「私の定点観測論」
小田部雄芳
このたび「新宿末広亭・春夏秋冬定点観測」の長井好弘さんについて書かせてもらうことになりました、ライターの小田部雄芳(こたべかつよし)と申します。熊八メーリングリストでは小太郎という名前で参加していまして、個人的には「落語葛飾亭」というサイトを作っております。今後ともお見知り置きを……。
「ライターとしての立場から、長井さんをホメ殺ししてほしい」という依頼なのですが、実はそんな器用なことが私にできるのかどうかわからないんです、今でも。しかし、「ライターとして」という枕詞がある限り、どうしてもこの依頼は受けなくてはならないと思いました。
私は落語のことを専門に書いている訳ではありませんが、本心は、「落語、演芸について納得させられる文章の書ける」ライターでありたいと思ってます。
他に演芸ライターが数いる中で、わざわざ私を指名してくれたことに対し「ごめんなさい、できません」とは言えないんです。ですから、長井さんのご希望のように「面白おかしいモノ」に仕上がらないかもしれませんが、率直に、自分にとって「定点観測論」とは何だったのかを真面目に述べ、これから自分のやりたい仕事のタシにしようと思っています。
◆始めは、鼻で笑ってた
「定点観測」を初めて手にとったときに、「フン」って鼻で軽く笑ったんです、実は。何故かというと、ある新聞(読売じゃなかったと思うけど)で「定点観測」の書評が出たとき「毎日末広亭に通い詰めた……」って書いてあったんです、確かに。「そうか、毎日通ったのはすごいな、これは読まなきゃ」って思って購入したんです。
ところがどうです、見ると「毎日」じゃないんですよ、末広亭に通っているのが。誤報だったんでしょうね、多分。正しくは、「1年間の全芝居全て」だったんですよ。そのころ私も「全て」ではないけども、月に5、6回は寄席に足を運んでいたんで、そんなの大したことじゃないと感じたんです。でも「全ての芝居の前座からトリまで、全部の高座を見た」というなら尊敬してやろうじゃないの、って思ったんです。しかしその希望も呆気なく打ち破られました。見ている高座は大体が仲入りちょっと前からだったんですね。しかも「1年間」といいながら、途中の2カ月は別の人が書いている訳ですから、「ちょっと〜いいかげんすぎない〜」って、正直思ってしまいました。そして「そうか、大新聞のバックがある人は、それでも本を出せるのか、うらやましいな」なんて、不心得なことを思って読み始まったんです。
読み終わった結果、私がどう思ったかは今さら繰り返しません。まずもって、始めに私がこのように思ったことが恥ずかしく思い、長井さんに心からおわび申し上げたい気持ちでいっぱいであります。
◆面白く再現する力こそ必要
回りくどいことを抜きにして、結論からいっちゃいます。「新宿末広亭・春夏秋冬定点観測」を読む限り、長井さんが持っていて私が持っていないものは、主に次の3つかと思います。
1、ほとんどの寄席芸人を心から愛する温かさ
2、些細なことも見逃さない、鋭い観察眼
3、昼寝や体調不良など、自分のマイナスの要因までもを微笑ましく感じさせる文章力
本当は4つ目に、「キャリアと大新聞の看板」というものを挙げたいのですが、これはあんまり言わないほうがいいでしょう。
1と2に関しては、今さら言う必要もないと思います。「定点観測」の読者ならほとんどの人がそう思っていますし、私自身、最近は及ばずながらそのへんの感性は持てるようになっていると思います。これからの私が長井さんに追い付き、追い越すためにも、何よりも大切に思わなければならないのは、3の「文章」でしょう。
実は私は、熊八メーリングリストに登録していながら、その投稿のほとんどを占めている寄席や落語会のいわゆる「レポート」という類のものは、あまり読まないんです。それは、実際にその人が見た高座の様子が、ただダラダラと書かれていても面白く思わないからで、下手すると「知りたくない」未知の噺のネタをばらされることにもなるからです。だから今だに、自分からは単なるレポートのようなものは投稿しませんし、自分が見てきた落語会の様子をただ書いているだけのホームページも、そんなに読みたいと思わないんです(これを見ている人でやっている人いたら、ゴメンナサイ)。もちろん、自分のホームページでもそんな「レポート」をやっても無意味だと思っていました、1年前位までは……。
ところがですよ。
「定点観測」を読んだことによって、「落語・演芸について書けるライターになりたいなら、まずそのレポートをきちんとやらなきゃなんないんだ」って思ったんです。そして、人が書いたレポートが「つまらない」だとか「無意味だ」とかいうならば、そうでないものを、ある程度不特定多数の人が読んで「なるほどな」と思うものを書いていかなきゃ前に進まないよ、と気づきました。
多分、末広亭の客席で「面白い」とか「つまらない」とか、心の中で感じることって、長井さんでも、私を含めたその他の人でも、同じようなことだと思います。それを紙面で誰が見ても面白いと思えるように書いているのが、私たちと長井さんの決定的な差なんですよ。仕事が忙しくて早い時間に来られなかったこと、客席で昼寝したこと、客席のオバちゃんが話したこと、その日のエアコンの具合まで、とにかく面白く再現されているんで。それを「私もできるようになろう」そう心に決めたんです。
かつて読んだものに感動し、「心の師匠」と感じているジャーナリスト、ノンフィクションライターが何人かいます。もちろん、今だにその人たちを尊敬していますし、目標としていますが、こと「落語・演芸」に関しては長井さんはその一人になった……というのは「ホメ殺し」のための言葉ですけどね。
◆改めて思う価値
大体話したいことは以上ですが、実はこのために急いで「定点観測」を読み直してみたんです。
改めて、面白かったですね。何がというと、この本の中には、志ん朝、三木助、右朝が生きているんです。そしてその高座の様子が、目を閉じれば浮かんでくるように、生き生きと描かれているんです。特に私にとっては、右朝の高座が描かれているのが、嬉しいですね。あとで読み返してこういうことが思えるから、日記、レポートといったものは大切なんでしょうね。
それと、「長井さんにいいたいこと」もオーケーと聞いているんで、付け加えさせてもらいます。
まず、確か数年前に、私の「葛飾瓦版」に長井さんからリンクお願いのメールをもらっていると思うんです。ホームページを更新する気もなかった私は、このメールに返事すら書いていません。そのときの失礼を心よりおわび申し上げます。
次に、つい最近の1月12日、私も熊八メーリングリストのオフ会に参加する予定でした。その折にご挨拶させていただこうと思っていたのですが、風邪でダウンしてしまい、それができずに残念でした。ぜひとも改めてそういう機会を作らせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
長井さんの文章は、数多くのキャリアの積み重ねから出来上がってきたものなのです。ある時は新聞記者としての、またある時には演芸ファンとしての、またある時には単なる道楽者としての日々のたゆまぬ努力の積み重ねが現在の地位(?)を作り上げた・・・わけですよ・・・ね?たすけさん?