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西堂行人「シアターカフェ」取材

西堂行人「シアターカフェ」(@江古田ストアハウス)レポート

文責:編集部 じんぼまさのり


西堂「西堂行人」さんの名はあっちこっちで見る。演劇評論の世界では有名な人だ。著書も多数。んでも、実際にはほとんど読んだことがない。みなさんはいかがでしょうか。「演劇評論」なんて、読まないよね。そんな・・・めんどくさい。

江古田ストアハウスで毎月開催されている「シアターカフェ」を訪ねた。西堂行人氏がメインパーソナリティとして「舞台を語る」と「批評を書く」の二つのテーマで開催している。取材した9月28日は「批評を書く」がテーマの回。

・・・西堂行人さんは、ただの演劇評論家とは違っていた。

「劇評家」って、外から勝手に批評してる人じゃないですか。でも、西堂さんは、ちょっと違う。演劇を取り巻く様々な媒体と関わり、その内外から批評活動を展開している。自分でもイベントを仕掛けているのだ。ハンパじゃない。

まあ、誰でも批評文もどきを書ける世の中になっています。なんせ、「演劇ブーム」ですからね。知ってますか? 今って「演劇ブーム」なんですよ。らしいです。どの「演劇」のことかわからないけど、とにかく演劇は今、ブームだそうです。「そんなはずはない。客だって減ってるし、新しいコンセプトの芝居だって、ここ4〜5年、登場していない。」という声が聞こえてきそうです。しかし、ある面ではブームなんだそうです。それゆえ、「週刊TVガイド」の東京ニュース通信社が演劇情報誌「TopStage」を創刊し、学研の「TV LIFE」が別冊「LOOK at STAR!」で演劇に注目したりしている。どうやらここで言う「演劇ブーム」は、テレビに小劇場の役者が大挙出演したり、舞台にテレビスターが出演したりしていることのようですけど・・・。

西堂さて、西堂氏です。現在の演劇状況を「出口の見えない閉塞状況にあるとしばしば指摘される」と断じている。確かにそうかもしれない。そして、「演劇批評もまた、危機にある」という。そして、それへの一つの回答が、「シアター・カフェ」という場なのである。

「シアター・カフェ」は1994年に開始された。ご存知の通り、劇場敷設の喫茶店を「シアターカフェ」という。西堂氏のシアターカフェは1994年にシアターXでハイナー・ミュラープロジェクトの一環として始まった。世界の演劇をビデオなどで紹介する講座として開講された。

ここで、西堂氏とハイナー・ミュラーとの関係を説明すると長くなるので割愛するが、「ハムレット・マシーン」を素材としたシンポジウムなどを行う「ハムレットマシーンプロジェクト」(のちのハイナー・ミュラー・プロジェクト)を1990年に立ち上げている。

さて、シアターXでの「シアターカフェ」はその後、解体社と連携し、本郷DOG、スペース・カンバスで開催され、1997年には世田谷パブリックシアターに移っている。ここで、初めて「演劇批評」のための講座を開講した。演劇の批評をテーマとした場というのはおそらく日本初だろう、ということである。

現在の江古田ストアハウスでの「シアターカフェ」は2001年から。「舞台を語る」と「批評を書く」の二つをテーマとし、前者では大御所をゲストに迎え、後者では長文の劇評を書くことを目指して、今年が3期めとなっている。なお、今年のゲストは8月が唐十郎、10月は別役実である。12月には蜷川幸雄を招きたいと口説きに入っているという。昨年は永井愛と坂手洋二と清水邦夫だったとか・・・すごすぎる!)

演劇評論の最大の問題点は、「短い」ことであると西堂さんは指摘している。短いのなら誰でも書ける。もちろん、それが悪いこととは思わないが、不十分であるという。この講座では、A4で20枚ぐらいの論評を書くことを目指すのだそうだ。ものすごい量だ。だが、確かにそれなら、すべてを言い尽くせるだろう。この講座出身のメンバーは、すでに様々な媒体で文章を書いているという。実際、過去の論評をまとめた「ステージ・カオス」という論文集が出版されているが、そこに連なっている名を見ると、最近、いろんなとこで見るものが並んでいた。また、演劇関連の小冊子などを最近見かけることが多いのだが、その発行人はどこから出てきたのだろうと不思議だった。その疑問が解消した。


前置きが長すぎる!っつうのよね。すみません。それではいよいよ、その「シアターカフェ」の実際をレポートします。2003年9月28日(日)午後6時ごろから始まりました。

西堂場所は江古田ストアハウスの4F稽古場(ストアハウスは5Fが劇場となっている)。西堂さんの前には、得体の知れない人々が10数人、バラバラに座っていた。みな、書類を見ながら、西堂さんの話を聞いている。この日のテーマは「舞台を語る:上半期の舞台」。なんでも、事前に各自が「上半期の舞台をテーマとした論評」を書いて提出したのだそうだ。それをこの場で読んでから、話し合いはスタートしたのだとか。

西堂さんの話では、読売演劇大賞と朝日舞台芸術賞の上半期選考を前提として、議論しているという。

第11回読売演劇大賞上半期ベスト5

■作品賞

  • 埼玉県芸術文化振興財団+ホリプロ『ペリクリーズ』
  • NODA・MAP『オイル』
  • MODE+世田谷パブリックシアター『AMERIKA』
  • 世田谷パブリックシアター+コンプリシテ『エレファント・バニッシュ』
  • 文学座アトリエの会『Just Business』

第3回朝日舞台芸術賞中間選考

■グランプリ候補

  • 埼玉県芸術文化振興財団・ホリプロ制作『ペリクリーズ』作/シェイクスピア、訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄
  • NODA・MAP『オイル』作・演出/野田秀樹
  • 劇団昴『ゴンザーゴ殺し』作/ネジャルコ・ヨルダノフ、訳/中本信幸、演出/菊池准
  • Kバレエカンパニー『白鳥の湖』振付・演出/熊川哲也

「オイル」が中心ということだろう。西堂さんは、まだ野田秀樹なのかよ、というような忸怩たる思いのよう。「野田やニナガワを越える才能は出てこないのか!」と問いかけている。そして出てきたのが「シベリア少女鉄道をついに見たよ。」ということだった。「はたしてシベ少は野田・ニナガワを超えるのか?」と。・・・ひえ〜ぃ(^_^;)

以下、シベリア少女鉄道への論考が続く。「上半期の舞台」とのテーマでシベ少を挙げていた人の意見をベースに、賞賛派、否定派の論評が展開される。また、否定派の文章を読んだ人が、「私はこう感じた」という意見も出る。以降、「演劇評論」への意見というより、シベリア少女鉄道そのものへの論評が始まる。

みんな、それぞれの意見を堂々と述べている。芝居について、じっくり意見を戦わせることができることだけでも楽しいが、劇評として書いたものへの意見が聞け、それへの追加の評価を述べられるのも楽しい。見ていて、こんな場があったとは・・・と感心してしまった。

議論が一段落すると、西堂さんが芝居そのもののポイントを提示し、目のつけどころ、評価するための見方を示す。「それはここがポイントで、こういう見方をしてはどうか?」と。いつしか、シベ少と維新派が比較されていた。役者の「没個性性」で等しいのでは、と。

当然、見てきた芝居そのものから、「作り方」へと話は進む。シベ少の演出家・土屋さんの演出、稽古、やり方を推察して、それへの批評が始まる。西堂さんが、「土屋さんのやり方はきっとこうだろう」と言い、そこを論評していた。このことは、そこにいたメンバーには新たな視点となっているようだった。見てきた芝居だけでなく、その作り方にまで言及するのは必要なことだと思う。しかし、実際には、知らないで言ってるんだけどね。

どうも、全体的に調査不足というか、勉強不足の観がある。もうちょっと、事前にシベ少の情報を集めておくべきだろう、と感じた。まあ、こんな話になるとは思ってもいなかったんだろうけど。

いろいろ議論してきて出てきた意見はこうだ。

  • 「批評」はどこにスタンスを置いて批評するかも問われるものだ。「シベ少」を演劇的な観点で評価していいのか。ハイレグのように一発当てて消えるのでいいのか。最近、シベ少や毛皮族とかポツドールとか、まじめな演劇青年とは思えないものが注目されているが、やはりそれこそが素晴らしいとも言えるのだろう。いや、そこには「先」がない。ただの「あだ花」にすぎないだろう。

  • 10年前、ケラや松尾スズキや宮沢章夫は、当時のメインの演劇からは異端として扱われ、あだ花的に捉えられたこともあった。しかし今、10年経って彼らのやっていることは「演劇」としてしっかり認知されている。さて、シベ少や毛皮族はどうだろうか。今、彼らはあだ花的であるが、10年後にメインストリームとなっている可能性はないのか?

  • また、寺山や唐もまた、異端であり、「あんなものは演劇ではない」と言われたものだ。

う〜ん・・・シベ少を「野田やニナガワを越えるもの」と位置づけるのは違和感があった。むしろ、「ケラや松尾スズキ」の方だろう。しかし、シベ少と毛皮族とポツドールの三つが並んで語られているのはちょっと面白いなあ。今起きていることって、ちょっと前の、ハイレグ、オッホ、猫ニャー、げんこつ団らへの評価と同じことなのだろうか?

さて、議論はさらに続く。今度は、シベ少と「オイル」の比較だ。そして、野田秀樹が俎上に乗せられる。

知らなかったんだが、野田秀樹って、最近評価されたんだってね。ここでの話によると、野田地図とか、赤鬼とかで高い評価を得たんだと。そして、「パンドラ」とか今度の「オイル」も評判だと。・・・知らなかった。駒場小劇場時代からめちゃめちゃ高く評価してきた私は・・・。紀伊國屋に進出して、私の中では落ち着いたのだが。それでも、帝劇とかでセンス抜群の面白いものをやっていたよね。批評家は冷たかったらしい。しかし、客は入っていた。シベ少や毛皮族も、批評家の評価は決して高くはないが、客は入っている。センスの高さは評価されている。はたして、若手の彼らも同じなのか・・・。

ここで今度は、ケラに話が及ぶ。最近のケラのロクでもない芝居はどうよ、という点だ。ユースケのとか、明治座のとか。「なぜケラが演出をしなければならなかったのかわからない」との意見がメンバーから出される。そこで西堂さんが言ったのは、

「じゃ、批評家として、『さくら』とかやっちゃっているケラにエールを贈るとしたら、どんな批評をすべきでしょう」

面白いなあ。作り手にエールを贈るという役割もあるんだねえええ。「シゴト」としてやっているという分析を西堂さんは示し、それを非難するのではなく、エールを贈れ、と。作り手のスタンスを理解していることが前提となるし、どういうエールの贈り方があるのかわからないけど、書き手のスタンスとしては、全然違うものになるだろうねえ。

3時間近い議論は、幕を閉じた。マジで芝居について話ができる、というのは貴重な場だと感じた。酒が欲しくなるけど、まあ、我慢我慢。脳みそフル回転だもんね。にしても、この日の話では、どうも勉強不足というか、データ不足を感じたなあ。事前にネタを用意しておきたいよねえ。

あと、やっぱりちょっとマジメな「演劇青年」っぽい感じがしたなあ。西堂さんが、演劇青年なんだよなあ。そこんとこはどうなんだろうねえ。「いま、演劇ってどうよ」という視点が必要なんじゃないかなあ。比べるものとして、ゲーム、映画、テレビ、音楽ってのがあると思う。あるいは、携帯電話、出会い系、ファッションヘルス、とかと。今っていう時代への言及がなかったのも気になるなあ。やっぱり、坂手や永井愛や清水邦夫や蜷川幸雄や唐十郎や別役実もいいけど、シベ少やポツドールや毛皮族の誰かを呼んで来ることも大切だろう。ハイレグや猫ニャーやオッホやベタポも。小池竹見や西田シャトナーや後藤ひろひとは今何を考えているのかもね。ほんで、Dr.エクアドルとは西堂さんは気が合うと思うし。

あと、批評家はやっぱり、稽古場にも行くべきだと思うのだが、違うかなあ。主宰者を呼んで来て話を聞くだけでなく、稽古見ないと何が起きているのかわからないんじゃ・・・逆効果かしら。

(メンバーが書いた過去の劇評は、下記のサイトで読める)
 ■江古田ストアハウス
 ■シアターカフェ(課題発表)


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