大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(59) 2003.3.3 ■「落語とWeb、そして私(12)」

「合縁奇縁?!」

michiyo

歌彦・わか馬のWeb演芸場

えーと、皆さん初めまして。「歌彦・わか馬のWeb演芸場」管理人のmichiyoです。こういうことを書くのは生まれて初めてなんで、少し照れますね。michiyoの読み方はもちろん、「みちよ」です。おそらく皆さんの想像とは違うと思いますが・・・男なんです。

ウエブ上ではわか馬君の彼女だと勘違いされるし、落語会では何かを期待していた(?)男性陣にはがっかりされるしで、大変なんですよ。はっはっは。こればっかりは本名なんで勘弁してください。

鈴々舎わか馬君と僕との関係は大学のサークル仲間なんです。しかも落語研究会ではなくて、吹奏楽のサークル。結構意外でしょ。就職活動をしていないから心配していたんだけど、まさか噺家になるとは想像だにしていませんでした。

そういう関係から、卒業後彼の噺を聞きに行くようになり、同級生であるわか馬君を応援しようと考えて、1999年6月10日に、わか馬君単独のサイトとしてオープンさせました。当時のタイトルは「鈴々舎わか馬 on Web」。そのうちにわか馬君の落語会を手伝うようになって、三遊亭歌彦さんの噺を聞いて、それでファンになって。

2回目か3回目の、落語会「歌彦の挑戦」の時だったと思いますが、帰りの電車で歌彦さんに、サイトを作らせてくださいと僕の方からお願いして、今の「歌彦・わか馬のWeb演芸場」になった、というわけなんです。今思うと、かなり非常識ですね。

そういうわけで、恥ずかしながら僕は落語について、サイトに来てくださる皆さんほど詳しくないんです。しかも、今は仕事の関係でなかなか落語会に行くこともできない。そういう事情から、管理人である僕の役割はファンのみなさんと噺家とが交流できるようなWeb上の場所を提供することだと考えています。そう考えることで、適度な距離が保てているんじゃないかな。

参加する人の間口が広がるよう、チャットやBBSは使い方のわかりやすいものを選んでいます。工夫って言うとそれくらいなんですよね。だからホント、歌彦さんとわか馬君、それにファンの皆さんで成り立っているサイトなんですよ。僕は全然仕事しない管理人なんです。みなさんに多謝。

こういう考えに至るまでには、もちろん紆余曲折があって。もっといろいろ手を広げてみようと思っていた時期がありました。皆さんがもっと参加できるように、画像を添付できる掲示板を作ってみたり、落語会の雰囲気を伝えようと、その写真を掲載してみたり。こういうことは各方面に迷惑がかかることがわかってやめたんですけど、詳しくないでは済まないことでしたね。

また、もっといろいろな更新をわか馬君本人に受け持ってもらおうとCGIを使える某無料サイトに移したことがあったんですけど、移して2日くらいで急に表示できなくなって、またもジオシティーズに戻した、なんて事もありました。まあ、無料ゆえに仕方ないとは思うんですけど、予告なしにやられたことに腹が立ったし、本当に参りました。利用者の方にはホントにご迷惑をおかけしました。

もちろんジオシティーズに満足しているわけではありません。最終的には独自ドメインをとって、本人が日記を書けるようになるまで。wakaba.netとかutahiko.com・・・お二人ともどうですか?

苦労はあんまり無いんですけどね。やっぱりウエブサイトって言うのは不特定多数の人が訪れる場所じゃないですか。特に、ウチはチャットとBBSが主体のサイトですから。

今までも、決して無風だったわけじゃないんです。トラブルが起こった場合、当事者だけで解決してもらったりとか掲示板の内容を管理者が一方的に削除したりとか、そういう断りを前もって入れているのは、やはり皆さんに楽しんでもらえるように、嫌な思いをしなくてすむようにしたいからですね。特に噺家のお二人に迷惑をかけないですむようにしたいと思っています。

そんなこんなで、劇的な更新は当分なさそうな「歌彦・わか馬のWeb演芸場」ですが、皆さんが安心して二人の噺家との交流を楽しめるような環境を整えることに肩の力を抜いて、力を注ぎたいと思っています。どうぞ皆さん、これからもよろしくお願いします。

(この項ここまで)



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