週刊FSTAGE
リレーエッセイ「私とFSTAGE」
リレーエッセイ「私とFSTAGE」vol.49
ずるずる 02.21.2000


萬歳 野郎さんからたすきを渡されました、ずるずると申します。ちなみに、萬歳 野郎さんの「萬歳」と「野郎」の間は半角アキなんだそーです(笑)。

実家を出て(といっても1時間もあればいつでも帰れるけど)10年近くになりますが、その間に半年間だけ実家に戻って暮らしていた時期があったのね。そんなに芝居も観てなかったし、なんか暇だったんでしょう。借金して買ったマッキントッシュを持っていたので、ある日「そうだ、通信しよう」と思い立ち、当時としてはかなり速かった9600のモデムを3回払いで買い(だって高かったんだよ)、接続に悪戦苦闘の末、翌日にはニフティの会員になっていました。6〜7年前の話。光陰は矢のようだ、って感じですね。

ワタシは主に5番会議室「しあたー名人会」で発言しておりまして、『芝居も好きだが落語も好き』というスタンスでFSTAGEとおつきあいしています。年間に芝居100本、というのはFSTではそんなに驚く数字ではないのですが、一時期はそれプラス落語を1700席程聴いていました。1700席というと、足を運ぶ回数に直すと、だいたい250回位かな。合計して350本。いったい一年は何日なんでしょう、って感じですね(笑)。最近はだいぶ減っていますけれど、それでも200日以上は日本のどこかの客席にいる勘定になります。この状態が異常だと思わなくなったのは、間違いなくFSTAGEのせい‥‥いや、おかげだと確信している今日この頃。

落語っちゅう芸能は、観る方のイマジネーション如何で面白いと感じるかどうかがかなり左右されるんですね。その会場にいるお客さんが、目で見ているモノは一緒ですが、噺としてアタマの中に描かれている情景はひとりひとり違う、という。情景が描けないと落語はつまんないですから。
演劇を観るにもイマジネーションは必要ですが、ある程度はセットや小道具や衣装や動きで見せてくれます。
ワタシ自身の観劇歴は落語の方がはるかに長いので(落語・演芸は子供の頃から好きで、高校時代は落研に居ました。中学時代は演劇部でしたが、芝居に「通う」ようになったキッカケは88年の第三舞台の『天使は瞳を閉じて』の初演から)、演劇を観ているときにも勝手にアタマの中で絵を描いたりしていることがあります。それがいい悪いではなくて、そうやって芝居も落語も観て行くことで、自分の中でバランスを保っているような感じがしてます。

会議室で発言したり、芝居のオフに参加したりしている内に、いつのまにやら自分でも『演芸オフ』の幹事をやるようになりまして。
お盆の「住吉踊り(浅草演芸ホール)」、年末の「さん喬・権太楼二人会(新宿末広亭)」は楽しみにして下さってるFSTAGERも多く、まったく幹事冥利に尽きるというものです。
オフは楽しいですよ。だいたい世間の大人ってのは会社と家の往復だけじゃ世界が狭くなるってんで、金払って異業種交流会やったりしてるわけでしょ?FSTに居れば「演劇が好き」ってだけのつながりで、ホントにいろんな人と出会うことが出来ます。大人になってからばんばん友達が増える、って状況は貴重ですぜ。
「通信」とはいえ、結局人と人のおつきあい、なのよね。

この春には、前座時分から贔屓のひき倒しにしてきた、柳家喬太郎という噺家が真打ちに昇進します。簡単に言えば、一人前の噺家になる、ってことですかね。
3月21日鈴本演芸場を皮切りに40日間の披露興行が始まります。
さて、ここで問題。
ワタシは40日の内、何日寄席に通うことになるでしょうか(笑)?

そんなわけで、次回のリレーエッセイは、いつの間にか落語にどっぷりハマってしまい、演芸オフにはたとえ嵐でも着物でかけつけて目の保養をさせてくれる、たま下駄さんです。かわいいんだぜ。


  リレーエッセイ、次はたま下駄さんです。
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