2009年3月第3週
今期のスクールの授業が終わった。福岡の学校から戻って来て、1年間横浜校に通った後、転職したドワンゴクリエイティブスクールも創立から2年が過ぎた。当然、4月の新学期からは3年目になるわけだが、これがいろいろと、大幅に変わる。内部的なことではあるが、いい方向に変わる(と思ってはいる)のだから歓迎すべきことなのだが、今まで付き合って来た講師陣との別れもあって、寂しい気もする。学生たちとの付き合いは1年間だから、それほど感傷的にはならなかった。福岡の学校の時は2年間だったが、やはり、1年と2年じゃ全然違う。2年間付き合った子たちとは、今も連絡を取り合っているし、芝居も観に来てくれたりする。あ、最後の1年間教えた子たちとも付き合いがあるなぁ。中身なのか、土地柄なのか……そう、授業が毎日あったというのもあるかもしれない。今は、多くて週に2日だし(来期は週5日のクラスも出来るが)。もちろん、個人的にも違いがあるが。
しかし、3月から4月というのは、ホントに別れと出会いの季節だな。花粉症には悩まされるが、冬が終わり、春を迎えるというのにふさわしい、日本ならではの季節感があって、いい。死ぬなら、人の気持ちの区切りもいい、3月がいいかもしれないな。いや、残った人間のことを考えると、せっかくの4月からの新年度に、気持ちが落ち込んだままだとかわいそうだからダメか。じゃあ、いつ、って、別にそんなこと考えてもしょうがないか(笑)。
スクールの詳しいことは、ここで書いても宣伝になる、かどうかは知らないけど(笑)、ここの趣旨とはあまり関係ないので省くが(ま、好きに書かせてもらっているので、趣旨自体が何だかよくわからなくなってきているが、一応、演劇関係のサイトだからな)、4月からは、私が直接、学生たちに教えるということはなくなる。つまり、管理職(?)になるわけだ。まぁ、管理というより、事務的な「教務」という役職になる。あ、別に管理職だからといって、普通の会社のように、出世したというわけじゃないので、お間違いなく(笑)。給料が上がるわけでもなし(笑)。とにかく、大変なのだ、学校というのは。学生の管理や、カリキュラムの作成、教室の確保等々、とても授業をやりながら出来るようなものじゃない。営業的なこともあるが、それは事務方の仕事なので、私の範疇ではない。ま、そんな諸々を、今までは授業をやりながらも何とかやってきた、というか、やれてきたのだが、来期からは、またまた増える本科のクラスに加えて、サポートカリキュラムというレッスンもかなり増えるので、そのスケジュール管理だけでも大変なわけだ。さらに、授業に入ってくれる講師の先生方が大幅に増えるので、その応対もしなくてはならない。というわけで、授業の方は、新しく入ってくれる声優の方々に任せて、「教務」として、仕事をこなしていくわけだ。これが、授業をすることがなくなって楽になったかというと、とてもそうは思えないので、今から、いろいろ準備をしているわけだ。何事も準備をしてから取り組むA型だからね(笑)。ま、どんな感じになるかは、おいおい報告していくとしよう。いずれにしても、先週書いたように、しばらくは芝居に関われなくなるだろう、ということだ。でも、いつかはやるぞ。
さて、前回触れた、杖立温泉のことを書いておこう。だいぶ前の話になるが、去年は結局、福岡に2回行くことが出来た。1回目は6月で(ここでもちょっと触れた)、2回目は11月に、d'Theaterの『豚とオートバイ』の音楽の打ち合わせのために行った。例によって、朝一のスカイマークで福岡空港に着き、ハンキンさんに車で迎えに来てもらって、朝食を食べに市場会館に行った。今回は"おきよ食堂"ではなく、ハンキンさんお薦めの"博多魚がし・市場会館店"に入った。ここの海鮮丼が安い上においしくて、これまた絶品だった。やはり、安くておいしい刺身は東京じゃなかなか食べられないんだなぁ、と改めて実感してしまった。市場会館前の広場では、「ふくおかし農林水産祭り」なるものが行われていて、いろいろ福岡市のおいしいものが格安で売られ、アンコウの吊るし切りも実演されていた。福岡に住んでいる時に知っていたら来たのになぁと思った。
食事をした後は、日本三大八幡といわれている筥崎宮[はこざきぐう]に行った。後の二つは、大分の宇佐八幡宮と京都の石清水八幡宮だとか(筥崎宮の代わりに鎌倉の鶴岡八幡宮だという説もある)。どんたく、山笠と並ぶ博多三大祭りのひとつ、放生会[ほうじょうや]で有名な筥崎宮は、この日は七五三の参拝客で賑わっていた。なぜか海に向かって続いている参道(海際に鳥居があり、まるで、海から上がってくるものを迎え入れている感じだが、箱根神社もそうだったな)も、端まで行き、大きな鳥居に驚いた。その後、稽古場を借りて、実際にドラムセットをセッティングしての音楽の打ち合わせまで、まだ時間があったので、金印ドッグを食べに行こうという話になり、志賀島に向かった。
やすらぎ丸というその店は、昔は志賀島に渡る、両側が海の道路のところにあったが、今は海浜公園寄りのところに移っていた。ハンキンさんは、福岡で『豚とオートバイ』のリーディング公演をやった仲間数人と大晦日に来たら、やっていたので驚いたという。金印ドッグというのは、別に金印が入っているとか、金印のマークが押してあるとかじゃなく(当たり前だが、志賀島だから金印)、サイコロステーキやイカが入っている、かなりボリュームのあるホットドッグのことだ。しかし、これがなかなかうまい。我々は、そこでは食べずに志賀島の海岸まで行って食べたのだが、潮風に吹かれながら食べる金印ドッグの、また美味なこと。実はこの時、海からの風が強過ぎて、私は金印ドッグをシャツにベターッとくっつけてしまい、後で着替えのシャツを買いに行ったのだが。金印ドッグを食べた後は志賀島を一周して、稽古場へ向かい、夕方まで音楽作り。ここで、あの『豚とオートバイ』のパーカッションの生演奏のおおよそが決まったのだ。その夜は、例によって、福岡の演劇関係者や演劇好きな人たちと"ふとっぱら・天神店"で飲み会。ホントに楽しい仲間たちだ。彼らがいるから、また福岡へ行きたいと思うのだ。
その夜はハンキンさん宅へ泊めてもらい、翌日、ハンキンさんの車で、薙野さんと三人で念願の杖立温泉へ向かった。杖立温泉は、4年前に薙野さんたちと熊本に行った帰り、そこを通った時に、そのいい佇まいに、「いつか来たいなぁ」と私がいった(乾坤にも書いた)のを薙野さんが覚えていてくれて、誘ってくれたのだ。ありがたいことだ。
ハンキンさんの車で、大野城などを通る懐かしい道を通りながら、熊本の小国町へ向かい、途中、これも以前、遠くからライトアップされたのを見て、その大きさに驚いた、国指定天然記念物の下城の大イチョウを観に行った。ちょうど紅葉の季節で、落葉した黄色い葉の絨毯が見事だった。さらに、鉾納宮[ほこのみや]の樹齢700年以上という夫婦杉や、下をくぐると願いが叶うというミニ鳥居を観た後(我々は何とか這ってくぐれたが、太目の人はくぐれないと思う)、お腹も空いてきたので、創業120年という小国町のうなぎの名店、"近江屋"に行った。このうなぎが、今まであまり食べたことのない味(関西風)で、とにかく絶品。1月にトップページに載せていたうなぎがこれ。値段は2.200円。蒸してから焼いたものじゃないので(関東では蒸してから焼く)、パリパリとしっかりした歯ごたえがありながらも中は柔らかく、おいしいタレと絡まって、ボリュームもあるし大満足。川沿いにある店の雰囲気もいいし、日本酒の熱燗をやりながら(ドライバーのハンキンさんは飲めず、すみません)ぜひまた来たいと思った。そして、いよいよ杖立温泉へ。
温泉街にはいくつかの旅館やホテルがあるが、我々は、26種類の風呂の中からひとつを貸し切って入れる、つまり、混浴ももちろん出来る、観音岩温泉に行った。私が以前見て、いつか来たいといったところだ。そこは渓流沿いにあり、川のせせらぎを聞きながら温泉に入ることが出来る。我々は空いている風呂の中から、壱番の特別室かえでの湯を選んだ。ここは1時間で2.000円。かえでの湯には、普通の風呂の他に、寝ながら入れる風呂があったり、6畳の休憩室が付いている。天井も開閉式で、空が見える。我々は満月を見ながら、売店で買って来たビールを飲みつつ(ドライバーのハンキンさんはここでも飲めず、すみません)、のんびり温泉に浸かった。
観音岩温泉を出た後、温泉街の端にある元湯を観に行った。ここは誰でもただで入れる。脱衣場もあるし、混浴で、外から見られることさえ気にならなければ、ここで一杯やりながら温泉に浸かるのもいい。その後、小郡で薙野さんと別れ、福岡まで送ってもらい、その夜は、いつも泊まっている博多駅近くのカプセルホテルに泊まり、翌朝、帰京した。
というわけで、今更、去年の話で何だが、福岡行きのことを書き忘れていたので書いておいた。今年は福岡にはいつ行けるのかなぁ。ソウルにも行きたいが、こっちは長男が仕事で行く秋に行きたいと思っている。いずれにしても、仕事のスケジュール次第だな。
(2009.3.23)