大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(65) 2003.5.3 ■「落語とWeb、そして私(18)」


この世に…がある限り?!(2)

とりばかま

週刊FSTAGE・ばかま姐さんの大江戸演芸捜査網

 わたしの中には
「インターネットというメディアは、舞台と客席との関係を、ひいては芸のあり方を変えつつあるのではないか?」
という仮説がず〜〜〜〜、っとあります。

 例えば。

 昭和30〜40年代の寄席や落語会の客席で、名人上手を見た観客同士が集い、ロビーでつるんで、終わったあとに打ち上げに参加して芸人さんと一緒に酒を酌み交わす、なんてことは普通にあったんでしょうか? また、前座や二つ目の落語家さんの詳細な情報が流れ、ファンがついたりする、なんてことはあったりしたんでしょうか? たぶんなかったのでは、と思うのですが・・・・(どなたか詳しい方、ご存知でしたらご教示ください)

 落語協会や落語芸術協会をはじめ、演芸をプロデュースする側が、定席や落語会、イベントなどの情報を、マスコミに向けてのみならず一般の観客向けに積極的に発信するのが当たり前になってきた昨今です。「落語」という芸能の底に流れる人間の営みや情などは昔と変わりないかもしれません。ですが、それを受け止める客席の側が時代の流れの中で、インターネットというメディアを通して表現や情報への接近手段をもった、ということは確実な変化なのではないでしょうか。

 もっとも、そういう変化はインターネットだけが原因ではない、という気もします。現時点で、その変化が良いのか悪いのかも軽々しく判断したくありません。それに、楽屋内の変化については、わたしは全く知るよしがありません。ただ、芸人さんの側やマスメディアのみならず、客席の側がインターネットを通して自己主張をし始めた、ということを既成の媒体側が理由は何であれ記録しきれていないのだとしたら、それは力及ばずながら何らかの形で記録を残しておくべきではないだろうか。そう思うようになりました。

*             *              *

 そしてもうひとつ。

 わたしは落語が好き、演芸が好きなのはもちろんなのですが、それはいうなれば演芸という大きな世界にそれぞれの形で関わる方々の在り方を見つめたいのだ、と思っています。これは落語や演芸に限ったことではないと思うのですが、何か興味が持てる対象を見つけた時に、その対象にどういう近づき方をするかは人それぞれです。また、置かれた環境や状況によっても、関わり方は少なからず変わってきます。

 たとえば、生まれた時から「芸」が身近にあるような場所にいらした方と、メディアを通して「芸」と出会ったような方とでは、「芸」を受け止める目線は全く異なるものになることでしょう。また、結婚によって演芸の世界に足を踏み入れるようになったような方もいれば、逆に結婚を機に演芸を見る生活から遠ざかってしまうような人も少なからずいるはずです。そして、職業として芸を披露する人、その方々を舞台裏で支える方々、趣味やボランティアという形で接することを選択された方々、調査・研究・収集などの形で知識と興味を広げる人、またマスメディアで「書く」ことを生業とされる方々etc...。個人・団体・会社などなど、それぞれが属する場所・立場で、それぞれの関わり方があるはずです。そのすべてにわたしは興味があるといってもいいかもしれません。

 この世に、落語が、演芸がある限り、そしてそれに関わる方々がいらっしゃる限り。そしてもひとつ、インターネットがある限り。そんな演芸とインターネット、それぞれの在り方に新鮮な興味を持つことができる限り、わたしは自分なりの形で「書く」という形で現実と斬り結ぶことができるのではないかなあ、と思っています。

 こちらのページに縁あっていらした皆さま、ぜひ、ここにとどまらず、リンク先や関連のページに積極的に飛んでください。演芸の世界は、そしてインターネットの世界は、広く深く、時には足をとられかねないようなあやうい一面も秘めています。しかし、その上でぜひ、より関心や興味を深め、リアルな舞台へのきっかけの一端をつかんでいただくことができれば、と願っています。

 んでもって皆さま、これからもぜひ、ご指導ご鞭撻お引き立てごクリックのほど、何とぞよろしくお願いいたします、はい。

(この項ここまで)



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