長井さんの文章の力なのでしょうか、一年間続けられたネット連載の強さなのでしょうか、それとも「本」になったことによる影響力の強さなのでしょうか、それとも「定点観測」という事実の持つ重みなのでしょうか。
「新宿末広亭〜」が、他の演芸本とは異なる大きな点は「読んだ人をその気にさせてしまう」ことでしょうか。寄席に足を運びたくなる、見た演芸について文章を書きたくなる、その文章が長井さんになぜか似てくる、長井さんの顔が見たくなる、被害者続出です。
私は長井好弘さんの崇拝者ですね。
忘れもしません。一昨年の年も押し詰まったころ、書店で「新宿末広亭『春夏秋冬』定点観測」を見つけて、ふと手に取りました。まず、なんて酔狂なことをやる人がいたもんだと思いましたね。私も中学時代に落語に夢中になっていたころに、寄席の全番組を見られたらどんなに楽しいだろうかと思っていたことはありました。しかし耳が肥えてくるうちに、やはり上手い噺家と下手な噺家がいることがわかってきて、つまらない演者が出ているような番組は見たくないと思うようになっていった。普通、そうですよね。それが、関係なく全ての番組を見てやろうとする。唖然としました。
立ち読みのつもりで拾い読みを始めたのですが、読み出したら止まらなくなってしまった。これまで落語に関する本といえば、どちらかというと堅苦しい本が多かった。読んでいても、落語の楽しさがあふれかえってこない。それが長井さんの本には、落語の楽しさがあふれかえっているんです。それからもう時間を忘れて読みふけっていました。そして、この本を読んでいるうちにむしょうにナマの落語が聴きたくなってきた。
それと同時に自分にもこんな文章が書けたらいいなあと思うようになっていったのです。私は自分のホームページを持つようになっていて日記形式で、いろいろなことを書いていたのですが、以前から芝居や落語会のレポートのようなことを書きたいと思うようになっていた。ところが書き方がわからなかった。長井さんの本はもう目から鱗でしたね。そうかあ、こうやって書けばいいんだ。長井さんの文章のように落語の持つ楽しさを自然に伝えればいいんだ。それで「客席放浪記」と題して落語会のレポートを書くようになったんです。
ところが、実際に書き始めてみると、自分でも書けると思っていた長井流の文章が実は難しいものだとわかってきた。文章にしようと思っても、歳のせいもあって聴いた噺やくすぐりを忘れてしまっている。メモを取らなきゃとメモを取るようになったんですが、噺家さんの話すスピードはものすごく早い。とてもエンピツが追いつかない。さすが長井さんは新聞記者だと感心してしまいました。それだけじゃあありません。落語会から帰っていざ自分のホームページに文章を書こうとしても長井さんのようにはいかないんだというのがわかってきた。長井さんのは、単にレポートしているだけじゃなく、きっちりと噺をまるごととらえて見事に文章化している上に、演者への感想、的確な批評ができている。こりゃあかなわない。
さらに「定点観測」十月下席・夜の部の記述がひっかかったんです。興津要先生との交流のことをお書きになっている部分でこんな文章があった。
たまに会うと「おう、新聞記者」なんて声をかけてくれた。いつだったか台東区役所の近くの「翁庵」で、カレーうどんをご馳走になったことがある。
私は人形町で翁庵という蕎麦屋を営っているのですが、上野の翁庵というのはわたしの親戚筋にあたるのです。そのこともお伝えしたくて、思い切ってメールしてみました。すぐに返事がきました。私のページをほめてくださって、「でも私の書く文章に似ているなあ」と添えてあったのにはいたたまれなくなりました。文章に関してはまったくのどシロートなものですから、どうしても真似をするしかなく、似てしまう。
一度ゆっくりとお話がしてみたいのですが、長井さんの「寄席さんぽ」オフ会でチラッとお話しできたのと、鈴本演芸場で一緒になって立ち話ができただけ。
長井さんという人は、落語界の救世主みたいな人です。長井さんの文章を読んで寄席に行くようになった人が、私以外にも絶対に多いはずです。噺家さんとの交流も深いし、それに一般の単なる落語好きにも優しいですよ。みんなで一緒になって演芸を楽しもうとしている。
ちなみに、私がパソコンの前にいるのはたいてい朝の一時間程度。必ずまずはインターネットにつなぎ、最初に長井さんの「寄席さんぽ」が更新されていないかチェックする。更新があった日はたいへん。文章を15分〜20分かけて熟読することになる。…長井さん、だんだんと文章が長くなっている傾向がありますね。きっと新聞での字数制限の不満がここで爆発しているんでしょう。毎回教えられることが多くて参考になるし、自分のページの反省になっていく。掲示板も覗くんですが、ここに何か書き込むと、必ずレスを返してくれて、気が利いていて、書き込んだ人をいい気持ちにしてくれる。優しい人なんだなあと思いますね。