2009年3月第1週
龍昇企画公演『風景の没落』は終わった。思えば、去年12月のd'Theaterの『豚とオートバイ』から、いや、そのための準備や稽古は7月からだったから、『豚とオートバイ』の公演が終わって、のんびりする間もなく、『風景の没落』の稽古に入ったことを考えると、久しぶりに、結構長い時間芝居に関わっていた気がする。いや、関わっていたというより、いつも頭のどこか隅にある状況。そんなことをいえば、終わってすぐ次の芝居のことを考え出したら、年がら年中芝居のことが頭の中にあるのと同じことになるわけだが、どうも、この先しばらくは芝居に関われなくなる状況になりそうなので、芝居を離れてちょっとのんびり出来るかな、と思っているわけだ。いや、実際にはのんびりではなく、新年度からの仕事のことで物理的にかなり忙しくなりそうなので、芝居をやっていられる状況じゃない、ということなのだが。
実際、今回の『風景の没落』でも、仕事(スクール)の関係で、個人的にじっくり稽古をしている時間が取れず、それじゃ出来ないのは当たり前なのだが、演出家の容赦のないダメ出しにもめげず(笑)、頑張ってやってきた。などと書くと、演出家がよっぽど厳しいようだが、当然、どんな稽古場でも、役者によって波長が合う合わないというのはあるだろうし、ダメな役者がダメ出しを受けるのは当たり前だ。私はダメ役者だったから。それにしても今回は、いろいろな意味で勉強になった(笑)。役者もやってみるもんだなぁ、と思った。演出の立場からの見方と、役者の立場からの見方の違い。演出家からのダメ出しと、役者間での確認の重要性。みな違うし、それぞれ大事だということ。頭ではわかっている当たり前のことでも、実際の現場では、常にいろいろなことが勉強になる。キャリアがある人間がいっていることが常に正しいとは限らない表現の世界。まだまだ学ぶことは多い。ただし、おそらくもう役者はやらないと思う(笑)。少なくとも今回の演出家とはやれない、いや、使われないでしょう(笑)。打ち上げで演出家と、今回は21年ぶりだったので、「次はまた21年後に!」と話したが、お互いに無理(笑)。龍昇企画の芝居は観に行くけど。
まぁ、稽古場では散々だったが(笑)、自分としては、小屋に入り、劇空間が出来上がってみると、なぜかスーッと台詞が出て来て、というより、自分、すなわち、折口という登場人物として、あの難しい言葉の数々が出て来て(笑)、割と気持ちよくやれた感じがする。公演が終わって、ある役者とその話をしたら、そういう役者もいるそうだ。演出から解放されて、そうなるのだとか。私の場合はちょっと違うが、いずれにしても劇場に入って変わったことは確かだ。もちろん、リアリティとか何だとかいう話になると、あれでよかったのかとか、ああいうキャラクターだからああするしかないとか、まだまだいろいろ考えてしまうのだけど、おかげさまで、個人的には評判は悪くはなかったので、よしとするか(笑)。う〜ん、しかし、こういう芝居だからかどうなのか、稽古場とはまったく違ったよなぁ、劇場は。これも、改めて勉強になったこと。やはり、劇場はいい。ま、乾坤でも書いていると思うけど、元々、稽古はあまり好きじゃない方だし(笑)。だって、何回も同じことばかりやってたら、飽きちゃうでしょ(笑)。いや、飽きるぐらいやって、身体になじませるのが大事、っていうのもわかってるんだけどね(笑)。要は、やり方だな。これがなかなか難しいわけだ。長年、芝居に関わってきたけど、これがベストという稽古のやり方は、今だにわからん。まったく新しいやり方があってもいいわけだ。ま、そこまで追及するほど、今後、芝居に関わっていくかどうかはわからないが。d'Theaterの次の公演も含めて、今はまったくの白紙状態。劇場も押さえていないし。しばらくは、観る方で報告していくと思う。といっても、仕事が忙しくなれば、観に行くことさえ難しくなるかも。
さて、今回の公演で、シアター・イワトのある神楽坂へ一週間通ったわけだが、これが、なかなかうれしかった。実は私は、25年ぐらい前に、神楽坂の近くの納戸町というところのアパートに住んでいたことがあり、神楽坂へもよく通っていた。何しろ、風呂なし共同便所の木造4畳半一間の部屋だったので、当然、銭湯へ行ったわけだが、アパートの近く(部屋を出て2分)の銭湯は11時半には閉まってしまい、螳螂の稽古を終えて帰って来ると間に合わないので、夜中の1時までやっている神楽坂の銭湯へ通ったわけだ。1軒は、今回公演をしたシアター・イワトの近くにあり(神楽坂上交差点の近くの第三玉の湯)、土曜日のマチネ公演の後、あまりに寒いので一人で温まりに行って来た。中は、ごく普通の、湯船が3つしかない小さな銭湯で、昔と変わらなくて、何かうれしかった。漢方の薬湯があるのもいい。もう1軒よく通ったのは、神楽坂の中程にある、肉まんのおいしい五十番の角を入ったところにあった銭湯なのだが、今はもう、ない。名前も忘れてしまった。ここも遅くまでやっていて、遅い時間になると、着物姿の芸者衆や、男湯には、倶利伽羅紋紋の連中が来ていて、背中の刺青を競い合っていた。あの人たちは何だったのだろう? 刺青愛好家かな。やくざのようには見えなかった。
そうそう、名古屋の大須の銭湯には、本物の刺青のやーさんがたくさんいたっけ。これも今から25年以上前、七ツ寺共同スタジオによく行っていた(公演をしに行ったり、公演を観に行ったりしてた)頃の話。今のように、刺青のある方はお断りというようなことのない、いい時代だったよなぁ。そのことだけじゃないけど、なんか街中がどんどん浄化されていく感じだ。いいことなのかどうかという疑問は残る。風情がなくなるというか。都合の悪いものは排除すればいいという考えには反対だ。いろいろあるから、おもしろいのだと思う。私は煙草は22年前にやめたが、最近はあちこちで吸えなくなっている空間が増えている。マナーをきちんと守った吸い方をしていれば、吸える場所ぐらいあってもいいのにと思う。煙が害を及ぼすなんていってたら、昔の人は、そこら中、害ばかりだったわけだ。それでも生きていた。煙草を吸っている人は、癌になる確率が高かったり、健康を損なうことを知っていて吸っているのだから、本人さえよければ吸ってもいいのではないか。マナーさえ守れば。いや、私はJTの回し者でも何でもないけど(笑)。そう、酒の方がよっぽど周りに迷惑をかけている。夜の電車内の酔っぱらいは嫌だ。朝、女性専用車があるんだから、夜は酔っぱらい専用車を作ればいい。私もそこに乗ることになると思うけど(笑)。
閑話休題。神楽坂の銭湯帰りによく寄った、テーブルの上をゴキブリが平気で徘徊していた、扉がガラスの引き戸で開け閉めが難しく、マスターがヤクルトの野球帽を被っていた中華料理屋も、今はもうない。神楽坂の商店街自体が、裏道も含めてきれいになり、よりいっそうおしゃれな雰囲気を醸し出しているが、昔のゴチャゴチャした神楽坂も好きだった。う〜ん、下北沢もどんどんきれいになっちゃうのかな。風景の没落だ。やはり寂しい気もする。
神楽坂は、今通っているスクールのある水道橋の隣りの飯田橋駅なのだから、行こうと思えばすぐ行ける。これからも、たまには寄ってみようと思った。五十番の絶品肉まんも食べに行こう。おいしそうな店もいくつか見つけたし。
さて、事後報告になるが、私が94年に書いた『眠れぬ夜のアリス』が、最近、2ヶ所で上演されたので報告しておこう。ひとつは、私の家から割と近い相模原のアマチュア劇団・山猫カムパニーが2月14日(土)にサン・エールさがみはらで上演した。近いので行けないことはなかったのだが、その日は大鷹明良の結婚披露パーティーの日だったので無理。もうひとつは、関西大学の劇団万絵巻の2008新人発表公演。こっちは2月27日(金)・28日(土)に茨木市立男女共生センターというところで上演された。こっちも龍昇企画の公演日と重なっていた。ま、大阪までは行けなかったけど(笑)。『眠れぬ夜のアリス』は、一時、高校演劇やアマチュア劇団がよく取り上げてくれたが、久しぶりに上演許可願いがメールで来た(この乾坤の何でもメールで)。もしかすると、無断でやっているところもあるかもしれないが(福岡での『グレシアの森に』の件は笑えた)、別に許可しないわけではないので、やはり連絡は欲しい。まぁ、学内発表とかはいいけどね。
そんなこんなで、3月に入り、残りの授業(スクールは11日まで)をこなしつつ、いろいろ変わる来期の準備で目まぐるしく走り回っている今日この頃。一息ついて、温泉にでも行きたいなぁ。去年は春に宝川温泉、秋には杖立温泉に行けたけど、今年はどうかな。まぁ、近所のここち湯でも結構癒されるのだけど(笑)。そうそう、杖立温泉の話も報告しておかないと……来週だな。
最後に、久しぶりに競馬の話題。弥生賞のロジユニヴァースは強かった。特にアクシデントがなければ、皐月賞もこの馬だな。弥生賞は、2着の5番人気ミッキーぺトラも押さえていたのだけど、3着のモエレエキスパート(7番人気)までは考えていなかったので、3連複も3連単も撃沈。馬単だったら取れていたのに。ま、春のGT戦線、フェブラリーステークスは買わなかったが、本番は、まだまだこれからだからな。
(2009.3.11)