(64) 2003.4.27 ■「落語とWeb、そして私(17)」この世に…がある限り?!(1) とりばかま いつも人に聞いてばかりでは何ですから、今回は自分に改めて問いかけてみることにしました。「どうして『大江戸〜』を続けているの?」と。 押しかけて始めたような連載です。誰かに書け、と頼まれたわけではありません。取材にかけることのできる時間やお金、バックボーンとなってくれるような後ろ盾や会社、大義名分もありません。マスコミと名のつくところの片隅に籍を置いた経験はありますが取材記者としてではないですから、取材のノウハウや原稿の依頼などについてきちんと学んだ経験もない。今も原稿や取材のお願い、リンクの依頼などをする時にはかなり緊張しています。 そんなわたしがなぜ「書きたい」と思い、「書いていただく」ようになったのか。 まず、ひとつ目には「落語や演芸が、インターネットという媒体とどう関わっているか、またこれからどう関わるかについては誰も書いていないだろう」と思ったことが大きいです。誰もやらないことをやれば、そこにわたしの居場所はきっとある。そう考えてわたしは取材をおそるおそるはじめました。 ところが。 その後、いろいろありまして、わたしは東京から静岡の実家に戻ることになってしまった。直接の取材ができない。さあ困った。どうしよう。しかしその時、ひらめくものがありました。 「今こそインターネットを使えばいい!」 メールを最大限に利用して、その上で誰かが、何かのキーワードでサーチエンジンで検索をかけた時に、ひっかかってくれるような何かを書いてゆけば、どこかで誰かがクリックしてくれて、何かの役に立つことができるかもしれない。 サーチエンジンを使っての検索は、良くも悪くも平等です。その分検索する側にとっては情報を読み、判断する能力も必要ですし、ヒットした情報の当たり外れも大きいです。そこでわたしは「当たり」を出してゆこう。そうやって検索をかけるような一般の方々に対して、適切なサイト上の情報を提供・紹介してゆくことができるのではないだろうか? 幸い、神保・週刊FSTAGE編集長からは、静岡に戻ってからも週刊FSTAGEに書き続けることにOKをいただきました。そして21世紀が始まった年のとてつもなく暑かった夏、わたしはおそるおそる「原稿をお願いする」という形でふたたび動きはじめました。その時のわたしは(いや、今もそう状況に変わりはないですが)、静岡にいる、ということを自分の中で「書く」ことをあきらめる理由にしたくない、とただただ必死でした。 そして、演芸関連のサイト管理人の皆さまの演芸への思い、そしてサイトへの情熱、その上でお忙しい時間を割いて原稿をくださった・コメントをいただいた皆さまのご好意を享け、ここまで続けることができた、と思っております。 ありがとうございます。 (この項つづく) |
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