1969年 状況劇場、新宿中央公園事件「腰巻お仙・振袖火事の巻」
新宿がアナーキーな文化に支配されていた60年代末、警察と地元商店連合会は官民一体の新宿浄化運動を開始した。その結果、花園神社を追われた紅テントの状況劇場は、新宿に逆襲すべく、新しくできた新宿西口の中央公園でテント興行「腰巻お仙・振袖火事の巻」の上演を画策する。がしかし、東京都建設局公園緑地管理部では申請を却下。これに対し、劇団側は「都民の公園で芝居ができないのはおかしい!」と、却下を無視して公演ポスターを貼り、チケットを発売し、公演へ向けて活動していった・・・。
1969年1月3日は公演初日。公演を阻止すべく、中央公園内に都の職員数十名が待機して、園内を巡回していた。トランシーバーで連絡をとりあい、厳戒態勢を敷く。その状況下で、いかにして公演を行うのか。普通の野外劇でも困難なのに、状況劇場の場合は舞台と客席の両方を入れる巨大紅テントを建てなければならない・・・。
昼を過ぎ、夕方になっても劇団員は現れない。すでにお客は集まり、公演内に散らばって待っているのに・・・。開演時刻間近の7時ごろ、「あきらめたか?」というムードが支配しはじめ、あたりはすっかり暗くなっていた。そのとき、一台のリヤカーが新宿駅方面から疾走してきた。小道具類の荷物を積んで、看板女優の李麗仙や麿赤児らが公演入口から突入。待ち構えていた都職員らはスクラムを組んでこれを阻止。リヤカーは何度か囲みを破って園内に走りこんだものの、すぐに取り押さえられた。すべては観客の目の前でのできごと。麿赤児は自らリヤカーの下敷きになり、車輪をかかえこんで離さない。こうしたもみ合いが30分も続いたという。おそらくはすごい盛り上がりだったろう。しかし、都職員の数が圧倒的に多く、公演は困難かと思われたその時!
突然、園内の西の高台から声が!
「お待たせしました。状況劇場、ただいま開演です!」
見ると、もみ合いのあった公園入口からかなり離れた園内の高台に、紅テントが忽然と姿を現した。都職員と観客の注意をリヤカーに引き付けておいて、ひそかに劇団トラックを公園の裏門から招き入れ、闇にまぎれて20分足らずでテントを立ててしまったのだ。唐十郎のみごとな陽動作戦。口惜しがる都職員を横目に、200数十人の観客は歓声を上げてテントになだれこんだという。すぐに芝居が始まった。
都は機動隊に出動を要請。しかし、すでに公演が行われているテントの撤去は不可能。テントが倒れれば中の観客に負傷者が出てしまう。200人の機動隊は、「芝居をただちに中止し、外に出なさい!」とスピーカーで叫んだが、中の観客も団結し、「帰れ、帰れ!」とシュプレヒコール。約3時間の芝居は最後まで上演された。観客も逮捕を覚悟したというが、結局終演後に唐や李ら幹部3人だけが逮捕された。紅テントも証拠物件として没収されたという。が、「初犯」だったため、起訴もされず、テントも返却された。結局唐は、翌2月にも新宿西口の小さな駐車場を借り、トラックの上に紅テントを張って、「腰巻お仙・振袖火事の巻」を四月末まで上演しつづけたという。
「小劇場」が「運動」であり、「アングラ」が反権力の象徴となった事件であった。
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