(57) 2003.2.15 ■「落語とWeb、そして私(10)」
「世説噺語」的
ゲンシロー 「世説噺語」というサイトを運営しています。 ちょっと不思議な気もするんですが、「世説噺語」っていうのは、どういう意味ですか? って聞かれたことは、ありません。皆さんなんとなく分かってるんでしょうかね。5世紀半ばの中国で成立した、人物エピソード集みたいな書籍に『世説新語』っていうのがあるんです。そのモジリです。 サイトを立ち上げるときに、目玉のコンテンツとして、さまざまな落語関係の文献から落語家のエピソードを集めて、資料集のようなもの、できればデータベースを作ってみよう、なんて考えていたときに思いついたタイトルです。けっきょくそのコンテンツは立ち上げませんでした。いちおう多少は手をつけたんですけど、著作権の問題なんかもありますしね。もう作るつもりはありません。 でも、「世説新語」的構想がまったくなくなったか、というとそうでもない。当方が出かけた寄席・落語会などのレポートをする「見聞記」(当初「みきき」と読ませるつもりで、コーナーのトップページにもそのようにルビをふってあるんですが、最近どうでもよくなりました)というコンテンツを設けています。分量的には、当サイトの主要コンテンツといっていいものです。いつ、どこで、どんな芸人さんがどんなことをやったか――その記録のために綴っているようなもんです。批評とかは二の次だと思ってます。新聞やその他のメディアではおおよそ記録されることが稀であろう、ある日あるところの高座や会場でのできごとを、とにかく記録しておこう、という姿勢ですね。 そもそも、私は方々のWebサイトで公開されている、寄席や落語会のレポートを読むのが大好きでした(もちろん今でも大好きです)。あの情報量って、すごいものがありますね。たとえば、Webの記録から拾えるだけの寄席や落語会の情報を拾って、出演者や演目の年鑑みたいなものにまとめたとすると、それはものすごいモノになるような気がする。いや、間違いなく「なる」でしょう。まァ、個人の仕事でできるものではないでしょうから、私にそれをやる気はないんですが、自分の行った寄席のレポートを公開しているサイトの管理人が、協力して分担制かなんかでやるんだったら、実現も不可能ではないかな、なんて思ったりもします。1年365日すべての日の、寄席やホールでの出演者や演目、会場でおこったエピソードが年表風に一覧できる資料なんて、凄いと思いません?「何のタメに役立つの?」と尋ねられたら答えに窮しますがね。 まァ、年鑑作りの実現はさておいて、私が人様のレポート読んで楽しむのと同じように、私の報告をよんで、なるほど最近この噺家はこんなネタをやるのか、と情報じたいに興味を感じてくれる人がいれば、こっちも嬉しい、そいう論理でサイトを始めたようなもんです。 いま、ことの縁起を、だいぶ整理したかたちで綴っちゃいました。実際のところは、実はもうちょっと複雑といいましょうか…。 まず、Web上のさまざまな寄席演芸に関するレポートをや資料を読んでいると、とりあえず落語を聴きに行きたくなるんですよね。今でこそ、平均して週に1回ペースで寄席などに足を運んでいますが、モトモトそんなに頻繁に通う方じゃありませんでした。せいぜい年に数回ってところですよ。それが、人が出かけた文章を読むと、実際に自分も行きたくなるんです。もともと下地があるわけですから、ちょっと急所をくすぐられると、たまんなくなるんでしょうね。 で、ちょくちょく通うようになると、いろいろと印象深い場面に出っくわす。場数をそこそこ重ねると、さっき批評は二の次とは言ったけど、理屈をこねるのが嫌いな方じゃないから、なにか言いたくもなるわけです。で、自分のサイトを立ち上げる。で、自分で管理するそういうサイトを作って、寄席のレポートみたいなこと始めると、これは多くの同様のサイトの管理人の方には誰でも似たような覚えがあるんじゃないか、と思うんだけれど、よけい意地になって寄席通いをするようになるところがあるようです。そして、こんな私になりました、という次第。 はじめっから「世説噺語」だったわけではなくて、まずは知り合いの運営するサイトにパラサイトしてました。「なげやり通信」というサイトの1コーナーとして始まった「こちとら落語好き!」がそれ。サイトが落語専門のところではありませんし、ビジターの平均年齢も私なんかよりはちょっと若い人たちが中心のところだったので、噺の粗筋なんかも紹介しながら、分かりやすい文章を心がけました。今考えると、「こちとら…」時代の文章の方が、今よりイキイキしていて面白かったように思います。人間、惰性に陥ると、たいがいつまらなくなりますわ。 人様のサイトの一部を掠め取っててめえの書きたいこと書いているヤツ、だから「ゲンシロー」なんです。「なんでゲンシローなんていうHNなんですか?」ってのは、1度だけ尋ねられたことがありました。ゲンシローはゲンシローのままでいればよかったのかもしれませんが、やっぱりですね、気兼ねなく(といって、「なげやり通信」の管理人さんにはよくしてもらっていましたけどね。でも記事のアップはあちら任せだし、忙しいお仕事もある人だったから、やっぱり気兼ねはありますよ)、自分の思うようになるサイトはやっぱり持ちたいものでしてね。無料のHPサービスも方々で出来てきましたもんで、エイヤッと作っちゃったのが、「世説噺語」というわけでございますよ。 でね、いざ自分のサイトを立ち上げるとなると、寄席なんかのレポートだけでは、どうもモウ一つインパクトがない。独立したサイトとしてなにか自己主張したい、という欲が出るわけです。Web上の落語関係サイトで、楽しいなァというのとは別に、凄いなァとつくづく感じたのは、膨大な資料を公開しているいくつかのサイトでした。みなさん、もうお馴染でしょうけど、「ラジオ名人寄席」でオン・エアされた音を瞬時に鑑定しちゃうあのサイトとか、6代目圓生のことならたいがいのことがわかっちゃうあのサイトとか、今は閉じちゃいましたけど、志ん生・談志をメインに、戦後のホール落語の膨大なリストを惜しげもなく公開していたあのサイトとか、とか、とか。自分のサイトでも、ああいう凄い情報を公開できたらなァ、と思うわけです。だけど、実際に大量の落語の音源を持っていたり、志ん生・文樂・圓生といった大御所のナマ高座を経験している諸先輩には、もうしょせんかなうワケがありません。 じゃァ、そういった方々とだって、ことによったらタメで張り合える領域かもしれない、と言うんで目を付けたのが、明治・大正期の寄席演芸の資料、というところでした。さすがに大正時代の寄席を知ってるよ、という人はもうそんなにご存命じゃないでしょう。去年亡くなった小さん師匠だって、ハッキリとした記憶として3代目小さんを聴いた覚えはないそうですからね。そこで、乏しい手持ちの資料やら、古い新聞記事を集めたりして設けたのが「資料集」というコーナー。中でも「新聞に見る大正期の落語界」は、当サイトの超目玉コンテンツになるハズのものです。だけど最近、仕事の都合などで、更新がなかなかできずにいて、内心忸怩たるものがあります。すいません。 落語会のレポートを公開し始めたために意地になって寄席通いするようになった、というのと同じ理屈で、「資料集」みたいなコンテンツを立ち上げると、そのタメに資料探しに出かけるようにもなりました。もともと古本市の類にはポツポツと顔を出す方なんですが、そっちに通う頻度も、高くなった。つくづく身の因果を感じますし、本末転倒のような気もします。だけど、少々意地になったお陰で、なかなか面白い資料に出くわすことがしばしばでした。明治・大正期の資料は「資料集」の中に置いてありますが、ときには昭和の資料も手に入る(数から言えばこっちの方が圧倒的に多いんですがね)。そんなものでちょっと面白いなァと思ったものについては、ときどきの「更新履歴」からリンク張ったおまけのコーナーみたいなページで紹介しています。たとえばコレとかコレ。そのほかにもポツポツありますんで、そんなものを探していただくのも一興かと。 そうそう、「更新履歴」には毎回かならず「今日の一言」というのを掲げてます。これがどうも評判がいい、というか、「あれ、楽しみにしてます」という反応は何度か頂戴しました。落語のフレーズ、好きなんです。これもたとえば「子ほめ」なら現在だいたいの人が言う「こういうお子さんに蚊帳吊りたい首吊りたい」なんていうのじゃなくて(このフレーズも好きですけどね)、「この人のこの噺じゃなきゃァ」というフレーズ限定です。ここら辺りにも「世説噺語」っぽさが主張できているかもしれません。 ちなみに第1回の「今日の一言」は去年亡くなった小さん師匠の「強情灸」の一言「えぇ、ようがす」でした。小さん師の「強情灸」、私はこの一言が大好きです。勝手な想像だけれど、小さん師匠もこの一言が言いたくて「強情灸」やってたんじゃないか、と思ってます。 なんかもうとりとめがなっくて面目ありません。まァ、とりあえずこんなところで。 (この項ここまで) |
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