3ヶ月ぶりの乾坤をお届けする。なぜ、3ヶ月も空いたかというと、熊谷対世志氏ことクマさんの死が尾を引いていたことは確かで、もちろん、その間、仕事もしていたし、d'Theaterの公演もあったし、芝居も観に行ったりしていたのだが、どこか落ち着かない感じがあり、いや、それはいつものことかもしれないが、いろいろ書いても、途中までで、最後までまとまらず、そのままにしていたということなのだ。だから、書きかけの原稿はいくつもある。だが、その文章は、まったくまとまってなく支離滅裂で、とてもそのまま発表出来るようなものではない。その原因はわからないが、おそらく、いろいろ疲れていたのだろう。クマさんの死によるストレスかもしれない。今も文章をまとめる思考能力が完全に戻ったといえるかどうかわからないが、いや、相変わらずの駄文かもしれないが、とりあえず、乾坤を再開することにした。書きたいことを好きに書きゃいいさ、という思いが、改めて生まれたのだ。クマさんの死についても、韓国の友人たちにも直接知らせることが出来、「クマさんのいない、クマさんを囲む会inソウル」も行うことが出来たし、一区切りついた感じ。そう、9月の初め、1年ぶりにソウルに行って来たのだ。休んでいたここ3ヶ月の話は、追い追い報告していくとして、まずは、ソウルの話から。1回じゃ終わらないと思うが。
今回は、9月2日の水曜日から5日の土曜日まで、ソウルに行った。なんで日曜までいないの、といわれそうだが、6日の日曜日にスクールの体験入学があったので、それに間に合うように帰って来たのだ。もったいない話だが、サラリーマンだから仕方がない。とはいえ、平日にこんなに休ませてくれるのだから感謝している。まぁ、今は授業に直接入っていないから。
今回の渡韓の本来の目的は、本当だったらクマさんと一緒に行くはずで春から楽しみにしていた、長男のみんとが演出助手をしている東京ギンガ堂とソウル市ミュージカル団の日韓合作の初のミュージカルという、NHKのニュースでも取り上げられた公演を観に行くことだったのだが、思いもよらないことが起き、クマさんと行けないばかりか、そのクマさんの死を、直接韓国の友人たちに伝えることが重要な目的になってしまった。ちょうど1年前、クマさんや福岡の薙野さん、ハンキンさんらと訪れ、また一緒に行く日を楽しみにしていたのが、こんな形で再訪することになってしまうなんて……まったく、明日のことはわからない。他にも、親バカとして、2ヶ月近く韓国に行っている長男の慰労もあるし、その公演『サウンド・オブ・サイレンス(沈黙の声)』の初日(4日)を観るということ、そして、d'Theaterの韓国公演(まだ決まったわけじゃないが)のための視察と韓国演劇との交流を深めるという目的もある。
今回の渡韓は、最終的に12人という大所帯のツアーになり、まるで、劇団の公演で行くようだった。私と妻と友人の劇団道学先生の女優・かんのひとみの3人は2日の午後成田発の便。とりいちえ・清水ベン夫妻と椿組の岡村多加江の3人は2日の夜の便。それ以前に、2日の早い便でクマさんの友人の中村さん、そして、すでに釜山に行っている、クマさんの先輩であり韓国語の師匠で、韓国現代戯曲ドラマリーディングで私が演出した『無駄骨』の翻訳者の青木謙介さんがソウルで合流した。
仁川に着き、毎度おなじみのソウル行きのバス6002で市内に着いたのは夜8時を回っていた。今回の宿は、全員、クマさんゆかりの世和荘旅館だ。青木さんが6月にソウルに行った時に直接行って予約をしてくれた。その時、クマさんが亡くなったことを伝えると、旅館の人たちは驚き、悲しんだそうだ。そりゃそうだろう、クマさんはソウルで、ほとんど世和荘にしか泊まらなかったのだから。私も1年前にクマさんたちと泊まった。鍾路3街のバス停で降り、映画『接続』で有名なピカデリー劇場(今は改装されて、映画の時とは変わっているが)の前の細い路地を昌徳宮の方に向かって歩く。初めての人だったら心細くなるような裏道を進んで行き、本当にこんなところにあるの、という辺りにさしかかり、モーテルの入口特有の緑の垂れ幕のある角を曲がると、世和荘旅館がある。旅館といっても、当然、日本の温泉旅館のようなものではない。要するに、連れ込み宿のようなものだ。ただ、ここは旅行者の宿泊がほとんどで、日本人も多い。モーニングも無料で食べられる。といっても、トーストとコーヒーだが。それも自分でトースターで焼く。私は残念ながら、朝食は外に食べに行っていたので、ここで食べたことはない。コーヒーは飲んだ。インスタントだが。
さて、世和荘に着き、荷物を置くと、青木さんがさっそくパク・クニョン(もう乾坤にも何回も登場しているのでわかると思うが、クマさんのことを「兄貴」と慕う、韓国で人気の劇作・演出家)に連絡を取ってくれていて、彼の劇団コルモッキルの稽古場に行くことになった。大学路[テハンノ]の成均館大学の前にある稽古場に行くと、パク・クニョンが稽古を中断して我々5人を招き入れてくれた。さっそく、クマさんの報告をする。亡くなったことは、すぐに電話で伝えられたのだが、直接話をするのは初めてだ。クマさんの追悼会の話もし、追悼会で上映したクマさんのメモリーDVDと、写真を渡した。劇団の人たちも紹介され、クマさんのこともパク・クニョンが伝えた。劇団員は韓国映画によく出ている人たちもいて、見たことのある顔が多かった。青木さんはパク・クニョンとは初対面だったが、さすがにクマさんの友人、すぐにうち解けて、いろいろ話が盛り上がった。パク・クニョンの次の芝居の話もし、作者も紹介してくれた。女性の作家でキム・ミンジョンという。演出がパク・クニョンで9月26日から10月4日まで南山アートセンターで上演される。観に行きたいが、そう直々韓国に行けない。とはいえ、実は10月にも行くのだが。
パク・クニョンとの話の中で、やはり古くからの友人の役者オム・ヒョソプ(2001年のアリスフェスティバルに東崇舞台という劇団で来ている時に知り合った)が、去年、現在所属しているコルモッキルでやった『帰って来たオム社長』という芝居で東亜日報の東亜演劇賞の主演男優賞を取ったという話が出た。ヒョソプは、映画『光州5・18』でも、アン・ソンギの部下といういい役で好演している。その芝居には、韓国ドラマで人気のあるコ・スという男優が出ていて(兵役から戻っての初めての作品ということでも注目された)、一緒に行ったかんのが大ファンだという話をしたら、パク・クニョンがその芝居の豪華なパンフレットをくれて、かんのは大喜びをしていた。実は私も『グリーンローズ』でコ・スのファンになっていたので、うれしかったのだが。コ・スは下北のスズナリにも『青森の雨』を観にきたらしい。
稽古を中断させたままでは悪いので、1時間ほどでお暇することにしたら、翌日の夜、芝居を観に行き、その後、一緒に飲もうということになった。またまた、パク・クニョンが招待してくれるというのだ。パク・クニョンが薦めてくれる芝居だから、おもしろくないはずがない。去年の劇団ノルタンの芝居もおもしろかった。我々は、翌日の夜7時半に大学路ロータリーのロッテリアの前で会う約束をして、コルモッキルの稽古場を出た。
その後、まだ、とりいたちが来るまで時間があるので、コルモッキルの稽古場のすぐ近くにある、コ・スヒの婚約者が経営している店に行った。そう、この乾坤にも何度か登場している、数々の賞を受賞した『焼肉ドラゴン』で優秀女優賞も受賞した女優のコ・スヒが、10月に結婚するのだ。実は、その結婚式に出席するために10月に再び韓国に行く。式は10月17日(日)。韓国の結婚式に出席するのは初めてなので、楽しみだ。
スヒの婚約者の店の様子は、すでに来たことのある中村さんから聞いていたが、キューバとジャマイカの雰囲気を模した店で、60人ぐらいは入れる広い店だ。結婚式の時の2次会はここになるのかもしれない。そこで、スヒの婚約者と婚約を祝って乾杯をし(スヒはドラマの撮影でいなかったが、電話で話した)、店を後にした。
その後、日韓合同ミュージカルの稽古を終えてホテルに戻っていた長男のみんとを迎えに、市庁近くにあるニュー国際ホテルに行き、20年以上前から韓国を訪れている青木さんが教えてくれた、鍾閣にあるヘジャング(牛の血を固めたものと白菜等を煮込んだスープで二日酔いに効く)の元祖だという24時間営業の店、『チョンジノッ[清進屋]』で、とりいたちの到着を待ち(世和荘旅館に迎えに行き)、みんなでソウルの最初の夜に乾杯をして祝った。ここは有名な店で、ドラマ『私の名前はキム・サムスン』の撮影にも使われた。その写真もあり、ヒョンビンファンの妻は喜んでその前で写真を撮った。ヘジャングは、おそらく、私も食べたことはあると思うのだが、ここのは臭みもなく、絶品だった。さらに、スユッという茹でた牛肉やネポという茹でた牛の内臓もおいしくて、地元でも人気の店だというのが納得出来た。ソウル初日の夜から大いに食べて飲み、酔いどれてタクシーで旅館に帰り、寝たのは2時過ぎだった。
2日目の朝は、前回来た時と同様、クマさんお薦めの『トゥッペギチプ』に朝食を食べにみんなで行った。キムチチゲとテンジャンチゲ、どちらもおいしい。相変わらず、地元の人で混んでいた。その後、タプコル公園の前を通り、CDやDVDが安くて店員も親切なソウルレコードにみんなを案内し(さっそく、私は何枚か買ってしまった)、一度、旅館に戻った。
その日は、夜、私たちが前日に来たのと同じ便でスクールの石塚とd'Theaterの二人が、さらに遅い便で、『豚とオートバイ』でチェ・バンドンの妻を演じた新山陽子が来る。時間的に間に合えば、夜、大学路でパク・クニョンと会って一緒に芝居を観ることが出来るのだが、とりあえず、それまでは各自自由行動ということにした。彼らは、ソウルに着いたら連絡をくれることになっている。
私は、青木さんと、こちらで会えそうな人たちに連絡をすることにした。それによって、会うかどうか決まるので、予定は何も入れなかった。私にとって今回の訪問は、観光ではなく、クマさんの意志を継いで、韓国との交流を深めていくことが目的だし。
というわけで、1年ぶりのソウル、2日目以降の行動は、次回報告する。
さて、このシルバーウィークは、21日に父母の十三回忌があり、久しぶりに大阪に住んでいる弟家族に会うことが出来た。姪っ子や甥っ子が大きくなっているのに驚いたが(小学校3年と幼稚園の年中組)、ウチの子も大きくなっているし、自分自身も年を取っているのだから当たり前だ。それ以外の休みの日は、まったく外に出ず、久しぶりに家でゴロゴロしているので、こうして原稿もまとめられる。う〜ん、やはり、少しはゆっくりのんびり出来る時間が欲しいものだ。
(2009.9.23)