大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(13) 2001.10.08 ■志ん朝師匠を悼む言の葉・そしてネットで。

10月1日、古今亭志ん朝師匠が亡くなられました。享年63歳。さまざまなサイトで、媒体で、数多くの方々が、それぞれの立場から、言葉を尽くされて追悼の意を述べていらっしゃいます。

(順不同・肩書は原文のまま)。

「これほど大きな喪失感はない。古今亭志ん朝は落語界の宝であった」
(吉川潮(作家・演芸評論家)・静岡新聞10/6)

「志ん朝一門にとって、今年は大変な厄年である。弟子の右朝が亡くなり、志ん上が廃業、そしてあろうことかご本人が死出の旅に出ようとは」
(保田武宏(演芸評論家)・読売10/3夕刊)

「知っていて書けない、妻の聖子さんにも声がかけられない…。記者としてつらい一か月ちょっとだった」
(花井伸夫・スポニチ10/2)

「長嶋さんが『ミスタープロ野球』なら、志ん朝さんは『ミスター落語』だった。いろんな個性がある落語家の中で、明るくて、達者で、本寸法を外さない芸。古典落語があるべき最大公約数の『型』を表現する最大の存在でもあった」
(京須偕充(ソニーミュージックプロデューサー)・朝日10/2夕刊)

「古今亭志ん朝は、父志ん生がそうであったように、なにをどうしゃべっても落語にしおおせてしまう魔力をそなえていたと言っていい」
(矢野誠一(演芸評論家)・毎日10/3夕刊)

「芸風は、流麗にして端正、緻密(ちみつ)にして饒舌(じょうぜつ)」
(大友浩(演芸情報誌編集長)・産経10/2夕刊)

「天性の明るさとリアルな人間描写。それとスピード感が相まって、古典落語の登場人物たちが生き生きと立ち上がった」
(共同通信ニュース速報・10/2)

「尊敬していた三木のり平から教わった体の線の生かし方など、演劇的な手法を取り入れて、江戸っ子らしい粋な雰囲気と畳み込むようなスピード感を併せ持つ独自の古典落語を確立した」
(読売新聞10/3) 「滑稽噺から人情噺までを精緻(せいち)にして幹太く演じ、江戸落語の粋とあでやかさ、楽しさを現代に息づかせ、一方で最期の演目となった8月20日の『男の勲章』など新作も手がける柔軟性も備えた人だった」
(花井伸夫・スポニチ10/2)

「青年期の、匂い立つような『いろ』を持ち続ける大看板だった」
(朝日「素粒子」10/2夕刊)

「優れない体調を気力でカバーする。とりわけ晩年は、命を落語界にささげ尽くしたとも言える鮮烈な生きざまだった」
(増淵安孝・東京新聞10/2)

「芸の華を大切にした志ん朝さんは、あるいは老残の姿を残したくなかったのかもしれない」
(京須偕充・朝日10/2夕刊)

「世の風潮と同じで、そこそこできる人ばかりがずらりと顔を並べている落語界が、唯一傑出した存在を失ってしまったということだ」
(矢野誠一・スポニチ10/2)

     *        *         *         *

ちなみに。

訃報を、わたし(とりばかま)は、ネットで知りました。お昼過ぎ、ネットカフェに入り、立ち上げのyahoo!の画面を見た瞬間、絶句しました。(1)

そこでは、ニュースと共に一般人のファンサイトとお弟子さんのサイトがリンクされていました。もっとも、お弟子さんのサイトへのリンクはしばらく経ったら削除され、それからもうしばらく経ったら、そのページ自体を見ることができなくなっていました。

リンクされていた関連サイトは、落語に詳しい人の目から見た場合は、必ずしも的を射たものだったとはいえません。とはいえ、第一報とともに、即座に関連サイトをリンクさせたところに、ネット案内人としてのYahooのプライドと凄さをひそかに感じました。

 インターネットという場所では、何かニュースがあった時には作った側のサイト制作の意図とは関係なく数多くの人々が数少ない情報を求め、つながりがある、というだけでサイトは検索がかけられ、そして即座にそこでの対応が問われてしまいます。

 それが公式サイトや芸人さんのサイトであれば更に。

そういう意味では、「東京かわら版ネット」が「ログを関係者に渡す(かも)」ということで即座に「追悼掲示板」を立ち上げ(2)、多くの良心的な書き込みを得たのは、的確な対応と「かわら版」への信用があってのものだと思います。

(1)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20011001-00000003-yom-soci
   ※現在は見ることができません。

(2)http://www.tokyo-kawaraban.net/(「掲示板」より入ります)
   なお、掲示板最初のタイムスタンプは10/1(月) 22:28:43となっています。



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