福岡演劇事情

(19) 2000.12.24 「21世紀の福岡演劇事情〜20世紀の終わりに」

 「20世紀が終わる」と言われても、私個人としてはあまり感慨はないのですが、とにかく、20世紀が終わろうとしています。
 そんな20世紀最後の天皇誕生日、あなピグモ捕獲団「GIANT STEP」を観てきました。20世紀が終わることに対するレクイエムと、目の前に広がる未来へのファンファーレが鳴り響いているような、すてきなお芝居でした。
 終演後、ミニオフ会ということで、福岡の演劇人もまじえて4人でビール片手に語りあいました。テーマは「福岡で演劇を続けていくために、福岡で演劇を盛んにするために、いったいどうしたらいいのか?」
 私はただの観客ですので、地元でおもしろい芝居が観られればそれでいいのですが、おもしろい芝居を観られるようになるためには、やっぱり福岡で演劇が盛んになってもらわなければならないわけで、創り手の熱い想いをそばで聞きながら、私はちょっと考え込んでしまいました。
 演劇や音楽・絵画などの芸術が日常生活の中に溶け込んでいる生活って、本当に「豊かな」生活だと思います。21世紀の福岡がそんな豊かな街になってほしい。その想いは私も同じなのです。
 芝居を観に行くようになるきっかけというのは様々だと思うのですが、私は「芝居というものを実際に観て、興味を持った」ことが一番大きいです。それは高校演劇だったのですが、「この世にこんな世界があったのか!」と、ちょっとした衝撃でした。そういう意味では、多くの人が演劇という世界を知らないと思うし、あるいは、不幸な出会い方をして劇場から足が遠のいてしまっているのではないかと思います。
 よく言われることですが、演劇ってめんどくさい。お金もかかるし、時間も拘束される。メディアとしての演劇を考えたとき私は、その未来はもしかして明るくないかもしれないと思うことがあります。けれども、様々なめんどくささを乗り越えてもなお、私(たち)を劇場に向かわせるものって、いったいなんなんだろう? 私は、今ここに自分がいて、あなたがいて、だからこそこの世界は成立しているということを感じたいのだと思うし、世界の目撃者としてそこに存在したいのではないかと思っています。そういう意味では、世界の中で居場所をなくしている、あるいは自分のいる場所がどこなのかわからなくなっているかに見える現代人にとって、劇場という場所は一種の癒しの場になりうるのではないか、そんなふうにも思っています。

 さて21世紀。
 福岡の、そして、世界の演劇はどうなっていくのでしょう。私は、演劇界が素敵な21世紀を迎えられるよう、自分にできることを考えたいと思います。
 みなさんも、素敵な21世紀を迎えられますよう。



top
back
next