20分で芝居を作れ!
〜杉山至の空間構築講座〜
文責:編集部 じんぼまさのり
■「チーム見下げ」の創作実態
〜男5人で何ができる?〜
まず最初に考えたのは、「チーム見下げ」としては、「見下ろすのはどっちか?」である。観客に見下ろさせるのか、我々が観客を見下ろすのか。客席の位置が問題となる。あと、5人芝居であるが、「家族」というテーマを考えたとき、「男しかいない」という点に注意しないとならない。母親はどうしたのか・・・。んなことを最初にメモしていた。
で、いよいよ創作開始!といわれたとき、とにかく20分しかないのだから、さくさくと決めていかねばならないので、すぐにその問題をぶつけた。20分と言っても、芝居の構成を作るのには、半分の10分しかないわけで(後半は実際の舞台を使った稽古や制作だ)。
◆
5人になったときに、「さあて、さくさく決めていきましょう。」と私は言った。そしてまず、「客席の位置はどうしましょうか。つまり見下げるのはどっちか、ということですけど。」と。誰かが「そりゃあ、客でしょう。お客に見下げさせるべきでしょう。」と答えた。ここで重要なのは、「見下ろす」でなくて、「見下げる」ということだ。意味が違う。我々は「王様チーム」と呼ばれたときから、その態度に「悪意」が伴っているのだった。お客に「見下げ」を味わってもらうということなんだろうが・・・この時点ではそれがどういう意味かはわかっていなかったけど。
なお、場所をどこにするかだが、劇場入口の階段を使うという案もあった。しかし、「あそこは別のグループが使いそうだよ。」と誰かが言った。ので、我々は劇場とギャラリーを使うことにした。私としては、やっぱり場所は劇場で、そこを「どう使うか」にこそ意味があると思ってしまう。もちろん、変わった場所を選ぶのも楽しいんだけどね。
次に男5人という点を投げかけてみた。「家族なのに、このチームには女がいないんだけど、母さんはどこへ行ったのでしょうか?」と。誰かが「やっぱ出て行っちゃったんじゃないの。崩壊家族だし。」と。別の誰かが「でも、いないけど、いると思って会話しているとか。」と言う。見えない母さんと会話しているのだと。すると別の誰かが「じゃあ、小道具置き場にあった発泡スチロールの巨大リンゴ(1.2mぐらいある)を母さんにしよう。」と。その瞬間、私は叫んだ。「リンゴ確保!」。小道具は早いもの勝ちで取った組が使えるのだ。次の瞬間、3人ぐらいが走り出していた。いいぞ、このグループ! と思ったよ。
さて、リンゴを確保し、母さんとしたので、あとは、この家族がどういう状態にあるか、だ。本当の母さんは家出したので、父親と子供たちが残されているのだ。で、誰かが、「父親は誰がやりましょうか?」と聞く。が、「そりゃあもう、決まっているでしょう。」と、今回のワークショップにおける唯一のおやぢである私が指名された。「うん。いいよ。母さ〜ん、帰ってきておくでぇ〜。やるよやるよ。」
で、決まったストーリーは、子供たちがリンゴ母さんと一緒に平和に会話しているところに父が帰ってきて、大暴れする、と。呆れた子供たちが、父親をバッシングして終わる、と。・・・あれ? 「崩壊と再生」なのだが、逆じゃないのか?
いやいや、最初の平和は見せかけで、崩壊は十分表現できそうだ。問題は「家族の再生」にあるわけだが、それはどうしたもんか・・・。
この時点で10分が経っていた。
で、劇場に移動し、実際に下からギャラリーを見上げてみた。杉山さんが、そろそろ実際に空間をどう使うかを決めて、と言っていた。で、どうやら他のグループもギャラリーに客を置いて、下の舞台で芝居をするという情報が入ってきた。同じか・・・。
で、思ったのは、上のギャラリーに客を座らせても、「見下ろす」ことにはなっても、「見下げる」ことにはならない、ということだ。それは「グループ見下げ」としてはどうなんだろう、と感じた。で、「じゃあ、父親は上のギャラリーに登場するわけだけど、お客の中にいて、上から私が見下げた芝居をするよ。」と提案した。「なんだお前ら」とバカにするのだ。私は、人を幸福にする芝居は苦手だが、嫌な気持ちにするのは得意なのだ。
ということで、お客と一緒に見下げることが決まった。と、誰かが、「じゃあ、父親は、僕たちを見て、子供だと気づかないことにしましょう。」と言い出した。そこで私は「でも、そうすると、私が『お前ら誰だ』と言ったら、親子であることを観客にどうやって理解させるのか?」と尋ねた。それは、みんなが「あ、父さん」と言うことで解決した。
で、提案した。「じゃ、お客をね、私と一緒に芝居に参加して見下げさせるために、客を一ヶ所に集めて、照明を当てちゃおうよ。」と。そうすれば、上から見下ろす私とお客が一体になり、下のみんなが見上げるのと対峙できるのだ。それに決まった。
そこで、時間もないので、私が一人で照明を仕込むので、四人は家族の団らんの舞台となるテーブルとイスの装置を作って、と言った。以下、分担作業に入った。ただ、この時点で、エンディングがまだあいまいだった。作業しながら、四人は話し合っていた。私も、「どうやって終わるか、だよね。」と言い置いて、明かりの仕込みに入った。
しかしまあ、照明の仕込みまでやることになるとは思ってもいなかったわけです。王子小劇場のタッパは高いんで、脚立は12尺ぐらいある。が、やはり芝居を作るとなると、明かり屋魂に火がつくわけです。・・・なんてね。
で、気づいた。しまった。私は王子小劇場を使ったことがないので、ここの照明システムがどうなっているのか、知らないじゃないか・・・。で、調光室に行き、パッチ盤を探したのだが・・・ない。当然、強電パッチだと思っていたのだが、なんと弱電だったのだあ。それに、回路図がない。いまさら小屋の人に回路図を貰うのもなんだしなあ・・・(あと5分しかないのだった)。
まあ、弱電と言っても、結局はフェーダーに回路をテンキーで入力すればいいんだろうと、初めて見る操作版だったけど、てきとーに入力した。回路も、実際に照明をぶち込んだ回路の番号を見て暗記してきて。したら、ちゃんと点いたよ。
で、舞台に戻ったら、誰かが、「最後ですけど、父親が上から降りてきますよね。そんで僕らとケンカになって、リンゴ母さんを奪い取ってください。テーブルの上に上がって、リンゴを抱えて大喜びしてください。そしたら、僕らは逃げて、上に上がりますから。」と言った。これで、当初考えた、上下逆転、観客の目を移動させる、というテーマはクリアできる。
しかし、それで再生になるのか・・・。したら誰かが「最初、僕ら四人も仲が悪くて、父親とも戦っているわけですけど、最後には、少なくとも四人は仲良く、父親一人と戦うわけで、四人の再生は完了するわけです。」と言った。で、私が、「じゃあ、4人は、バラバラに上から私に文句を言うんじゃなくて、客席の中に一緒に入って、またお客と一緒になるといいんじゃないのか」と提案した。あと、「普通と逆だけど、芝居の始まりキッカケは『客電点いて開演』ね。」と。
ということで、本番に。第一組が実演しているときは、私は段取りの反芻で、見ている場合じゃなかった。なんせ、稽古してるヒマなかったから、すべてがぶっつけ本番だ。で、いよいよ我々の発表の番となった。
劇場入口の階段で第一組が終わったとき、四人は舞台へと向かった。私はお客さんに対し、「それではお客さま、客席へご案内いたします。みなさま、こちらでございます。」と案内した。ギャラリーの一ヶ所に固まって座らせた。その時点では客電は入っていない。で、気づいたのだが・・・、客が多い。そうなのだ。我々は5人だけなので、残りの20人ぐらいがみんな客なのだ。客席がギュー詰めだ。真ん中あたりに私の席を確保して、そこを離れて、調光室に向かった私だった。で、下の準備を確認して、「そんじゃ、はじめまーす。」と言って・・・。
◆
ゆっくりフェーダーを上げた。客席が煌々と明るくなった。舞台で四人がリンゴ母さんを囲んで、バカな会話を始めた。私はゆっくり客席を移動し、真ん中にお客さんと一緒に座って、その芝居を見ていた。
舞台には1キロの照明が一灯だけ、客席側からシーリングで当たっている。それに対し、約2間半ぐらいの間口の客席には4灯のDFがフルで当たっている。まぶしい。フルで当てたのは失敗だったか。んでも、シューティングしてないので、しょうがないよ。全部、ぶっつけ本番だ。まあ、まぶしいので、観客は上を見ず、みんな下の舞台を見るしかないわけだ。
しばらく下の四人芝居を野放しにしておいた。けっこう、お客さんは受けてる。笑ってる。そこで私が、「(怒って)おい・・・おい・・・お前ら・・・(四人が気づいた)お前ら何やってんだよ。」「(四人)父さん!」・・・おおおっ、四人、ぴったり合ってる。素晴らしい。ぶっつけ本番なのに。
「お前ら、母さんに何やってんだよ。おい、お前ら。お前ら何やってんだよ。お前ら誰なんだよ。お前ら、オレの美智子に何したんだよ。」(「美智子」って誰だよ・・・とっさですわぁ。)
あとはてきとーでした。四人の息子たちも、なんかてきとーに言ってました。私は、「ちょっと待ってろ」とか言って、ギャラリーから脚立を通って降りていきました。ほんで、四人と口論したあげく、リンゴ母さんを奪いとり、一人で机の上に仁王立ちしました。
その机は平台を組み合わせて四人が作ったものでした。が、テーブルクロスとして布が敷いてありました。ので、そこに上がる瞬間、私は、「あああ、靴で布に上がっちゃうよお。布が汚れちゃうよお。舞監に言ってないよお。」とか思ってしまい、引いてしまいました。舞監なんていないわけですけど。上に土足で上がることを、四人の誰かは小屋の人に言っておいたのでしょうか・・・汚してすみません。って、もう遅い(^_^;)
一人でリンゴ母さんを抱えて喜んでいる私を置いて、四人は別の脚立から上へ上がりました。で、客席に向かおうとしたらしいのですが、そこはギュー詰めでした。ので、バラバラのまま、上から私に向かって、紙つぶてなどを投げてよこしました。しばらくして、その紙つぶてもなくなり・・・どうやって終わってらいいものやら・・・。
四人はバラバラのまま、離れ離れで文句を言ってるだけでした。どう考えても、平和に連帯した感じはしません。「家族の再生」には・・・。すごく間抜けな時間が流れ、しょうがないので、私がリンゴ母さんを持って、捨て台詞を残して退場して・・・幕。
無理矢理終わったよ。
◆
で、終演後、杉山さんチェックの時間です。このワークショップの最大の特徴は、「プレゼンを求められること」にあります。「好きな場所」のスケッチをしたら、それをみんなにプレゼンして回りました。グループに分かれたら、自分たちのグループの特長をプレゼンさせられました。そして最後に、芝居を作ったら、それがどういうものだったのか、「説明」を求められました。各グループは、杉山さんの「じゃあ、説明してもらおうか?」との問いに対し、「見たままです」という逃げ口上では逃れられずに、「こういうつもりでした」と言わされます。それに対し、どう見えたのかを杉山さんが語ります。そうなんですよね。作り手の「つもり」とか「思い込み」では完結しないわけです。お客の視点での「見え方」が重要となるのです。「空間認識」は、ある意図のもとに「作る」ことではなく、「どう見えたのか」が重要となるのですね。
まあ、自分たちでやってても、その「見え方」はわかりますから、結局は「ダメ出し」として直しが入るだけなんですけど。なんせぶっつけ本番ですから、やってみたら「こうなってた」というのはわかるわけです。我々の場合、「エンディングでやれなかったこと」が最大のNGなわけです。まあ、四人が強引に客席に行けば・・・メーワクだったろうなあ。
ちなみに、エンディングには、ギャラリーのバラバラの位置に四人が立っていたわけだけど、そこには照明が当たっていないので・・・。特に、お客さんはまぶしい照明ごしに見ることになるので、全然見えなかっただろう。役者たるもの、暗い場所で芝居してないで、一箇所だけ明るくなってる場所があればそこに向かう「蛾の走光性」を持ってないといかんよ。なんつって・・・。
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