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週刊FSTAGEニュース配信より
問い>編集部


2002.12.23
「静岡・演劇上演中止問題」を解説してみた!
編集部 じんぼまさのり

正直言って、静岡から遠く離れた東京地方在住ですので、ことのいきさつがよくわからない部分があるのですが、私がわからないぐらいだから、きっとみんなもわからないんだろうと思い、解説してみたいと思ったわけです。無謀ですなあ・・・>オレ。

この問題は、今年の五月に静岡で「影武者・沖田総司」というお芝居が、公演直前に「差別」を理由に中止になったことで始まりました。そこいらの経緯は劇団の主宰者の日記に詳しいです。

2002年5月23日のこと。劇場への仕込みも終わり、テクリハの1日目が終わろうとしていた時、突然、プロデューサと演出家が劇場内会議室に呼ばれ、教育長さんと助役さんと云う方に挨拶され、公演中止の発表を受けたという。翌日は、公演中止のお知らせや、電話取材が交錯する中で、市長を交えての公演中止撤回交渉。市側としては、差別的表現が盛り込まれている脚本であり差別を助長する恐れがあるものとして教育委員会主催の公演としてこれを上演することは出来ないというものだった・・・。(主宰者日記より)

で、芝居ですから差別的な表現のひとつやふたつ、どころか、差別そのものをテーマにすることだってあるわけですが、差別をなくそうと活動していらっしゃる人権擁護団体の方にとっては、抵抗があるわけですね。これはまあ特別の事件じゃなくて、普通のことです。芝居を作ってる側は、そんなことは知っててやってるわけです。現代を切り取る以上、差別は避けて通れません。落語で売春を避けたら噺にならないのと同じです(違うってば>オレ)。

で、普通は、こういう問題については、事前にきちんと話し合えば、大概は理解を得られるわけですし、むしろ情報の発信の仕方によっては、人権擁護団体が協力してくれたりするわけです。差別の醜さ、みたいのが明らかになりますからね。

残念ながら、今回の問題では、事前に作り手と人権擁護団体との話し合いがなされなかったとみえ、いきなり市側からの中止要請となってしまったようです。問題が発覚したのが直前だったのでしょう。話し合ってるヒマがなかったみたいですねえ。

で、市側としては、公演を中止させてしまったお詫び、みたいなことで劇団に100万円を払ったのでしょう。監督不行き届きへの道義的責任が市側にもある、とか。一方劇団には、差別を助長するシナリオを上演しようとした法的責任があるため、100万円以上は求めないことになったらしい。この「道義的責任」ってのと「法的責任」ってのは、ムチャクチャだと思うんですが、まあ、示談なんてのは、そんなもんでしょう。「内容を監督しない」のは「不行き届き」とは言わないと思うし、「差別を助長する」かどうかの司法の判断が下ってもいないのに「法的責任」って言われても・・・。

面白いのは、市側が今後、「芸術文化振興施策の一環として、本年度以降劇団に協力する」という判断ですね。ちょっといいかも。ちゃんと落としどころを踏まえた判断だと、私としては拍手してしまいます。

ところが、ことはやっぱり「政治的な意図」で動き出すわけですね。こういうのは政治的に利用できる、と考える人がいるわけです。つっこみどころはたくさんあるわけですから、誰かを政治的に追い詰めようと思えば、まあ、可能なわけでしょう。ちょっとやな感じです。そういうのはやめてほしいと思いますが、なんせ政治家ですからねえ・・・。

表現がなぜ「差別」とか、「人が不愉快に思うようなこと」を平気で扱わざるを得ないのか、なんてことを理解できないような政治家さんが、「法的責任」とか言い出すとロクなことないわけですが、まあ、理解してないのは政治家だけじゃないので、そういうことについて話し合うのも公僕の仕事なのかもしれないので頑張っていただきたいと思います。一方、劇団さんは、なるべく巻き込まれずに、次の公演が無事行えることを願わずにはおれません。頑張ってくださいな。



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