2009年11月第1週

 さて、9月の渡韓の報告、最終回。

 9月4日金曜日、ソウル滞在3日目の夜、東京ギンガ堂とソウル市ミュージカル団の合同公演『サウンド・オブ・サイレンス~沈黙の声』の初日を観るために、一行12名は光化門[クンファムン]の世宗文化会館前の大きな階段(映画『シュリ』のロケでも使われた)の下に6時45分に集合し、劇場の周りを散策したりしながら、7時半からの開演を待った。それにしても、韓国の芝居は、夜7時半とか8時からというのが多い。仕事が終わり、軽く食事を取ってから、夜の楽しみとして、ゆっくり芝居を観れるようにということなのだろう。日本の通例になっている7時開演というのは、どうなのだろうか? 少なくとも私は、仕事がちょっと伸びて、7時の開演に間に合わず、観るのを断念したということが多々あった。なぜ7時なのかと考えると、終演後、10時までに退出するようにという劇場の都合で、開演を7時にしているのが多いような気がする。せめて7時半開演なら(最近は時々あるが)、観ることが出来た芝居もあったのだが。

 世宗文化会館は、コンサートなどをやる3800人収容の大劇場と、450人キャパのMシアターと呼ばれる小ホールがある。『サウンド・オブ・サイレンス~沈黙の声』はMシアターでの公演だったが、それでも、こんな韓国最大の芸術施設で公演が出来るなんてすごいと思った。ちなみに『焼肉ドラゴン』や『その河をこえて、五月』は江南[カンナム]にある芸術の殿堂で上演された。いずれにしても、提携じゃないと、こういうところでやるのは無理だろうな。

 ところで、韓国の芝居の観客は、開演時間ぎりぎりになって来る人が圧倒的だ。2002年に韓国公演をやった時にも、開場してもなかなか観客が来ず、心配していたら、劇場の人が「大丈夫ですよ」といってくれ、確かに開演ぎりぎりになってどんどん来たという経験がある。この日の公演も、開場してすぐに入ったのは我々を含めて少数で、初日なのにこんな状態で大丈夫なのかなぁ、と思っていたら、案の定、開演近くになってバタバタとやって来て、またたく間に客席は埋まった。まぁ、合理的といえば合理的なのだが。

 芝居の方は、見せ場は多いけれど、話の内容がよくわからないという感じだった。後で、演出(脚本も)の品川能正さんに聞いたところ、韓国の共同演出家が、韓国向けに少し手直しをしたということだった。確かに、帰国してから初演の台本(「テアトロ」の2005年8月号に載っている『沈黙の海峡』)を読んだら、いくつかのシーンがカットされているのがわかった。

 しかし、韓国の俳優たちの歌と動きはすごかった。特に、主役のミン・ヨンギのソロの歌の場面では、聴いていて鳥肌が立った。歌の間、場内はシーンと静まり、歌い終わった後、ミュージカルでよくあるおざなりの拍手ではなく、心から敬意を称しているという怒涛のような拍手が起き、ピーピーという指笛も飛び交った。我々は、歌と共に、その観客たちの反応にも、「すごいね」と、顔を見合わせて笑うしかなかった。兵士役の俳優たちのダンス、というか、動きを見せるシーンも迫力があった。さすが兵役に行っている(その人たちがすでに行ったかどうかはわからないが)だけあると思った。おそらく、基本的な身体の鍛え方が違うのだろう。

 ラストシーンも、まぁ、ミュージカルの場合は多いのだが、いわゆる感動のクライマックスともいうべき大盛り上がりで、韓国の観客たちは大満足で拍手しているといった感じだった。しかし、自然な流れでそうなるならまだしも、ところどころだけ盛り上がるってのはどうも、逆に客観的に冷めて見えてしまい、残念な気がした。韓国公演の後、日本での公演もあるそうで、品川さんは、それは物語の部分をきちんと描きたいといっていたので、少しは変わったかな(残念ながら、10月の東京公演は観に行けなかったので、どうなったのかはわからない)。

 公演終了後、ロビーで関係者たちと挨拶をし、美術の加藤ちか嬢にも会うことが出来、ギンガ堂で、ニューヨーク公演を含め、ずっとみんとがお世話になっていた御礼を述べて少し話をした。ちか嬢は、相変わらず元気だった。その後、日本人の関係者たちだけで初日祝いをやるということで、我々もそこに招かれ、劇場の近くの店で、日本人のキャスト、スタッフ、そして、日本から観に来た我々と何人かの客たちで、初日乾杯をした。そこから我々は、そこに残る組と、最後の夜なので、まだどこかに行きたいという組に分かれた。私はそこに残り、品川さんやちか嬢や役者たちと話をしながら飲み、11時過ぎぐらいにお暇をした。9月20日の楽日まで韓国に残るみんととも、そこで、頑張れよと激励をして別れた。

 それから、そこに残った数人で世和荘旅館に戻ることにしたのだが、まだ飲み足りないということで、旅館に行く道の途中にある、これまた何度も前を通っているにもかかわらず一度も寄ったことのなかった屋台街の店に寄り、最後の夜の乾杯をした。そこでは、貝やサンナクチ(生きたタコをブツ切りにしたもの)をつまみに飲んだ。屋台ではあまり生ものは食べない方がいいといわれているが、すっかり韓国料理に慣れたのか、お腹の方は大丈夫だった。それより、後で聞いたことなのだが、その屋台街は、ソウルでは有名なゲイが集まる場所、つまりハッテン場だったのらしいのだが(事実、男性同士でベタベタしている客が多かった)、我々は女性も一緒に単に楽しんで飲んでいた。知らないということは、恐れを知らないということだ。ま、別に2丁目と同じで、怖いことはなかったが。結局、翌日、早朝に出発するというのに、他のところに行っていた連中も帰って来て寄り、そこで3時近くまで飲んでしまった。そして、ほとんど眠らずに、早朝、鍾路3街のバス停からリムジンバスで仁川空港に行き、成田に帰って来た。この日、帰国したのは、私と妻とかんのと石塚とd'の二人と中村さんの7人。とりい夫妻と岡村、新山の4人は月曜日まで、青木さんは結局、その後、釜山にも行ったらしく、帰国は随分あとだった。

 帰国後は、すでに報告したように、父母の十三回忌があったり、薙野さんが上京して一緒に飲んだり、中村さんや青木さんとも、反省会と称して飲みに行ったりした。10月に入ってからも、11日の夜には青木さんと野毛の三陽で餃子を食い、鷹一で生きたイカを食べ(ホントはクマ鍋を食べたかった)、14日には佐賀から通称・女王(本名は忘れた)が来たので飲もうと中村さんからお呼びがかかり、毎度、きくやの2階で、クマさんの後輩の一郎さんや、クマさんに絶縁されていた友人の林さんも交えて飲んだ。当然、クマさんの話で盛り上がった。

 そして、10月17日(土)、再び、青木さんや中村さんと韓国に行くことになるのだが、その話は次回、10月のソウル編で。

 10月のソウルから帰って来てからは、スクールの方の溜まっている仕事や説明会などがあって忙しく、10月もソウルに一緒に行った青木さんや中村さんとも反省会と称した飲み会が出来ていないが、30日の夜、福岡の学院時代の上司、といっても同い年の川島さんから連絡があり、仕事の帰りに新宿で飲んだ。そこには、横浜の学院時代の同僚の湯浅さんもいて、しばし懐かしい話で盛り上がり、福岡に電話したり、かつての教え子たちに連絡を取ったりと、久しぶりに酔いどれた。まぁ、みんな元気でいてほしい。

 そうそう、そろそろ発表してもいいと思うが、来年3月のd'Theaterの公演は、「第7回杉並演劇祭参加公演」であり、何と、「明石スタジオ30周年記念公演」なのだ(当然、劇場は明石スタジオ)。演目は、『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』(「小松杏里劇本!」収録)。83年に明石スタジオで初演(このバラシの日に寺山さんの訃報を知った)、87年に本多劇場で再演した、まぁ一応、私の代表作といわれている作品だ。初演からは27年ぶり、再演(再々演)としては23年ぶりになるわけだ。大鷹明良美加理が演じたカワシマとヤエは、今回は、丸山厚人と吉富睦[ちか]になる。若いかなと思ったが、考えてみたら、再演の時の大鷹・美加理コンビとほぼ同じ年だ。

 丸山厚人は、元・唐組で、東京ギンガ堂の『新宿パラダイス』で力道山を演じ、7月のリオフェスの青蛾館公演『上海異人娼館』にも出演した。ちょうど、3ヶ月の間この乾坤を休んでいる間に知り合い、いろいろ飲みに行ったりもした。その報告はいずれする。来年3月のd'Theaterの公演の後にも、大きな舞台の予定が続いている"アングラの貴公子"(かつて、日刊ゲンダイでそう称された)だ。実は、今度の日曜日の15日と翌日の16日にも朗読の公演『ブッダとテロリスト』があり、観に行く。これには、秋吉久美子や、元・状況劇場の深貝大輔も出ている。またミーハーの蟲が出てしまうが(知っている人は知っているのだが)、秋吉久美子といったら、私の青春そのものだった。1974年6月22日にNHKの楽屋近く(当時、『天下堂々』に出ていた)でもらったサインもちゃんと大事に取ってあるし、昔の雑誌の切り抜きもしっかりファイルにして取ってある。まぁ、本筋とは関係ないので、詳しいことは別の機会に譲るとする。長くなりそうだし。

 吉富は、乾坤にも何回も登場している福岡時代からの教え子で、もう6年の付き合いになるが、福岡時代や今のスクールの卒業公演以外で、本格的に私の作品に出てもらうのは初めてだ。今は、Paletteというグループで音楽活動をし、ライブをやったり、CDを出している。厚人や吉富以外にも客演がいるが、それは追い追い紹介していこう。とにかく、10月からすでに稽古が始まっている『銀幕迷宮―キネマラビリンス―』。来年の3月は、ぜひ、このすごい舞台を観に、全国から高円寺の明石スタジオへ足を運んでもらいたい! 残念ながら、地方公演は出来ないのでね。27年前のこの作品を、なぜやることにしたかという話も、いずれ発表していく。その後の6月の公演も決まったので、その話もしていかなくては。そして、8月、10月と公演が続くわけで、来年は、すごいことになりそうだ。おっと、1月の後半にソウルに行くことも決まった。極寒の真冬のソウルは初めてだし、楽しみ楽しみ。

(2009.11.12)


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