(30) 2002.04.22 ■漢方ときかん坊(8)
漢方ときかん坊 〜その8〜
「落語芸術協会のホームページの立ち上げ(1)」
桂 歌助
我が落語芸術協会のHPが始まったのが平成11年(1999年)の秋です。正確な日は不明です。トップページに「'99/11/16より累計(数字)番目でぇぇす」となっていますが、一度カウンターが動かなくなり、改めて累計を数え直した覚えがありますので、平成11年11月16日より、10〜20日くらい早かったでしょう。この年は私の真打になった年、協会の会長が交代した年と、私にとっても協会にとっても変化が激しい年でした。
私の真打披露興行の最中に、事務局からHP制作の依頼がありました。真打披露後、東海道一宿一席で2カ月間旅をしましたので、準備は9月に入ってからでした。サーバーはSo-netに置く事は私が担当になった時点で決めておりました。SさんからSo-netの担当に話が行き、協会事務所で打合わせ、と、手続きはスムーズにゆきました。協会の公式サイトですから、独断で作るわけにはゆきません。いくつかの問題がありましたが、そのつど事務局と相談しながらやっております。
1、協会のパソコンとOS、ネット環境を刷新
それまでの協会のパソコンは型が古く、最新のOSを入れる事ができません。買い替えが必要です。私はマッキントッシュを使っているので、協会のパソコンもその方がありがたかったのですが、事務所はそれまでWindowsでしたから、事務員も慣れているWindowsマシンにしました。購入からメインテナンス、補償も全て業者にお願いしました。それが後のトラブル発生時に役立ちました。パソコンが動かなくなった時にすぐに来てもらえる人がいるのは何と言っても心強いし、責任を持って管理してくれます。多少値段がかかっても、業務に支障が出ないようにしなくてはなりません。個人の趣味でしたら量販店で買って壊れても、自己責任で処理しますが、協会のパソコンはそれではまずいので、何かあったらすぐに来てもらえる体制を作っておいて良かったと思います。
2、ドメインをどうするか
ドメインは私のサイトのようにhttp://www02.so-net.ne.jp/~geikyo/とする形とhttp://www.geikyo.or.jp/の形の二通りが考えられますが、後者の方は独自ドメインでお金が余計にかかります。そのことを協会の会長はじめ理事の方に説明するのが大変でした。
ネット担当の理事の方を選出してもらいましたが結局パソコンを持っていませんので、話が前へ進みません。月々いくらかかると、金額だけを説明したのですが、かけた金額だけの効果は得られるのか、元が取れるかなどの心配もありましたが、こればっかりはすぐに効果が出るものではありません。漢方薬のようにじわじわ効いてくるものですから、返事に困ります。私の師匠、桂歌丸がその時副会長になっておりまして、結局ドメインは独自のものを取る、と言う方針となり、いくつかの候補の中でhttp://www.rakugo-geikyo.or.jp/となりました。落語協会さんがhttp://www.rakugo-kyokai.or.jp/となられて、たまたま似た形式でとれたので、良かったと思います。
3、ホームページの内容をどうするか
オープン当初の基本的な姿勢は
「ネットを使って落語会を増やし、落語ファンも増やす」という事です。
(1)お客様が欲しい情報を提供する。
(2)協会事務所にある物でお客様にお知らせしてもいい情報は全て載せる。
(3)協会員を出来るかぎり公平に載せる。
この姿勢は変わっていません。伝統の古い社会ですから、この3つが全ていっぺんにできるようにはなりませんが、徐々に変えていこうと思います。
ホームページの内容は、
A、協会案内
これは芸協のなりたちです。これから発展して平成12年に70周年記念として、芸協70年の歴史を改めてまとめました。
B、業務案内
寄席興行と特別興行にわけて紹介しております。サイトのある寄席は、リンクを張り、ない寄席はこちらで作成して載せています。特別興行は寄席以外の協会主催の、公演の情報をお知らせしています。
C、地方公演案内
落語会を開きたい方のために会員をご紹介します。
D、芸協ニュース
最初は協会のニュースを載せておりましたが、メルマガを創刊してからは、そちらで情報を配信しております。
E、会員名簿
私個人のサイトに載せていたのを協会に移しました。個人情報ですので、協会から各会員にアンケートをとり、それを載せております。まだ、載せていない会員は、返事が届いていない方です。写真に関しては、公演中の写真等で協会にあった物、私が持っていた物を載せています。
F、業界リンク
これも私のサイトでやっておりました物の中から、業界関係のものを移しました。
J、らぶりー★げいきょう
お囃子の師匠が、舞台袖から観ている、楽屋と客席風景をエッセーにして載せてもらっています。
つづく
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