大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(7) 2000.9.24 落語をインターネットで(6)
 〜落語協会の場合(4)〜

(4)落語協会・ホームページへの道?

落語協会の機関誌「ぞろぞろ」誌上に、「協会がインターネットホームページを作ったら?」という話が出てきたのは、99年の新春号のことです。

落語協会会長の三遊亭円歌師匠・副会長古今亭志ん朝師匠に、「ぞろぞろ」編集長で落語協会理事の三遊亭円窓師匠が聞く、という記事の中で、なんと、会長の口から「インターネット」という言葉が出てきています。

円歌  インター・・・、ネット・・・ってえのかい。あたしはわからないけど。
円窓 会長の口からそういう言葉が出ると、嬉しいですよね。できますよ。やらなくちゃいけません。
円歌 なんか、このあいだ、女の性風俗かなんかでやったら、ワーッと人が集まって評判になって。
円窓 そうなんです。協会でもそういうことができるんです。
円歌 性風俗?
円窓 そんなことはしませんよ、我々は。インターネットで協会の情報のホームページを作るわけです。協会から落語情報を全世界に送信しますから、地球の裏側のブラジルで協会の情報を見てくれます。で、「日本へ帰ったら、寄席へ行こう」ってことにつながるわけですよ。
円歌 やろうよ、それ。ねェ、志ん朝さん。
志ん朝  やりましょう。
円窓 トップがゴーサインを出してくれれば、若手は大喜びですよ。

(「ぞろぞろ」99年新春号「会長・副会長に訊く」より)

インターネット、と言ったら、会長の口から即座に「性風俗」という言葉が出るところが噺家さん的?という感じがしなくなくもないではないですが(^^;)、インターネット戦略を進める上において、まず会長・副会長のOKが出た、という点が大きかったようです。

落語協会会長の三遊亭圓歌師匠は、1960年代のテレビでの演芸ブームの頃、ご自身が故・林家三平師匠などととともに、テレビやラジオに積極的に出て人気者になりました。

そして、そのことによって寄席に客を呼んだ、という自負があり、それがインターネットという新しいメディアを使うことに対して積極的にOKを出すことができた理由のひとつのようです。

この時点では、10人弱の落語協会所属の噺家さんが、個人単位でのHPを作って公開していました。そして、寄席定席も鈴本演芸場を筆頭にいくつかの定席がホームページを作っていました。

とはいえ、実際にプロジェクトとしてHP作成が動き出したのは6月の理事会の後で、そこから「インターネットでの落語中継」という構想も出てきました。

「いよいよ落語の総本山と言うべき落語協会が『公式ホームページ』をスタートさせることになったのです。どこのホームページにも負けないような、内容の充実した『さすがは落語協会ホームページ!』と言われるものを作らなくてはいけません。」

(「ぞろぞろ」 '00 紅葉号 春風亭正朝師匠「公式ホームページ鋭意準備中」)

そして、HPをもっていらっしゃる噺家さんやパソコン通信で活躍されていた方を中心に「落語協会HP制作委員会」が結成され、公式HPへとつながってゆきました。

メンバーは三遊亭円窓師匠、春風亭正朝師匠、五街道雲助師匠、古今亭菊千代師匠、柳家三太楼さん、横目家助平さん、柳家三之助さん、大空遊平・かほりさんらが主なメンバーです。実質的に中心になったのは三之助さんをはじめ、特に詳しい数人だそうです。

(続く)

落語協会



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