大江戸演芸捜査網
〜楽屋口と客席の間で〜

(55) 2003.2.2 ■「落語とWeb、そして私(8)」

『これがホントの兄弟愛?(1)』

畠山泰英(はたけやま・たいえい)
「柳家三太楼のホームページ」世話人

『柳家三太楼のホームページ』

 平成十一年の暮れから始まった『柳家三太楼のホームページ』は、お陰さまで今年もまた新しい年を迎えることができました。これからも末永く本人共々よろしくお願い致します。いつの時代も噺家は、若くして引退を余儀なくされる相撲取りとは異なり、この世にいる限り現役です。もしも世間でいわれるような超高齢化社会が訪れるとするなら、柳家三太楼とお客さまのお付き合いもまだあと五十年はあると思ってもよいのでしょう。そんな気の遠くなるような年月も、過ぎてしまえば「あっ」という間と申します。いつも「今が旬」というわけには参りませんけれど、寄席で、落語会で、そしてホームページで様々な顔の柳家三太楼を味わっていただきたい。これが世話人の心からの願いです。

 さて、当ホームページは柳家三太楼の日記を筆頭に、出演日程、落語に関する質問に本人が答える「落語の豆知識」、自らの生い立ちを記した「眠る男」、三太楼の(本物の)かみさんが綴る「かみさん日記」、そして自由に意見や感想を書き込んでいただける「掲示板」などからなります。

 中でも本人の日記は、平成十一年十二月十七日の金曜日から今日まで毎日とはいきませんが淡々と書き続けられています。一つ一つはどうということもなくても、ここ数年間は三太楼が二ツ目から真打へ昇進した時期でしたから、ざっと読み返してみますとそれなりに楽しめたりします。

 「三太楼日記」は、平成十一年の年の瀬のおしつまったある日に始まりました。

<平成十一年十二月十七日(金)>
十二時起床(ちょと早め!)
拭き掃除、そのあとたらこスパゲテイを製作、食う、食う・・・・・・、
四時首都高大渋滞の中船橋へ・・・「念々寄席」。第百三回目。
今世紀最後の寄席!『御神酒徳利』をやる。
その後打ち上げでおおいに盛り上がって車で喜助さんを送って?
帰宅・・・・・・。
さあ明日は、桜田やっぱり今世紀最後だー!
飲むぞー!。。。

 翌日は、かみさんの誕生日なのに当のかみさんが帰ってこないことに腹を立て、翌々日はホームページの開設を記念して『五人廻しの会』のチケットを六枚もプレゼントしていました(今でもごくたまにプレゼントしています)。日記は毎日更新。そして大晦日を迎え・・・

<平成十一年十二月三十一日(金)>
今日は我が権太楼一門の恒例!年越しステーキ食い倒れ大会!!!
みんなでもう食えねぇまで、三百グラムのステーキをあばれ食い!!
毎年三十一日は、改めてウチの師匠に入門してヨカッタなぁーと思うのです。
モウ、今日で、しばらくはステーキを見ても驚かないもんね!
師匠!ごちそうさまでした!!!

 腹いっぱいで明けて新年。

<平成十二年一月一日(土)>
噺家のお正月はいそがしい。
朝六時起床。カミサンをたたき起こして、黒紋付、羽織、袴をつけていざ出陣!
朝七時師匠宅、おとそを祝って、師匠弟子一同で大師匠小さん宅へ。
朝八時小さん師匠宅、直弟子、孫弟子、ひ孫弟子、総勢約八十名・・・。
小さん師匠、今年八十五歳・・・モチロン現役!すごい!の一言!
おとそを祝って(また飲んで?)
十時、車で(クルマで?)金馬師匠宅へ。
おとそを祝って(またまた飲んで?)
十一時志ん朝師匠宅へ
おとそを祝って(オイオイ)
十二時ウチの師匠のお供で師匠のお客様のお宅へ。
おとそを祝って(・・・・・・)
イーッ・・・いー・・っ心持ちで、、、、寄席、初席へ・
浅草から上野鈴本へ・・・プーンと酒くさい楽屋・・・
みんな口々に「やぁーメデタイ、めでたい」
夜九時師匠宅へ帰宅。
ミレニアムを祝って・・・・・・
十時三十分我が家へ・・・・・・
これが、いつもの噺家のお正月!
あしたから、またのんきな極楽生活が三百六十五日・・・・・・
やめられませんなァ!!!
本年もどうぞよろしく!

 完全に酔っています。めでたい酒に酔い、噺家である自分に酔っているようです。翌日は今は亡き小さん師匠のお誕生日会のために再び目白へ。その後も一門の新年会、師匠のおかみさんの誕生日(十日)プレゼント選びに誕生日会と飲んで唄っての日々は続き、初仕事は一月十三日の司会といった具合。翌日からは噺家らしく落語をやると見せかけて、十七日からは札幌、新潟へとスキー旅行へ行ってしまったのでした。しかも遊んでいるのにインフルエンザにかかる始末。
 体の調子は悪くとも一月二十八日の誕生日はとても嬉しいらしく、三十五回目の祝いの日を感激をもって迎えています。ちなみにこの月の三十一日は、鈴本演芸場からインターネットで落語が生中継された記念すべき日で、落語界では話題になったものでした。
 ともかくお気楽な調子で始まった一年はどんどんと過ぎて、春、夏、秋も深まったなあという頃、十一月十七日夕方五時に三太楼にとって大きな転機が訪れました。柳家権太楼師匠からの直々の電話が入門以来初めてかかってきたのでした。「来年九月だ。真打だ。いま協会から電話があった、よかったな」。「はい」としか答えられない三太楼。年の瀬は、一年前とは打って変わって緊張感が漂います。

<平成十二年十二月八日(金)>
あさ十時からこんどいっしょに真打になる
仲間七人で協会幹部へ暮のご挨拶へ。
移動中、いつものバカ噺の合間に
来年の披露目に向かっての話もかなり。
いよいよ動きだしたなぁ・・・・・・と実感。
みんなとっても前向き、いい披露目になると確信。

 翌週にはお披露目パーティーを開くホテルの下見、「自分が生きてきた中では最大のイベントだしなぁ」と気分が盛り上がってくる様子が伝わってきます。これまでとは比べものにならないほどのペースでお客様にお会いして真打昇進決定の報告と大切なお願い、それから影に日向に支えてくれるスタッフとの打ち合わせなどなど、とにかく慌しかったらしく十二月十九日をもってこの年の日記は終わってしまいました。
 ほどよい緊張感に包まれながら明けて新年。

<平成十三年一月三日(水)>
新年明けしておめでとうございます。
今年も皆さまにとって、わたしにとって
素晴らしい年になりますように!

元日は六時起床、紋付羽織袴姿で七時に師匠宅、
おとそを祝ってお雑煮を頂く。
おかみさんのお雑煮とってもうまい。
まちがいなく日本一おいしい。

八時に小さん師匠宅、それから金馬師匠、
志ん朝師匠、円歌師匠馬風師匠、
それぞれのお宅に師匠とともに新年のご挨拶。
一度戻って一休み、近所の氷川神社に初詣。
元旦の初詣、何年ぶりだろう・・・。
お賽銭を持っていくのを忘れて(笑)
ひとの後ろからソッと手をあわせる。

 一見いつも通りの新年のご挨拶をしながらも、初詣にいくあたりは今年にかける意気込みも感じられると思いきや、お賽銭を忘れるあたり何といいますか、らしいんですね。この月は、八日に子猫のトメ子さんが三太楼家に現れて夫婦二人は戸惑いつつも喜んだのもつかのま、数日後に忽然と姿を消してしまい寂しさに包まれたこともありました。昨年末からの真打昇進の準備で忙しかったのでしょう、日記を書く回数は減りました。それでも、二十七日には「明日はおれの三十六回目の誕生日なんだぁ!」とアピールすることは決して忘れないのでした。

(この項続く)



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