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2008.7.19
新国立劇場運営財団の「回答」を読んでみる。

7月17日付けで発表された新国立劇場運営財団の回答「次期演劇芸術監督の選考とその考え方」は、演劇人有志と演劇三団体から発表された「芸術監督選定プロセスの詳細開示を求める声明」に返答したものだ。少なくとも、運営財団は「返答」だと考えている。

その内容をあらためて読んでみる。全体の印象は、「私たち(新国立劇場)は間違ってない。手順は踏んだ。話し合いもした。プロセスに一点の曇りもない。表に出せることと出せないことはある。ご理解いただきたい。」という堂々とした上から目線の下手に出たもの言いだ。

一番驚いたのは、今年の3月に「後任を検討している旨」を鵜山氏に伝えたという点。鵜山氏の就任は去年の9月だ。3年任期の半年しか経ってない。2期6年ぐらいは続くと考えられていたはずなのに、半年でそんな結論が出ていたとは!

その結論が出た理由だが、端的に言えば「制作上の支障」が出ていたからだという。「劇場としては難しい」と感じていたのだと。具体的にどんな支障なのかは語られていないが、支障が出た原因は「(鵜山氏が)他の演劇団体での演出家としての仕事が多忙を極め、必要なコミュニケーションをとることができなかった」ためと明記している。

つまりこういうことだ。問題は鵜山氏にあり、劇場としては対応できない。その結果、制作上の支障が出た。よって、鵜山氏に交代してもらうしかない、と。

ここがわからない。演劇関係者として、まったくわからない。だって、そういう「問題のある演出家」っていっぱいいるけど、裏方はそこで頑張るもんでしょう。燃えるでしょう。裏方が「演出家を代えよう」とは言わないわけで・・・。

確かに鵜山氏も栗山氏も宮田慶子氏もめちゃめちゃ忙しい売れっ子演出家だ。その才能ゆえのものだ。問題も大きいけど、その才能を利用したいと考えて芸術監督をお願いしたはずだ。その持ってるものを使い果たしてやろうと劇場側は考えているはずだ。マイナス面を差し引いても余りあるプラス面に着目してお願いしたはずだ。だから、多くの問題点は折り込み済みで、「どう対応するか」だけが制作サイドの腕の見せ所だ。その意味で「裏方がギブアップ」することなどあり得ない。もちろん、やれる範囲で頑張ればいい、というのが「現場」だし。よって、就任半年なら、いろいろ問題も見えてきたのだろう。そこで「どう対応するか」が真剣に協議されていたと考える。そこで「交代」が出てくるなんて、どうしても理解できない。いったい、どんな「手」を打ち尽くしたというのか・・・?

それほど新国立劇場の制作サイドは「非力」なのだろうか。それは確かに、あるかもしれないなあ。

さて、就任半年で「交代」が告げられ、「次期芸術監督選任プロセス」が開始された。5月に「選考委員会」が開かれた。当然、「交代」そのものに対する反対意見もあったろうが、「選考委員会」は次の人を「選考する会」なのだから、この会が開かれた時点で「会」の意味を問うこと自体は弱いものとなるのが当然だ。そして、結論のもっていきかたが巧妙で、「後任をだれだれにする」という結論は出さずに、「後任を選ぶならば宮田慶子氏で」というあいまいな状態で、結論は別の場で、とした。

これを受け、6月に「理事会」が開かれた。これは「選考委員会」とは違うので、「交代」自体も問題として挙げられた。「交代は必要なのか?」「鵜山氏継続でもいいのではないか」が意見として出たという。が、ここでも巧妙だと思うのは、「理事会」は「選考委員会」の審議の結果を尊重する、というもので、「原案通り」に「後任は宮田氏」を決定したのだという。「原案」は「後任を選ぶならば」だったはずだが、ここに至って「選ぶならば」ははずされ、「後任は宮田氏」が原案であり、尊重されて決定した。「選ぶならば」はどこへ行ったのだろうか。

しかしながら、理事会でも「結論」だけは先送りにされた。理事長に一任する、を決定とした。理事会もまた、問題意識はあったのだろう。そして、劇場側がここで調整を行ったようだ。鵜山氏に説明し、選考委員、理事ら全員に対し、連絡した。おそらくは鵜山氏の承諾を得たというものだろう。その結果、「一部の方を除き」理解を得た、としている。そして、理事長一任という最終決定のもと、結論が出された。・・・「理事長一任」というのは「最終決定」という概念なのだろうか。「理事長一任」というコトバにはなんら「結論めいた事象」は含まれていない。「理事長一任」とは、「ボクら何も決めません」と言ってるにすぎないように思える。そこから「結論」が出てくるのはどういうことだろうか。

最終的に「選考委員会の審議の結果を原案通りに決定」した。・・・いや、だから「原案」は「後任を選ぶなら」というものであり、「後任は宮田氏」ではないのだが・・・。

やはり、「プロセス」として気になるのは、就任半年で「交代」が浮上した経緯だ。劇場側が苦しんでいるとして、人を代えずに体制を変えることはできなかったのだろうか、ということだ。そういう話し合いのプロセスはどの程度なされたのだろうか。問題が起きた場合、悪いのはシステムであるのはビジネスの基本。硬直したシステムでは機能不全に陥るのは政治から経済から教育から犯罪捜査から健康まで、なんでも証明している。新しいトップに対応した新しいシステムを半年で構築できるような余力が制作側にはなかったのだろうか・・・。

7月、問題が報道される中、(社)日本劇団協議会の機関誌「join6月号」が届いた。そこでは、今年3月に開催された「演劇人懇談会」が誌上採録されている。テーマは「新国立劇場<演劇>芸術監督に就任して」というもの。鵜山氏の情熱がほとばしり出ている。また、質疑応答では多くの演劇人による期待と希望が述べられている。やっぱり、劇場というものは、芸術監督の能力を使い尽くしてなんぼ、というものに思えてならない。才能のある人を連れてきて芸術監督に座らせたら、周りの人は寄ってたかってその能力を食い尽くしてやろう、ぐらいの気概でいいと思う。きっと芸術監督はへとへとになるだろう。5〜6年やったら「やめさせてくれ〜」となるだろう。そういうもんだ。その代わり、スタッフもまた死に物狂いで頑張るしかない。そんな関係が築ければいい。

そういう関係じゃないと、劇場なんて、持たないよん。

「次期演劇芸術監督の選考とその考え方」(7/17付)


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