2001.01.04
桂三木助師、自殺により1月3日逝去。
1月3日の夜のテレビのニュースで、もしくは1月4日の朝のスポーツ新聞一面で、ワイドショーで、このニュースを知って驚いた方も多いでしょう。21世紀の演芸界のみならず、芸能界最初のニュースとなってしまったのが悲しいです。
2001年1月3日午後1時半ごろ、東京都北区田端5の落語家、桂三木助(かつらみきすけ)さん(43)=本名・小林盛夫=方から「息子が首をつっている」と119番があった。二世帯住宅の隣に住む母親が昼過ぎになっても起きてこない三木助さんの様子を見に行って異変を発見したもので、滝野川署員が駆け付けたところ、1階ベランダの物干し用フックに浴衣のひもをかけて首をつっていた。三木助さんは都立駒込病院に運ばれたが、30分後、死亡が確認された。
当日夜、姉でマネージャーを勤めた小林茂子さんが自宅前で会見、「昨年11月ごろから仕事のことで悩んでいた。父親(三代目桂三木助)のプレッシャーとも戦っていたのかも」などと語った。
三木助さんは、2日までの浅草演芸ホール・東洋館での初席の高座は普通につとめていたが、昨年12月の池袋演芸場でのプロデュース公演は、3日間勤めたのみで、残りの7日間は休演していた。
当初、遺書はないとされていたが、4日、遺書らしきメモが公表された。遺書には「自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」とあった。
通夜・密葬は遺族の意向により、遺族と関係者のみでしめやかにとり行われたが、一般も参列できるお別れの会(落語協会主催)は、1月16日午前10時より、ホテルオークラ・オーチャードルーム(港区虎ノ門)にて行われると発表された。
個人的には、リアルタイムで共感できて楽しい、と感じた落語会などに出演なさっていらっしゃる方としては、初めての訃報となってしまいました。現時点で、故人と近しいと思われる世代・立場の噺家さんが、ごく限られた方を除き、高座において・マスコミに対して・HPで等々、この件への言及を意識的に避けざるをえない状況に、そして伝わってくる、あえて発せられた言葉の重さに、事の重大さを、外側からもおぼろげながらに感じます。謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。(と)
痛いよ。「自殺」は表現者の職業病だとは言え、三木助さんの「プレッシャー」は痛いよね。まだまだチャンスはあったはずなのに。いや、あるんだよ、ぜったいに。(じ)
|