として、幹部クラスの誰でもいいから、表面的でもいいから謝罪を表明しないと、あの排斥は「義」とみなされると思います。だからたてまえでもいいから、誰か一人が謝れば、あれは「義」ではなくなるわけです。今の状況では、「義」とせざるを得ない。なんせ人の命が奪われてますから、マスコミはそれを支持せざるを得ないわけです。支持しないと不利になります。
小丸:
でもなあ、オウムは「やってない」とか思っているんだからなあ。だめだろうなあ。

岸本さんのデスク

小丸:
「夏の夜の漠」を1992年の3月に公演して、その同じ年の11月に同じ劇場で再演しましたよね。あれはどうしたってわけですか。
古城:
あれはねえええ、どうだったんだっけ?
小丸:
なんでですか? 春にやって、それを秋に再演するっていうのは珍しいでしょ。私は両方見ちゃったんですけど。
古城:
ずいぶん昔だなあ。なんでだっけ?
岸本:
古城さんがやろうって言ったんでしょ。
古城:
なんでだっけなあ。あれは特に深い意図はなかったような・・・。
小丸:
えっ、そうなの。
古城:
確かね、評判が良かったんですよ。春にやって、いい評価が返ってきて、それで自分たちも、もう少し長い期間やりたかったね、みたいのがあって。
小丸:
私はねえ、春のやつがすごく不満だったんです。怒ったりしてました。で、秋に見たとき、すごく良くなってたように思って、感動してしまったんです。だもんだから、きっと自分たちも不満があったんじゃないかと。
古城:
それはそうですよ。もっと練り直さなきゃというとこはあったんです。ただ、確か初演の時に、大笹さんがすごく褒めてくれたんです。もちろん、大笹さんが褒めたからというわけじゃなくて、いろいろいい評価があったもんだから、と言っても劇団に届く声ですから少数ではあるんですけど、まあ、それに対して自分たちも完成度を高めたいという思いもあって、で、他に強力にやりたい作品もなかったもんだから。
小丸:
まあ、私的には秋に見て、とっても良かったからいいんですけど。(たぶん、秋の方が役者が良くなってたってことだよなあ)

小丸:
「夏の夜の漠」は漫画が原作ですが、他にも漫画が原作のってあるんですか。
古城:
いえ。一跡二跳の作品の中で唯一、あれだけが原作ものです。あとはゼロからのスタートです。
小丸:
青山円形の「眠れる森の死体」を見たとき、とっても岡崎京子の「リバーズエッジ」の世界に近いなあって思ったんですけど。
古城:
ええ、そうです。参考文献の中に「リバーズエッジ」が入ってました。実は、最初は「リバーズエッジ」そのものを芝居にしたいと岡崎さんにお願いしたんですけど、断られました。
小丸:
あああ。じんの(ひろあき)さんも断られたって言ってました。
古城:
10代のことをやりたいと思っていたときに、「リバーズエッジ」がとても面白かったんです。でも、「リバーズエッジ」をやりたいというわけじゃなかったんですけど、でも、あの世界にかなり影響されていたのは事実ですね。
小丸:
岡崎京子はねえ、だめなんですよねえ。
古城:
事故る前ですか。
小丸:
そうです。
古城:
僕は、女性の漫画家の中ですごく注目していた作家でしたので、事故った時はどうなっちゃうのかと。
小丸:
そうですよねえ。インターネットの世界でも大騒ぎでした。

小丸:
今日の通しでは、照明がなかったんですけど、本番はやっぱがんがんですか。
古城:
がんがんです。二人のシーンとか、凝りますよ。
岸本:
音もがんがんです。毎回、苦情が来るんです。音が大きすぎるって。
小丸:
音はねえ、大きくていいんですよ。私はつか世代だもんだから、音はでかいもんだって思ってますから。最近の劇団は、稽古場で音を絞ってるせいか、本番も小さな音だったりしてハラ立つんですけど。
岸本:
いや、稽古場では音は出さないほうがいいでしょう。
小丸:
一跡二跳は稽古場を持ってるんですよね。
古城:
ええまあ。でも狭いですから、やっぱアクティングエリアを確認するためには今日みたいなスタジオを借りないとならないわけです。トップスならギリギリでいいんですけど、サンモールはけっこう広いんで。

小丸:
来年はどうですか。
岸本:
来年は3月にトップス
古城:
それで7月にサザンシアター
小丸:
サザン!
古城:
で、12月にトップス
小丸:
サザンは何をやるんですか。
古城:
新作です。
岸本:
で、次の3月に紀伊国屋かと・・・
小丸:
サザンかあああ。もうちょっと動員が伸びないとねえ、大変ですよ。
古城:
大変ですよ。
小丸:
だってサザンでしょう。サザンのキャパは
古城:
400です。今年の1月に「少女と老人のポルカ」を紀伊国屋でやったんですけど。
小丸:
紀伊国屋だと短期の公演とかありますけど、サザンは1週間ぐらいじゃないんですか。
古城:
1週間です。
小丸:
ですよねえ。動員が伸びることを祈ってます。装置をがんがん仕込んで動かすとこってもう少ないんですから、楽に公演ができるといいんですけどねえ。ほんと、少ないんです。飾りこむ劇団はありますけど、動かないんだもの。動かないのは舞台美術じゃなくて、ただの美術ですよ。
岸本:
んじゃあ、「平面になる」をもう一回やって、床を動かそうか。
小丸:
傾斜舞台を動かすんですか。どうやってやるんですか。
古城:
じゃ、油圧式の巨大なやつを、買って
岸本:
げっ!
小丸:
それいいな。買って買って。そんで貸して。買ったら貸して。動員が伸びて、買えるようになることを祈っています。ありがとうございました。


■松浦光悦インタビュー
■第40回公演「醜形恐怖。」
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