福岡演劇事情

(22) 2001.06.24 「観劇報告:ギンギラ太陽’Sとライオンキングとあなピグモ捕獲団」

 梅雨ですね。
 西日本を大雨が襲った6月19日、ギンギラ太陽’S「天神開拓史」を観ました。平日の夜ということで、客席にはスーツ姿のサラリーマンも多数。私の後ろには、いかにも会社の仲間!という感じのご一行がずらりと陣取りました。開演前にチラシの束を眺めながら、「へえ、こんなにあってるんだな」と言う声が聞こえました。この世代の男性がいかに劇場から遠いかが感じられる呟きでした(が、一番静かなシーンで携帯のバイブをぶーぶー鳴らしたのもこの人)。

 今回私は通路にはさまれたカド席で、西鉄バスに激突してもらうわ、岩田屋さんから蜂楽饅頭をいただくは、大満足でした。何のことかわからないあなたは9月の次回公演を見ましょう。

 老若男女いかなる世代にも愛されているギンギラ太陽’Sですが、そのほとんどが「ギンギラしか観ない」といわれています。彼らが「演劇」として認知されているかどうかも実は?です。けれども、ギンギラが口コミでどんどんお客さんを増やしていることもまた事実であり「おもしろければ人は集まる」のも確かな ことなのでしょう。

 週末は劇団四季「ライオンキング」。福岡でもチケット争奪戦はすさまじく、春先の発売初日にやっと取れたチケット。

 ミュージカル・芝居というよりも、パフォーミングアーツという言葉がぴったり。文楽・歌舞伎・アフリカ音楽・バリダンス・インドネシアの影絵、その他世界のさまざまな芸能・芸術を取り入れ、ひとつのステージアートに仕上げた手腕に脱帽。途中、シンバの友人?たちのしゃべるべたべたの博多弁もいい感じ。子供からおとなまでが楽しめる、ハッピーな舞台でした。

 それにしても、ライオンキングの役者たちと、ギンギラ太陽’Sの役者たちのかぶりものには共通するものがあるような気がします。さて、そのルーツはなんだろう? ・・・獅子舞かな。でも、獅子舞は顔が見えないしなあ。

 ライオンキング終演後、北九州から来ていた友人たちと別れ、ひとり隣のぽんプラザホールへ。あなピグモ捕獲団「SAVANNNA-CHANCE」を観る。100人ほど入る客席はほぼ満席。

 10人の役者が、ステージ上に上がったままの1時間半、それは芝居というよりも、語り舞台。

 私はこれまで、あなピグモの舞台は言葉ではない何かがひっかかるのだと思っていたのですが、そうではなく、意味がありそうでなさそうなコトバのかけらを、観るもの自身がつなぎ合わせてひとつの意味ある世界を構築することに面白みがあるのではないかと思いました。コトバとコトバの間に、だまし絵のようにぼんやりと浮かんでくるイメージは、何というか4次元的で、とてもそれを言葉では表せない。

 そして、福永氏が「演劇」というメディアを選んだのは、照れ屋な彼の精一杯の表現が一瞬にして消え去ることを目的としているようで、だからこそ私は、いまこの瞬間の彼らの表現を見逃せないと劇場に足を運んでしまうのかもしれません。

 こちらも次回公演は9月、アナザーサイドと銘打った公演の第二弾。すでに10人の役者が集まっている様子。福永氏が彼らをどう料理するかが見ものです。

 では。
 来週も書く予定!?



top
back
next