2009年10月第4週

 9月のソウル行きの報告も終わっていないというのに、10月にまたソウルに行って来た。2ヶ月連続は初めてだ、と思う、おそらく。出来ることなら、毎月でも行きたい。あ、住んじゃえばいいんだ。で、日本からの友人たちを招くことが出来るようになればいいんだけど。ま、そのうちにね。

 9月のソウル行きは、まるで劇団の公演のような大人数で盛り上がって楽しかったのだけど、10月の渡韓も、いろいろ初めて尽くしで、かなり充実した旅だった。何しろ、韓国の伝統式結婚式(コ・スヒの)というものに出席出来たし、その他にも、普通の家に泊めてもらったり、ソウルタワーに渡韓10年目にして初めて登ったり、絶品の薄切りカルビを御馳走になったりと、毎度3泊4日ながら、てんこ盛りの毎日だった。その報告の前に、9月の話を済ませてしまおう。

 さて、9月の渡韓2日目の夜、大学路[テハンノ]で芝居を観た後、パク・クニョンが、大学路で安くておいしいというクッ・チプ[スープハウス]という店に案内してくれた。そこで、その日の夜、ソウルに到着したスクールの石塚やd'Theaterのメンバーと合流した。実は、彼らは結局、芝居の時間には間に合わず、我々が芝居を見ている間、中村さんやクマさんの友人たちと別の店で飲んでいたのだ。さらに、もっと遅い便で到着した新山陽子や、芝居の稽古を終えた(翌日が初日の)みんともやって来て、クマさんの友人たちも含め、総勢20名以上という、ほとんど店を貸切状態の中で飲んで話した。それはまさに、『クマさんのいない、クマさんを囲む会inソウル』だった。パク・クニョンがクマさんとの思い出をいろいろ話してくれ、私がクマさんの亡くなってからのことを話し(青木さんが通訳してくれ)、最後に、クマさんが亡くなっても、交流を引き継いで、さらに盛り上げていこうと、みんなで締めの献杯をした。東京、福岡、そして、ソウルと、クマさんの愛した場所で、クマさん縁の人たちとクマさんを偲ぶことが出来、何かこれで一区切りついた感じがして、ホッとしたと同時に、久しぶりにクマさんのことを思って、泣けた。ホントなら、ここにいるはずだったのに……そして、誰よりも大きい声で、みんなを一人一人紹介していたはずなのに……。

 時間はすでに夜中の12時を回っていたが、その夜、クマさんを偲ぶ、というか、酒の肴に飲むのは、それで終わりではなかった。パク・クニョンたちと別れ、大学路から鍾路3街[チョンノサムガ]に戻った我々は、今回の旅のメンバー全員が揃ったこともあり、どこかで乾杯しようということにした。そこで選んだのが、世和荘旅館[セファジャンヨグァン]に向かう裏道から見え、去年、何度もそこを通る時、クマさんに一緒に行こうと頼んでいるにもかかわらず、クマさんになぜか「あっちは危ないからダメだ」といわれて行けなかった(写真も撮るなといわれた)、2階にある、ビアガーデンのような焼肉屋だ。名前は忘れた。実はクマさんは、その後、チョ・ガンファらとそこに行き、日本に帰って来てから「いやぁ、よかったよ!」などとのたまわったので、私が怒って、今度行く時には絶対一緒に連れて行け、と約束させた場所なのだ。そこに、入れるかどうかわからないが、総勢12名で行くと、夜中だというのに元気なアジュンマたちが、ニコニコしながらみんながまとめて座れる席を作ってくれた。そして、サムギョプサルや、一番おいしいといわれている豚の首の肉を食べながら、ビールやソジュ[韓国焼酎]を飲んでいると、「アイシテルヨ〜」などと、アジュンマたちも日本語を話してノッテきて、大盛り上がり大会になった。クマさんは危ない地域だからダメだといっていたが、こんなに楽しいところだったなんて。世和荘のすぐ近くなんだから、クマさんももっと早くから来てアジュンマたちと仲良くなっていれば楽しかったのに、などと思いながら、結局、3時近くまで飲んだ。この店には、必ずまた、みんなで来たい。

 3日目の朝は、妻とかんのと3人で、これまた前回も行った"里門ソルロンタン"に行って朝食。ここもいつも、地元の人と観光客らしき人たちで混んでいる。まぁ、おいしいのだから当然だろうが。その後、またしても"ソウルレコード"に寄った後(結局、4回目! う〜ん、ソウルに行く度に3回は行ってるな)、旅館に戻り、ロビー、というか入口にみんな集合。何人かが仁寺洞[インサドン]に行きたいというので、とりあえず、前日に来た石塚と新山とd'のメンバー2人と青木さん、中村さん、そして私の7人で出発する。他のメンバーとは、最終的に、昼過ぎに南大門市場[ナンデムンシジャン]の入口で落ち合うことにした。

 世和荘旅館から裏の道を通り、仁寺洞キルの途中に出る。ブラブラ歩くと、何度も来ているので、なじみの店もある。が、ここもやはり、来る度にきれいになっている。道路の敷石は今も工事中なので、今度来る時には、さらにまたきれいになっているだろう。そんな中、青木さんが教えてくれた、ちょっと奥まったところにある高級そうな店に入ると、そこはギャラリーにもなっていて、古い韓国の家具やアート作品が展示されていて、静かだし、何とも落ち着く。初めて入った店だが、とても気に入った。また来たいと思った。売っているのは高級品ばかりなので買えないが、見るだけならタダだし。こういう、癒される空間があるのが、本来の仁寺洞なのだろう。表通りは、日本語の呼び込みの声も賑やかな観光地になっているが。

 途中で、とりいやベンちゃん、岡村と会う。後から別ルートで来たのだ。少しブラブラした後、みんなで一緒に"サムジキル"に入る。ここは2004年に出来た仁寺洞の新しい観光名所になっているところだが、初めて入った。中は表参道ヒルズみたいに(ここも行ったことはないが)、階段ではなく、回廊のちょっと傾斜した道を歩いているうちに段々上に上っていくようになっている。その道の片側にいろんな店があり、片側は外が見えるようになっていて、真ん中は吹き抜けになっている。一番上は屋上庭園のようになっていてレストランがある。なかなか楽しい店がいろいろあるし、人工的とはいえ緑もあるので、ちょっとホッとする空間だ。仁寺洞は新旧入り交じった空間があって、やはり楽しい。

 その後、仁寺洞を後にして、みんなでタクシーに分乗し、南大門市場に向かった。歩いて行けない距離ではないが、交差点や地下道の上り下りがややこしいので、タクシーにした。新世界百貨店の前で、午前中、別行動で明洞[ミョンドン]を観ていた妻とかんのと落ち合い、みんなで南大門市場に行った。そして、今回の訪韓目的のひとつである、クマさんが長年懇意にしていて、去年行った時には私もみやげものでお世話になった、高麗人参屋のアジュンマに、去年一緒に撮った写真を渡すのと、クマさんの訃報の報告に行った。

 店に行くと、大人数だったので最初は驚いていたようだったが、アジュンマは覚えてくれていて、笑顔で迎えてくれた。そして、熊谷さんは一緒じゃないの? と訊いてきたので、青木さんが、亡くなったことを告げた。すると、アジュンマは驚き、詳しい話を聞いているうちに、眼にどんどん涙が溢れてきた。辛い報告をするのは、報告をする方も辛い。しばらく、沈黙の時間が流れた後、みんな熊谷さんの友人たちです、と紹介すると、アジュンマは全員に、クマさんもよく飲んでいた高麗人参の栄養ドリンクをくれた。そして、おみやげを買いたいのですが、というと、まるで前回来た時にクマさんがしてくれたように(というか、クマさんがアジュンマの受け売りで、まるで自分の店のように話していたのだろうけど)、いろいろ店内にある商品の紹介をしてくれた。高麗人参もいろいろ種類があること、いろいろな飲み方が出来、値段や商品もいろいろあること、などなど。そして、空港や街中で買うよりかなり安いこと。これは中村さんも認めていたし、確かにそこで買うと安い。みんなはいろいろなタイプの高麗人参を買い、私もいつも買う、クマさんも飲んでいた、顆粒タイプでそのままでも飲みやすい高麗人参茶を買った。アジュンマは、前回来た時もそうだったが、他のみやげもの屋も紹介してくれた。そこでみんなは韓国海苔や小物などを買い、アジュンマとはまたの再会を約束して別れた。

 南大門市場を後にした我々は、明洞に向かった。みやげものの大きな袋(韓国海苔はおいしいし安いが、かさばるのが難点だ)を抱えて歩いている一団は、まるっきり観光客の団体だ。

 そして、みんな昼食を取っていなかったので、青木さんが教えてくれた、有名な"古宮"というビビンバの明洞店に行き、真鋳の器に盛られた「全州伝統ビビンバ」を食べた。栗、銀杏、なつめ、ユッケなどなど30種類以上の食材が色鮮やかに盛られていて、見た目も美しく、もちろん、食べてもおいしかった。

 店を出た後は、夜、芝居を観る世宗文化会館前での待ち合わせまで、各自、自由行動ということにした。私は、みんなと別れた後、石塚と一緒に、すぐ近くにある明洞実弾射撃場に行った。私は去年来た時に、薙野さんやハンキンさんとやったので、今回は見学のみ。石塚はルパン三世のワルサーP38を撃った。坊主頭で銃を構えている石塚の姿は、成果の方はともかく、見た目はいっぱしの怪しい殺し屋だ。その後、梨泰院[イテウォン]へ行きたいという石塚を明洞駅まで案内して別れ、私はもう一度、南大門市場に行き、三男のみやげの、日本では売っていない『スラムダンク』のトレーナーを買い、また明洞に戻って妻とかんのと落ち合い、ちょっとブラブラした後、妻が行きたがっていた"明洞餃子"に寄ってカルグクスと餃子(マンドゥ)を食べ、旅館に戻った。しかし、明洞は、初めて韓国に来た時(2000年4月)から、毎回、必ず来る度に寄っている所だが、移り変わりが激しく、気に入った店がどんどん無くなっていくのが寂しい。

 旅館に戻った後、翌日、早朝帰りなので、みやげものや荷物をまとめ、帰る準備をしておいた。そして、待ち合わせの時間に合わせ、旅館に戻っていた何人かでタクシーに分乗し、光化門の世宗文化会館に向かった。

 というわけで、9月の韓国行きパート3は、ここまで。次回で終わりだな。とはいえ、引き続き、10月の韓国行きの話になると思うが。10月の話がこれまたたっぷりなんだけど、年内には終わるでしょう。で、年明けから、ちょっと乾坤の模様替えを考えている。詳細はまた。

 2010年か。実は来年、公演予定がどんどん決まって来ている。4本やる予定。みんな、d'Theater。その他にも話がある。と同時に、日韓交流の方も深まりそう。というのも、日韓演劇交流センターの新委員になったのだ。日本演出者協会から2名。私と文学座の松本祐子さん。来年の1月には、韓国で日本の戯曲のドラマリーディングがある。d'Theaterで来年やる4本のうち1本は韓国の、というか、念願のパク・クニョン作品の予定。私にとって、演劇と韓国は引き離せないものになった。だいたい、韓国に興味を持つことになったきっかけは演劇だし。映画や料理はその後。そんな話も、いずれまとめていきたいものだ。次なる日韓交流につなげてもらいたい若い人たちにも知ってもらいたいしね。

(2009.11.7)


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