2009年10月第1週

 またまた、ちょっと空いてしまった。とにかく、ちょこちょこっと書いていても、まとめられる時間が取れないのだ。9月28日の月曜から10月6日の火曜日までは休みなく働いていたし(10月4日の日曜はスクールの体験入学だった)。その少し前、久しぶりに、赤羽、そして、下北沢や新大久保の千里香に行ったのだが、その話の前に、まずはソウル2日目の報告から。

 1年ぶりのソウル、2日目は、鍾路[チョンノ]のトゥッペギチプで朝食を食べ、一度、世和荘旅館に戻り、夜まで各自自由行動にした。私はまず、みんとに、スタッフの人たちへの差し入れと仕込みで使う道具を届けに、ニュー国際ホテルに行った。青木さんも一緒。その後、ソウルに来る前にタイニイアリスのアリスフェスティバル2009で観た、ソウルの劇団Empty Spaceの主宰者キム・ソンヨン氏に連絡をするが、不在で連絡が取れず、それじゃ世宗文化会館に行ってみようということになる。その途中、光化門の交差点の辺りで青木さんが、「学生の頃、クマと一緒に泊まった旅館がこの裏にあるんだけど、まだあるかなぁ」というので、行ってみることにする。20年以上前の話だそうだ。その旅館、というか、ゲストハウスの大元旅館は、まだあった。いつも開いているという木戸を入ると中庭があり、中にアジュンマとアジョシがいて、突然の訪問なのに温かく迎えてくれた。青木さんが昔ここに泊まったという話をし、さらに打ち解けて、お茶を勧められた。そこは、世界中からバックパッカーがやって来るらしく、ホントに「部屋だけの素泊まり」という感じのゲストハウスで、シャワーを共同で使ったりする。しかし、ただ寝るだけなら安いし、ここもいいかなと思った。非常にフレンドリーな感じだし、いつか、一度泊まってみたい。

 その後、世宗文化会館に行ったら、稽古の休憩中で、みんとが他のスタッフたちと一緒に外に出ていた。休憩の邪魔をするのも悪いので、差し入れや道具はホテルに届けといたと伝え、すぐにそこを後にした。キム・ソンヨン氏には連絡は取れなかったが、やはりその時タイニイアリスで会った、韓国現代戯曲ドラマリーディングの第3回で李鉉和(イ・ヒョナ)氏の作品『0.917』を翻訳した鄭大成(ジョン・デソン)氏には連絡がついた。鄭氏は現在、ソウル女子大の専任講師をしている。すぐには会えないが、夜、大学路でなら会えるかもしれないというので、夜にまた連絡をもらう約束をした。

 青木さんが、「お昼は何を食べましょうか?」というので、冷麺を食べたいといった。その日が暑かったこともあるが、前に青木さんから、冷麺が好きだと聞いていたからだ。さっそく青木さんとタクシーに乗り、中区の五壮洞[オジャンドン]に行き、青木さんお薦めの『オジャンドンフンナムチッ』という店に冷麺を食べに行った。そこは、創業が1953年という老舗で、創業者のハルモニ(おばあちゃん)の顔が看板に書いてある。昼飯時だったので、地元の人で混んでいたが、観光客も来るらしく、日本語のメニューも用意されていた。私も青木さんも、エイの刺身が入っている辛いフェネンミョンを食べた。周りの地元の人がやっているように、チョッカラ(韓国の金属の箸)を1本ずつ両手に持ち、しっかり掻き混ぜるのだが、なかなか手が疲れる。それでもしっかり掻き混ぜて食べたら、おいしかった。麺にコシがあり、辛さもなかなかなのだが、口の中が辛くなったら、やかんに入ってる牛の骨でダシを取ったスープを飲むと、辛さが中和される。このスープは自由にいくらで飲める。冷麺は結構ボリュームがあり、満腹になって『オジャンドンフンナムチッ』を後にし、腹ごなしに少し歩こうということにした。地下鉄の駅は乙支路[ウルチロ]4街が近いのだが、そこからさらに歩いて鍾路まで行くことにした。

 途中、昔、高速道路が通っていたところを壊し、街の中に清渓川を復元させて遊歩道を作ったところを通った。通常の道路より低いところに流れている川のせせらぎとその川沿いの遊歩道は、賑やかなソウルの街の喧騒を忘れさせてくれ、市民の憩いの場やデートコースになっている。見上げると高層ビルが見えるのも、不思議な感じがしていい。東京も、高速道路を壊して(排気ガス対策にもなるだろうし)、日本橋や日本橋の下を流れる川(神田川の支流)をきれいにして、川沿いに遊歩道を作ったりすればいいのにと思った。緑もそうだが、きれいな川というのも、心を癒してくれる。

 清渓川沿いの遊歩道散歩で癒された後、旅館に帰る前に、青木さんにもソウルレコードを紹介しようと、3回目の訪問。店員も、また来たの、とニコニコしながら温かく迎えてくれる。DVDのケースのわからないハングルも青木さんのおかげでわかり、青木さんのアドバイスで、「韓国語字幕の入った日本映画を観ると、こういう時にはこういう韓国語を使う、というのがわかって勉強になる」といわれ、三男へのみやげも兼ねて、三男の大好きな映画『ピンポン』と『紅の豚』のDVDを買う。もちろん、韓国仕様のもの。特典ディスクも入っているし、安いし、ハングルだけでなく、日本語字幕も付いているというのがおもしろい。

 その後、まだ大学路でのみんなとの待ち合わせまで時間があるので、映画を観ようということになり、1年前にクマさんたちと『神機箭[シンギジョン]』を観た団成社[タンソンサ]で、今も韓国でヒットを続けている『海雲台[ヘウンデ]』を観ることにした。チケット代は8000ウォン(約600円)。

 『海雲台』は、釜山のリゾート海岸である海雲台に大津波が襲って来るというパニック映画で、私の大好きなソル・ギョングとハ・ジウォンが共演している。さらに、オム・ジョンファやパク・チュンフンなど、豪華キャストの大作映画なのだ。ネットで事前に予告編を観ていたこともあるが、ストーリーは単純なので、字幕がなくても楽しめた。海底地震により大津波が襲って来るまでの、それぞれのエピソードが少し長い気がしたが、大津波がやって来てからは、これでもかこれでもかとハラハラドキドキの連続で、一難去ってホッとする間もなく、また不幸が襲って来るという具合で、最後まで気が抜けない。果たして誰が助かるのか、それは映画を観てのお楽しみ。去年、韓国で大ヒットしても日本では公開されないだろうと思った『神機箭』(理由はちょっといえない)と違って、これは単純な大作パニック映画だから、おそらく日本でも公開されるはずだ。とにかく、久しぶりに映画を観終わって疲労感を感じた映画だった。もちろん、心地よい疲れだが。

 しかし、海雲台の観光協会は、よくこの映画の撮影を許可したものだ。これを観たら、映画はフィクションだとはいえ、海雲台には行きたくなくなると思う。あ、ロケ地ツアーがあるか。海雲台自体は私も9年前に行ったが、いいところだし、釜山映画祭に行ったり、正月に初日の出を海雲台で観るという夢もある。

 『海雲台』を観た後は、一度旅館に戻って荷物を置き、青木さんとタクシーで大学路に向かった。それでもまだ時間があったので、クマさんがソウルに来る度に来ていて、ソウルで一番おいしいマッコリが飲める店だと、去年来た時に連れて行ってくれた"イー・モプスル・クリウン・サラマー"に青木さんを案内した。ここのマッコリは、まだ飛行機内に液体を持ち込めた頃、クマさんが一升瓶に入れて持って来て、飲ませてくれたこともあった。

 実は今回、ここの御主人にもクマさんの訃報を報告し、一緒に撮った写真をあげようと持って来たのだ。その日、あいにく御主人はいなかったが、奥さんがいたので写真を渡してクマさんのことを話すと、驚き、ショックを受けていた。そこで、青木さんと絶品のマッコリを酌み交わしながら、しばしクマさんを偲んだ。帰りにお勘定をしようとすると、奥さんがいらないといってくれた。こ、これは、クマさんが初めておごってくれたことになるのではないか! と青木さんと一緒に笑った。そう、クマさんには、女性にはあるかもしれないが、長い付き合いの我々にしても(青木さんは20年以上だし)、おごってあげたことはあっても、おごってもらったことは一度足りともないのだ(笑)。で、亡くなって初めておごってもらったと、青木さんと笑い合ったわけだ。この話は、後々も、クマさんを知っているいろいろな人たちに話すと、受けた(笑)。もちろん、パク・クニョンも。

 待ち合わせの時間近くになったので、"イー・モプスル・クリウン・サラマー"を出て大学路ロータリー近くのロッテリアに行った。そこでみんなで落ち合うと、パク・クニョンの劇団の女優さんが迎えに来てくれて、我々を劇場へと案内してくれた。去年、『クムニョとジョンヒ』を観たのと同じソンドル劇場だ(ここでは、ソウルの劇団が平田オリザの『北限の猿』も上演したこともある)。

 今回の芝居は、BAEKSUKWANGBUという劇団の『田舎医者』という、カフカの短編を基にした作品で、幻想的なシーンやダンスのシーン、集団シーンなども出て来て、とても楽しめた。自分でいうのも何だが、私の作る舞台に似ている感じがした。もしかすると、タイニイアリスで『豚とオートバイ』を観たパク・クニョンが、私に観せたいと思って、この作品を選んだのかもしれない(結局、確かめられなかったが)。

 終演後、劇場の外に出るとパク・クニョンが待っていて、主演の役者を紹介してくれた。日本に大道芸で来たことがあるという彼は、イ・ジュンヒョクといった。いい役者だ。

 というわけで、この後、パク・クニョンが大学路の店にみんなを連れて行ってくれるのだが、それ以降の話は、また長くなるので次回にしよう。

 さて、近況も伝えておかなくては、といっても、飲んでいる話ばかりだが。

 赤羽に行ったのは9月24日で、もちろんお目当ては"まるます家"だったのだが、残念ながら、連休明けの木曜日で休みだった(まるます家は通常月曜が休み)。なぜ行ったのかというと、青木さんが、我々と一緒だったソウルから、釜山、福岡と旅をして帰って来たので、会おうということになり、中村さん、とりい夫妻、岡村らソウル組を呼んで飲むことにしたのだ。で、場所はどこにしようかということになり、クマさんが大好きだった(我々もクマさんに教えてもらった)、まるます家にしようということになったわけだ。だが、まるます家は休みだった。中村さんは「クマが、なんで俺は呼ばないんだ、と嫉妬して休みにした。クマの呪いだ」といった。しかし、もう一軒、クマさんが好きだった立ち食いおでんの"丸健水産"は空いていたので、まずそこに行って1杯飲み、その後、まるます家から一本裏通り(まるます家がいっぱいで入れない時によく行く)にある炉端焼きの店に行った。クマさんもそこに行ったことがあるそうだ。その日は、ソウルの思い出話や10月に行くコ・スヒの結婚式の話をし、私は最終電車の時間まで飲んで帰ったが、青木さんや中村さんや岡村は帰れず、とりい夫妻の家に泊まったそうだ。

 翌日の25日には、実は、昼間、とある私の大好きな役者に会い、来年3月のd'Theaterの公演に出てもらえることになったのだけど、その発表はもう少しお待ちを! 今、d'のホームページも改装中なので、それが完成したら発表する。演目も。

 その日の夜、下北沢で待ち合わせ、私の小・中学校時代の同級生の胡谷クンと会い、a亭に行って飲んだ。胡谷クンについて説明し出すと長くなるのだが、子供の頃はともかく、螳螂が活動している頃、公演のビデオを撮ってくれていて、その後、仕事で香港に行ってしまい、私も香港に行った時(3回行った)はお世話になったりしていたのだが、最近、香港、というか仕事場は中国の深?[シンセン]なのだが、その仕事場が閉鎖されて、しばらく日本に帰って来ていたのだ。そこで連絡を取り合い、この日、会うことになった。10年ぶりぐらいだ。二人とも地元の代沢小学校だし、家も近所だった。古里庵がなくなった話や南口商店街の移り変わりの話、螳螂のメンバーの話などをしながら、結構長い時間、a亭で餃子やジャンドーフをつまみに飲みながら話した。〆は当然、江戸っ子ラーメンだ。そこで彼から、"マサコ"も閉店したという話を聞き、驚いて、a亭を出た後、"マサコ"に行った。"マサコ"はそれこそ、私が高校時代から通い出し、ジャズという世界に引き込まれていったきっかけのひとつとなったジャズ喫茶だ。"マサコ"やジャズとの出会いについて語り出すと、また長くなるので、やめるが。ま、いつか、書くとは思う。

 胡谷クンは、「エビちゃん」と呼ばれ、螳螂のみんなからも慕われていたので、日本にいる間に(妻子は深?に残っていて、いずれ、向こうでの仕事が決まったら帰るという)、螳螂の同窓会のようなものをやろうという話をして、その日は別れた。エビちゃんに会えたことはうれしかったが、私には"マサコ"がなくなったことで、いよいよホントに、下北は昔の下北じゃなくなったという思いが強くなった。これで、もしa亭もなくなったりしたら、いよいよ下北には行かなくなるだろう。

 新大久保の千里香に行ったのは27日の日曜で、福岡から薙野さんが来ているということで、またまた青木さん、中村さんに連絡をし、それに妻が加わり、5人で行った。中村さんが初めてクマさんに紹介されて青木さんに会ったのはこの店で、その時、クマさんと青木さんが中国人の従業員のことで揉めたそうだ。何度となく中村さんから聞いていた話だが、青木さんは思い出したくないエピソードだそうだ。薙野さんは千里香は初めて。いつも行く2階(改装されて、きれいになっていた)はいっぱいだったので、地下に通された。地下も落ち着くが、そのテーブルの炭火が弱く、なかなか羊肉の串が焼けず、その間、酒を飲むしかないので、結構、ビールやマッコリを飲んでしまった。結局、半分以上の串を、他のテーブルで焼いて持って来てもらった。まぁ確かに従業員のことで揉めるのもわかる気がする。この日は、狗肉は食べなかった。犬の肉。もちろん、中国の食用犬だが。 

 薙野さんは今回の上京で、歌舞伎やブルーマンショーや平田オリザの『青木さん家の奥さん』などを観たということだが、一番の目的は、『コースト・オブ・ユートピア』の観劇で、土曜日に10時間30分(休憩含む)の通し公演を観たそうだ。感想は、薙野さんのブログに書いてある。薙野さんは、ものすごい数の東京の演劇のチラシを持っていて、いろいろ演劇の話で盛り上がった。青木さんと中村さんは新大久保駅から帰ったが、私たちは薙野さんにコリアンタウンを案内しながら通り、韓国広場で買い物をし(またすぐソウルに行くのだからいいようなもんだが)、バッカス(韓国の栄養ドリンク)を薙野さんにプレゼントをし(1本だけだが)、薙野さんが宿泊しているホテルの近くの大ガードの交差点で別れて帰った。

 毎度、長くなり申し訳ないが、韓国の話は、記憶が薄れないうちに記録としてもまとめておきたいので(最近、ますます物忘れがひどくなっているし)、もうしばらくのお付き合い、御勘弁いただきたい。休んでいた3ヶ月の話も、その後にまとめるので、お待ちを。

(2009.10.12)


前回