大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(33) 2002.05.20 ■漢方ときかん坊(11)


漢方ときかん坊  〜その11〜
「季刊『芸協』その1」

桂 歌助

 平成13年春、田澤祐一・落語芸術協会事務局長から、
「協会の機関誌を出せないか。それについて智恵を貸して欲しい」
と、私とおとうと弟子の桂歌若に話が来ました。ちょうど、歌若が真打披露興行を行っている最中です。『寿限無』と言う機関誌が一度発行され、休刊から約八年たっていました。

 落語協会さんの『ぞろぞろ』に対抗して出した 『寿限無』も資金面、編集者の不足等の理由で打ちきりになり、それ以後協会誌はありませんでした。その失敗を踏まないためにも、低予算で出せる物とを、という考えで
「講談協会や浪曲協会などが出している形の機関誌を模して、もう一度(機関誌を)出したい」
と言うのが事務局長の希望でした。そして「季刊『芸協』」を、私と歌若さんが引き受ける形になり、始まりました。

 『寿限無』は写真週刊誌の形でしたが、季刊『芸協』はA3の表裏の記事中心の新聞形式です。二人は、ホームページに載せるために写真を撮り、ホームページ上での芸協ニュースやメルマガの芸協Eメールマガジンを出していますので、載せるデータは十分にあります。それに、二ツ目時分には二ツ目だけの落語会『新風(シンプー)寄席』に合わせて『新風ニュース』と言う機関誌を出していましたので、独学ですが、新聞編集もやっておりました。新聞を作ることは難しくありません。ただ、これは協会の公式な書面ですから、我々が勝手に原稿を作って発行という訳にはいきません。会長なり理事会の承諾があって始めて発行されます。じゃあ、協会のホームページは公式じゃないのか?もちろん公式です。ただ、やはり今の時代は書面の方がずっとずっとその価値は重いのです。

 ホームページのニュースや芸協Eメールマガジンは即時性が重要です。私の判断で、お客様にお知らせしよう、と作っているものです。いちいち桂文治・落語芸術協会会長に許可を願っていては時間がかかりますので、事務局との連携でやっています。最終的な責任は事務局長になりますが、雑誌の発行人は文治会長ですから、会長の許可なしに文書はできあがりません。それだけ、機関誌は発行まで大変なのです。言い換えれば、新聞発行は協会の公式行事、WEBはまだ準公式行事なのです。毎日配達される全国紙の紙面が正式で、そのホームページは補完というのと同じ感覚です。ですから、ホームページは私の趣味の延長戦とでもいいましょうか。本業の片手間にやれる、と思いましたが、機関誌は仕事です。しかも、公式文書を発行する感じですから一文一文に神経を張らなければなりません。全ての文章が会長から発している、と世間では思います。それだけ編集責任は重いのです。でも、いちいち会長に裁量を仰いでいたのでは手間もかかります。ですから、お願いして、心安い理事の方に編集責任者になってもらいました。三笑亭夢太朗師匠です。夢太朗師匠に原稿をチェックをお願いして、協会員、特に幹部の師匠との接点になってもらえるという事で編集作業に入り、ふたりの間でWEBの管理責任は私、季刊『芸協』の管理責任は歌若ということになりました。

 その理由は

  • 夢太朗師匠、田澤事務局長も交えての創刊号の編集会議があったが、私は東海道四百年祭宿場寄席の真っ最中で、休まざるを得なかった
  • 真打披露興行の合間で、歌若が事務局へ行く機会が多く、興行が終わってからは、彼が動けるようになった
  • 協会と歌若のパソコンがWindows 、私はMac
  • 編集ソフトの互換性が彼の物の方が良かった
  • 協会のパソコンを使いこなす能力が私より彼の方が上
 などです。

 歌若の編集能力・パソコン能力と、献身的な協力に感謝します。

 機関誌の創刊号は平成13年8月1日に出そうと決めてから、編集作業にかかりました。ちょうど、8月31日は「はなし塚まつり」の第一回目に当たり、宣伝効果は最高です。編集に気合いが入りました。

つづく



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