週刊FSTAGE
リレーエッセイ「私とFSTAGE」
リレーエッセイ「私とFSTAGE」vol.48
萬歳 野郎 02.13.2000


かわひらさんからバトンタッチ、萬歳 野郎です。

昔からよく「FSTAGEが人生変えちまった」なんということを申しますが、皆さんもお芝居と出会ってそしてまたFSTAGEと出会って、生活環境ががらっと変わってしまったとか、財布に金が残らなくなったとか(笑)いろいろな変化があるかと思います。

わたしの場合は、まぁ、そんな大した変化じゃないんですけど・・・
噺家になりました。

FSTAGEとの出会いはちょうど7年前。
芝居に取り憑かれていたわたしが、FSTAGEのある落語オフがきっかけでそれまで「楽しみ」としていた落語を「生き方」として意識するようになってしまったのは、もちろん落語本体の魅力はもちろんなのですが、ここ(FSTAGE)に集う人々の存在でした。

舞台(落語の場合は高座といいますが)の上で起こる生の現象を、こんなにも楽しんでくれる人がいる、そういう人々の存在。
その存在がうれしくて、その人達と舞台で会いたくて、わたしは噺を選んだんじゃないかなぁと思っています。

これは、たぶん舞台で仕事をしてる方々にはなによりも大切なことですが、「観客がいるんだ」ってことの実感。
もちろん、生の舞台ですから、公演中の舞台と客席との空気感が一番それを感じることなのですが・・・そうですねぇ・・・あの、なんですよ・・・

あ、思いつきました。

役者、噺家は舞台が終わると楽屋に帰ってゆきます。で、楽屋って所はけっこう興味がある所じゃないですか、好きな役者の楽屋って行ってみたいでしょ。で、お客さんはどこへ帰るのか、いや、それは自宅に決まってますけど、観客としてどこへ帰っていくのか。それがFSTAGEなんじゃないでしょうか。

お客さんの楽屋、FSTAGE。
出演者だって、お客さんの楽屋をのぞいてみたいのです。

さて、話を落語の方に持っていこうかな・・・

FSTAGEと落語の関係はとっても面白くて、「FDENTOU」という本妻がありながら「FSTAGE」という妾宅が事実上の本宅になっています。これが他のメディアにはない独自性になっていると思うんです。落語を伝統芸能というフィルタリングで見るのではなく、劇場と同じ「ライブ」として見ていただく、これは落語を扱っている者にとっては非常に大きな意味を持ち始めているのです。

一時期、「しあたー名人会」を伝統館に移そうかという話もありましたが、わたしは反対をしました。非常に理にかなっていない反対意見でしたが、その「理」の手の届かないところで「しあ名」がいきいきとしているのを無視できなかった、つまり演劇的な目で落語を評価してくれる人々の存在がわたしは大好きだったのです。

そんなわけで、「しあ名」はそんな感じで落ち着いています。

ただし、わたし自身はあんまりアクティブではないんです。他の会議室の方がよっぽど興味をもって読んでるし、「ちょマチ」とかってやっぱり観客の英知と財産(笑)が結集しているって感じでいいですよね。

もっと落語の宣伝した方がいいのかナァ、でもあんまり興味ないんだよねぇ。

・・・ほら、おいらってさ、演劇人だから・・・(笑)。
ずるずるさん、なんか落語のこと話してよ。

萬歳 野郎
3nosuke@mail.ne.jp
http://www.hi-ho.ne.jp/sannosuke/


  リレーエッセイ、次はずるずるさんです。
週刊FSTAGE
リレーエッセイ「私とFSTAGE」


back
next