2008年12月第4週
今年最後の乾坤になってしまった。『豚とオートバイ』が終わってから、その片付けや年末27日までの授業と共に、来期の授業の準備や来年2月の舞台(詳しくは年明けの次回)の稽古も始まり、怒涛のような忙しさでここまで来てしまった。とりあえず、『豚とオートバイ』のことをまとめておこう。
この公演、d'Theater旗揚げ公演『豚とオートバイ』は、5月に企画を立て、7月に最初のオーデションをして稽古を始めてから半年、長かったような、あっという間だったような(笑)。タイニイアリスでの公演も久しぶりのような気がしたが、月光舎の前回の東京での公演はタイニイアリスでやった『啼く月に思ふ』の初演だったので(2001年)、結果として、7年間ぶりに東京に、タイニイアリスに戻ってきたという感じだ。落とし前、というか、区切りをつけた、というか。もちろん、その7年間に、福岡に住んだり、韓国に行ったり、いろいろと蓄積されたものが、今回の公演に集約されているし、この7年間があったからこそ、この公演が出来たわけだ。そしてそれは、新たな始まりも意味している。螳螂でも月光舎でもない新しい何か。そりゃそうだ、d'Theaterという新しい集団、いや、あえて劇団といいたいのだが、その旗揚げ公演なのだから。それをタイニイアリスから始めたのは、最初から意図してやったわけではなく、韓国の作品だからアリスフェスティバルにふさわしいだろうということでお願いして参加させてもらったのだが、結果としてそうなったということだ。タイニイアリスには、何か運命的なものを感じる。
確かにタイニイアリスは小さな劇場で、大きな劇場のフカフカした椅子に慣れている観客には、狭い座席や桟敷席はきつかったかもしれないが、ここから名作といわれる舞台もたくさん生まれたということ、そして、これから羽ばたいていくであろうd'Theaterの出発点として、後々語り継がれるだろうということを、ちょっとでも理解してもらえるといいのだが。公演終了後、劇場でゆっくり飲みながら話も出来るし。そんなこと関係なく楽に観られる方がいいという輩とは、話が出来ないが。まぁ、個人的なことはともかく、旗揚げ公演をタイニイアリスで行うことが出来て、多くの演劇関係者に観に来てもらえたということは、d'Theaterにとって素晴らしい財産になるだろう。タイニイアリスでやることが出来たからこそだ。タイニイアリスの西村さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。
さて、作品のことより、公演に対する思いばかり書いているが、実際、作品に関して演出家がいいたいことは、舞台にすべて出ている、いや、出ていなくてはいけないと思うので(説明したくなるような舞台はダメだ)、あまり語りたくないのだが、いくつかの感想に対しての所感だけ述べておこう。
まず、生まれた自分の奇形児の子供を殺してしまうという、さらには、妻が不倫をして自殺してしまうという、この重い内容の作品に対して、人それぞれ、好き嫌いやいろいろな思いはあるだろうから、そこから出発する話、つまり、物語性云々に対しては、演出家としては何もいえない。いや、作品論を戦わすことは出来る。なぜなら、私はこの作品に込められた作者の意図を私なりに理解し、好きでこの作品をやろうと思ったのだから。しかし、それは、舞台そのものとはちょっと離れた議論になるだろうから、ここでは避けたい。
では、この重い内容の作品を、なぜ、若い役者たちばかりのd'Theaterの旗揚げ公演に選んだのか。その点に関して、無理があったという意見もあったし、よくぞこういう作品を選んだという意見もあった。私の思いは、旗揚げ公演だからこそ、安易に、軽くて楽しくておもしろいだけの作品ではなく、しっかり深く考えて作っていかなくては成立しないような作品を選んだのだ。それは、ドワンゴクリエイティブスクールという学校の声優志望の学生たちを中心とした舞台であっても、しっかりと鑑賞に耐えうる舞台にしたいという強い思いがあったからだ。確かに、最初のうちは、学生たちが演じている舞台だから、という眼で見られるだろう。しかし、それに甘んじていてはいつまでも成長しないだろうし、観客との関係もなあなあのままでいるに違いない。そういう見られ方を変えるには、実績を作っていくしかない。最初が肝心というわけだ。まぁ、それが的確に、すべて満足いく形で表現出来ていたかというと、必ずしもそうではなかったのだが。それは、いろいろな意味で私の力不足だと反省している。しかし、いわゆる、専門学校や養成所等の発表会レベルのものにはなっていなかった、お金を取って見せられるものにはなっていた、ということは自信を持っていいたい。もちろん、それだけではしょうがないし、それで満足しているわけではないのだが。
今回、久しぶりということもあるだろうが、古くから付き合いがある、厳しい目を持った演劇関係者たちも多数観に来てくれた。ありがたいことだ。そして、彼らのほとんどが、よかったよ、といってくれ、演劇的にもきちんと評価してくれた。専門学校や養成所の発表会のような公演にはひどいものも多いので、こういう風にしっかりやるべきだ、といってくれた人も何人かいた。過去には私もそういう公演をしていたかもしれないが、考え方が変わった。役者であれ声優であれ、プロを目指している連中に、お金も取れないような発表会レベルの公演をさせてはいけないのだ。学内での発表は別として。もちろん、まだまだ役者たちに拙い部分があることも指摘された。それは、これからの課題だ。ただ、おもしろかったのは、やはり演劇の初心者には、つまり、演劇とはこういうものだろうという固定観念を持っている人たちには、理解され難い部分もあったようだ。例えば、医者たちが台詞をいう時に、なぜ手を舞踏のように動かすのか、とか、飲み屋でのダンスのシーンは不必要だったのではないか、とか。実際、苦笑してしまうような感想もあったのだが、それは演劇初心者、というか、頭の固い人には、しょうがないことなのかもしれない。だから、前回の乾坤で「ある意味、観客を選ぶ作品かも」と書いたのだが(笑)。
しかし、初めて演劇を観たという人の中にも、「よくわからなかったけど、すごかった!」という人も何人かいた。確かに、「よくわからない」のは、本人の理解度だけでなく、こちらの伝え方の問題もあるだろうが、大事なのは、「すごかった!」と感じさせることであり、感じることだ。それこそが、演劇のおもしろさだと思っている。決して、頭で理解することだけがすべてではないのだ。もちろん、何を「すごい!」と感じるかは人それぞれ違うが、それまでの自分の既成概念を打ち破るものに出会った時に、人は「すごい!」と感じるものだろう。そして何より、目の前で生で演じられる演劇は、テレビや映画では味わうことの出来ない世界であり、まさに体感するものだから、頭で理解しようとするより、身体で感じてもらいたいのだ。もちろん、今回理解出来なかったという人たちに対しても、これから理解していってもらいたいと思っている。わからないという観客を、ただ突き放してしまうのは、逃げだと思うからだ。そのためにも、実績が必要なのだ。何回かd'Theaterを観に来てくれた人が、後になって、「そうか、あれはこういうことだったのか」とわかってくれれば、それでいいのだ。もっとも、それまで観続けてくれて、素直な気持ちで対応してくれればの話だが(笑)。
今回、あまり前宣伝はしていなかった(物理的に出来なかった)のだが、多くの観客が来てくれた。5ステージで511人。1ステージ100平均を越えたのだから、月光舎より入った(笑)。もちろん、出演者が多いということもあったが、稽古が進むにつれて、彼らの目つきが変わり、チケットも売ってくれるようになったのだ。この舞台を、より多くの人に観てもらいたいという気持ちの現れだろう。それは、ひとつの公演において大事なことだ。出演者がチケットを売りたいと思わないような公演ほど、悲惨なものはないからだ。単に制作的な面だけじゃなく、作品そのものも。まぁ、今回は旗揚げ公演だから、観に来てくれた人たちも、多少、御祝儀的な気持ちもあったかもしれない。大事なのは次の公演であり、これからだ。次回公演は来年の7月か8月に予定している。次はオリジナル作品だ。もう構想はある。柔い作品を書く気はない。また大変だろうな、役者たちは(笑)。
『豚とオートバイ』に出演した役者たち、つまり、学生たちは、学校の授業で教えてきたとはいえ、舞台を一緒にやるのはほとんどが初めてという関係だったが(5人は去年からの学生で、今年の1月に舞台発表会をやった)、美術を担当してくれた吉田光彦さんとは、久しぶりのコラボレーションだった。吉田さんとは、螳螂時代、チラシのデザインだけでなく、舞台美術も何本かお願いした。螳螂の代表作ともいえる舞台のほとんどが吉田さんの美術だった。『銀幕迷宮』(初演・再演)、『聖ミカエラ学園漂流記』(再演)、『飛行少年・夢の乙丸』、『少年極光都市』、『ヴォイツェク』、『疫病流行記』、『レプリカ』。月光舎の時は、『アリス三部作』のチラシのイラストをお願いしただけだったので、実に21年ぶりのコラボだったわけだ。過去はモノトーン、現実の場面はカラーでという単純な希望を、さらに奥深いものにしてくれた美術は、21年という時間の隔たりをまったく感じさせず、「名コンビ復活!」と勝手に思ったりしているのだが(笑)。
また、照明を沖野隆一さんにお願いしたのは初めてだったが、さすがに昔から知ってくれていただけあって、無駄を省き、抑えるところは抑え、派手なところは派手に、という小松杏里の世界を、シンプルに美しく表現してくれていたように思う。ただ、今回は、タイニイアリスという小さな空間で、回想の独白シーンが多かったため、サス芝居が多くなってしまい、沖野さんの本領を発揮してもらえなかったかもしれないので、ぜひまた今度、一緒にやらせてもらいたい。
チラシは今回、福岡の代アニ時代からの知り合い、というより同僚で、今はスクールの事務局長をしている近藤和俊さんにお願いした。彼は元々、CG科の先生だったのでデザインはお手のもので、イラストも得意なのだ。この、豚がオートバイに乗せられているイラストが、色もきれいで、ジブリの映画のようだともいわれ、かわいいと評判だった。小松杏里の妖しい世界が(笑)、こういうかわいいイラストやシンプルなデザインとコラボするというのも、新しい出会いで新鮮だった。こうやってd'Theaterの色が出来ていくのだろう。次も近藤さんのデザインだ。
翻訳の熊谷さんについては、ここでもよく書いているし、9月にソウルにも一緒に行っているので詳しくは省くが、今回の公演では、いろいろ尽力してくれた。まぁ、こんなに稽古場に来る作者というか、翻訳者はあまりいないのではないだろうか(笑)。とにかく、よく飲みに行った(笑)。そして、いろいろ話した。9月から12月までに、普通の会話の3年分ぐらい話したのではないだろうか。いや、彼にとってはそれが普通なのかもしれないが(笑)。
その彼の関係で、ソウルで約束した通り、朴根亨[パク・クニョン]がトークショーのために来てくれた。公演前のトークショーでは、『豚とオートバイ』の作者の李満喜[イ・マニ]さんのことや韓国の演劇界の現状についていろいろ話してくれ、公演を観てもらった後は、一緒に飲んで『豚とオートバイ』の話をした。小松さんらしい独創性のある作品になっていた、と彼はいった。そして、若い役者たちが頑張っていてよかった、と。考えてみたら、私の演出した作品を観てもらうのは初めてだった。私は彼の演出作品を、『青春礼讃』、『カリギュラ1237号』、『三銃士』、『サンデーソウル』、『青森の雨』と5本観ているが。まぁ、ちょうど彼と知り合った(2002年)後に、私は舞台から離れたのだから仕方がない。これからは観てもらう機会も増えるだろう。いや、増やしたい。その日は千秋楽だったので、バラシの後、若い役者たちを前にして、いろいろ話もしてくれた。韓国のトップ演劇人が身近で直接話をしてくれるなんて、ありがたいことだ。若い連中に、そのありがたさがわかるかな(笑)。パク・クニョンとは翌日も、彼と6年前に初めて飲んだ新宿2丁目のburaで会い、熊谷氏やハンキンさん、タイニイアリスの西村さんたちと飲みながら話し、ソウルでの再会を約束して別れた。
今回、おそらく私の演出作品では初めて生演奏を入れたと思うのだが、それというのもハンキンさんというドラマーと知り合ったからだ。もちろん、ただのドラマーではない。御存知のように、『豚とオートバイ』の福岡でのリーディング公演で、医者の役をやってもらったのだ。つまり、役者もやっている。後で知ったのだが、私が小倉で観た水族館劇場の野外劇に出ていた。今回、パーカッションをどういう風に生で入れるかというのも、『豚とオートバイ』のことをよく知ってくれている、というより、大好きな(ソウルでもイ・マニさんにいろいろ質問をしていた)、ハンキンさんだったからこそ、考えられたことなのだ。単に作品のBGMや効果音としてではなく、登場人物やその情景の心象音として表現出来ないかと思ったのだが、ハンキンさんは、それを見事にこなしてくれた。事前に福岡に行って打ち合わせをした成果もあったというものだ。いや、打ち合わせは当たり前といえば当たり前なのだが。その福岡での話もまだ書いてないなぁ。書かなきゃ。彼とは、また違った形で、ぜひコラボレーションをしたいと思う。
というわけで、『豚とオートバイ』に関しては、まだまだいろいろ書き足りないこともあるが、ひとまず、公演終了の報告はここまで。御来場いただいた皆様方、ありがとうございました! そして、参加したスタッフ、キャストのみんな、お疲れ様でした! いやぁ、素晴らしい公演でした!
さて、これをもって「トンバイク編」も終え(書いている時間がなく、たった7回ですみません)、年明けから新たな章を始めたいと思う。2008年は、乾坤自体、20回も書いていないので(ホントにすみません)、新年から気持ちを改め、しっかり毎週書いていくことをお約束して(ちょっとでもね)、今年の最後を締めたいと思う。今年、私は喪中なので、新年の挨拶は出来ませんので、悪しからず。では、みなさん、良いお年を!
(2008.12.30)