(62) 2003.4.13 ■「落語とWeb、そして私(15)」
日落ちて道遠し―落語遠眼鏡由来(1)
はやしよしあき ●落語遠眼鏡のできるまで それは3年前の6月、池袋の東京芸術劇場で行われた「第2回柳家権太楼一門会」でした。会の最初、いや最後だったでしょうか、権太楼師匠から「来年は昼夜でやります。その頃は三太楼も真打に(場内大拍手)決まっているんじゃないかなぁ、と思いますので、夜の部のトリを取らせます」という発表がありました。ちょうど1年後の会の日程。これを知っているのは、この時会場にいた数百人だけです。「そうだ、こういう情報をまとめたウェブサイトがあれば便利なんじゃないか」と思い立ち、その日のうちに「仮開業」までもっていきました。 ・・・というのが、「落語遠眼鏡」作成のきっかけです。3年前のことなので明確には記憶していないために多少の脚色は加えてありますが、だいたいはこんな感じでした。実はその時点で、私が実際に寄席や落語会に足を運ぶようになってから、まだ半年しか経っていませんでした。前年末に鈴本演芸場の「桂米朝独演会」と「桂ざこば独演会」。1月21日に柳家小三治師匠と桂文治師匠の二人会。翌日に初めての定席の鈴本演芸場。そこからまさに「むさぼるように」落語を聴きに行っていた頃でした。 今でも同じじゃないか、というのはさておき、ともかくその頃は落語会の情報を「東京かわら版」、寄席や落語会場に置いてあるチラシ、落語関係のウェブサイト等から集めて、行きたい会を手帳に書き写していました。そのうちに、これらの情報をまとめたウェブサイトを作ってみてはどうだろう、と思うようになっていました。それを現実化させたきっかけが、冒頭に記した権太楼師匠の発言です。その時点でも別の趣味関係のウェブサイトを複数開設していましたので、ウェブに関する最低限の知識はありました。手持ちの情報でどの程度のものができるかは予想できなかったのですが、試しに作ってみるとそれなりに見られるものに思えたので、すぐに公開することにしました。ただ、その後の更新がきちんとできるかどうかに自信がなかったので当面は「仮開業」とし、様子を見て約半月後の7月1日に「正式開業」としました。 ちなみに「落語遠眼鏡」という名前は仮開業の時からのものですが「落語会の情報がずっと先まで見えますよ」ということで付けた名前、だったと思います。あんまりはっきりとは覚えていないんですが…。その後に作った、自分が行った落語会の記録のページに使っている「落語時刻表」の方が合ってるんじゃないかと思わないでもないのですが、今となっては手遅れかも知れません。 さて、開設当初に決めた方針(というほどではありませんが)が2つありました。 1つは「内容は情報に徹すること」です。落語会情報の他に、行った会や寄席の感想等を書くページも作ってみたかったのですが、先にも書いたように実際に落語を聴き始めてからまだ半年の自分にとっては時期尚早であろう、せめて1年経ってから、と考えたからです。これについては昨年のサイト移設をきっかけに「日落ちて道遠し」として実現しましたが、あくまでも「おまけ」的なものだと考えています。 もう1つは「積極的に宣伝をしないこと」です。偉そうな言い方になりますが、最初に作った時点で「そこそこ使えるもの」ができたという気持ちはありました。ですので、これぐらいのものが、自分からの宣伝や検索サイトへの登録をせずにいたら、どの程度の利用があるものだろうか、と思ったのです。 とは言え、誰にも知らせず、どこからもリンクしなければ自分以外の誰も知ることはできません。ですので、同じ鉄道趣味者であることから私の既設のサイトをリンクしてくださっていた柳家三太楼師匠の掲示板に「落語のサイトを作りました」という書き込みをしました。すぐに三太楼師匠のサイトからのリンクを「落語遠眼鏡」に変更して頂け、それを見つけてくださったのであろうちばけいすけさんが「WWW pages about RAKUGO」に掲載してくださいました。それをきっかけに、アクセスしてくださる方が増えるようになり、今日に至っているわけです。 (この項つづく) |
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