大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(21) 2002.02.15 ■長井好弘春夏秋冬ほめ殺し(4)


(4)冬の巻「あの日、あの時、あの場所で」

そして、ほめ殺しのトリは、図々しくも「演芸ネットナビゲーター兼アジテーター(何それ)」として、わたくしとりばかまがとることにいたします。


「あの日、あの時、あの場所で」

とりばかま

といっても、別に小田和正の曲ではありません。長井さんとわたしとの秘められたつながり?のことです。これはちょっと自慢してもいいかもしれない。

実は、わたしは、この本に出てくる「定点観測」と同じ日に見ていて、しかもそれを@nifty「しあたー名人会」にレビューとして書き込みしています。本になった時にそのことを知って、ちょっと驚くと同時にうれしくなりました。

おこがましくも、並べさせてください。

まず、長井さんの文章はこちら

そして、わたしのレビューは以下のとおりです。

R/金原亭馬生襲名披露興行(10/4)

テケツの前に立ったら、横から
「いやあ、いらっしゃるんじゃないかと噂してたんですよ」の声。

え?!と思って見ると、呼び込みをしていらっしゃったのは、何と、ジャケット姿の円菊師匠でした(^^)。

10月4日(月)
末広亭 10月上席 夜の部 4日目
十一代目 金原亭馬生襲名披露興行

(途中から)

星野屋金原亭 世之介
漫談三遊亭 歌之介
壺算むかし家 今松
音曲柳 家 亀太郎(代演)
代書屋柳 家 権太楼(代演)
宮戸川古今亭 円 菊
太神楽翁 家 勝之助・勝 丸
強情灸古今亭 志ん朝
 お  仲  入  り
 襲名披露口上
円菊(司会)・志ん朝・馬生・伯楽・円歌
ギター漫談ペペ桜井(代演)
中沢家の人々三遊亭 円 歌
真田小僧金原亭 伯 楽
漫才あした 順 子・ひろし
芝浜金原亭 馬 生

めったに定席には行かないのですが、やはり大名跡の襲名披露興行。足を運んでみたくなり、会社の帰りに寄りました。椅子席は8割がた埋まり、桟敷がそれぞれ10人程度の入り。

代演でも、この顔ぶれなら許せる(^^)。

ぺぺ桜井先生と亀太郎さんの和洋弦楽器奏者(^^;)を同じ番組で見られたのが嬉しかったなあ。権太楼師の「代書屋」、あの「コロンビア大学!」も聞くことができたし。

口上は残念ながら(^^;)ごく普通のものでした。

とはいえ、司会の口上口調でも、円菊師ってやはりいつもの高座の雰囲気のままなんですね。あたり前なんだけど、何か妙な心持ち。

そして新馬生師の「芝浜」。

芝の浜から始まる心理描写を重視したそれではなく、亭主が酒びたりになった事情からはじめて、状況を丁寧に、かつ淡々と語ってゆき、物語を進めてゆきます。このパターンの「芝浜」を聞くのは初めてなので、新鮮でした。

「落語の登場人物すべてに上品さ、善人さを感じる」(パンフより)師匠だけあり、おかみさんも非のうちどころがないくらいに優しいのですが、そういう完璧なおかみさんだから窮屈に思った亭主は酒に走ったのか…と一瞬思ってしまい、「ここはそういう思考回路をするところじゃない!!」と慌てて心の中でかぶりをふって思考停止 (^^;;;)。

夢の物語、ファンタジーのような江戸前の「芝浜」、そして江戸前の新馬生師の噺、しみじみと聞き入りました。

重なる言葉から、異なる記述から、その時の高座の記憶がより鮮明に蘇ります。覚えていたこと、忘れていたこと…新しい馬生師匠の「芝浜」への思い、権太楼師の「コロンビア大学!」など、重なる記述はやっぱりうれしいです。

この時、客席に中田キッチュあにさんもなぜかいらしたことや、自分が着ていたセーターの色まで思い出します。確か黄色いセーターでした。

「あっさりとゆーか淡々とゆーか『芝浜は人情噺である』という前に『落語である』ことを感じました。この新・馬生師匠は木挽町生まれということもあって、江戸っ子の照れ・抑制みたいなもんがあるのね。『泣かそう!』とか『感動させよう!』とか、そうやって力を入れるモンじゃないんです、落語ってのは・・・と言ってるような気がしました。

(で、「定点観測」についてはどうですか?)

ああ、あの本は買ってないんですよ。ネットでは読んでたけど。本は芸人さんとかに見せてもらった。感想ですか?『俺もやりてぇ〜(爆笑)』」(by 中田キッチュ)

*        *        *        *

わたしは、今、静岡という、定席をちょっと離れた場所にいます。この日のように、会社の帰りに気軽に寄席や落語会に寄れる状態では残念ながらなくなってしまいました。今になって思うと、その時の幸せな記憶が、何よりもかけがえのない瞬間のように思えてきます。退屈な時間でさえも。

今、ネットでさまざまな方々が演芸について書かれている文章を読みます。みんな、ひとりひとりの幸せな記憶をそれぞれの形でとどめるために、ネットに記録を書いているのだなあ、ということをつくづく感じます。その幸せな記憶をお仕事でなしに「江戸・網」というネットを通して分け与えてくださり、それのみならず本として出してくださった長井さんに感謝。

これからも、長井さんの言葉に乗せられた方々の手で、寄席の客席のひとりひとりに、どうか、幸せな記憶が、言葉が増えてゆきますように。


ここまでの参考

北海道新聞「ほん」

*読売新聞1999.07.18[夢もよう人もよう]
  インターネット上に江戸博物館を作った工藤裕司さん(長井好弘)

*雑誌・東京かわら版1998.4〜1999.3
  「一問三答による講談入門」(田邊孝治・保田武宏・長井好弘)

つづく



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