先週もまた更新が出来なかった。前回も書いたが、最近、落ち着いてパソコンに向かっている時間がなかなか取れないのだ。単に忙しいというだけじゃなく、書くという行為に集中出来ない。だから、文章も荒れる。いや、大した文章じゃないけど。まぁ、そうはいっても、書き始めると長くなってしまうので、それをまとめている時間もなく、要するに悪循環なのだ。何とかしなくてはと思ってはいるのだが、なかなか解決策が見つからない。この乾坤一滴も、もう6年目だ。いつまで続けることが出来るかわからないが、当然、ずっと変わらないということはないので、こんな感じになってもお許し願いたい。時々、なかなか会うことが出来ない方々から「いつも見てますよ」とメールをいただき、かなり勇気づけられているので、こんな駄文でも、続けられる限りは続けたいと思っている。
というわけで、10月も半分過ぎてしまったが、とりあえず、10月最初の乾坤をお届けする。そうそう、新しい読者の方から「あれ[乾坤一滴]は何て読むんですか?」と訊かれた。これは、中国の韓愈[かんゆ]の『鴻溝[こうこう]を過ぐ』という詩に出て来る「真に一擲を成して乾坤を賭せん[さいころを投げて天(乾=奇数)が出るか地(坤=偶数)が出るか運命を賭ける]」という言葉からの故事成語“乾坤一擲[けんこんいってき]”の「一擲」を「一滴」に変えただけのこと。まぁ、元々の意味の「運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をすること」じゃ、あまりに大層だし、劉邦や項羽ならともかく、私ごときなら「一滴」がふさわしいかな、と。そういうわけで、“乾坤一滴”は「けんこんいってき」と読む。「けんこんいってき」と入力すると“乾坤一擲”と正しく変換されてしまうので、「けんこん」と「いってき」は別々に入力しなくてはならないのだが。
さて、すでに前置きが長くなってしまったが、10月にも世間は土・日・月と3連休があった。例によって私は日・月の普通の連休なのだが、この時だけは違った。水曜が休みで、火曜にも休みをもらったので、何と4連休になってしまったのだ。とはいえ、のんびり休んでいられた連休ではなかった。9日の火曜、前回の乾坤にも書いた、鄭治子さんをしのぶ会が開かれ、その時に持っていく約束をした、鄭さんが出演した芝居のビデオの編集や舞台写真の整理に、最初の2日間の連休を費やしたのだ。実は連休の最後の日ぐらい、3日間連続開催をしていた東京競馬場に行こうかなとも考えていたのだが(改装してからまだ行っていない)、とあることで、行っても気分的に楽しめないだろうと思い、やめてしまったのだ。結果的には、東京競馬場に行かなかったことで、ビデオや写真の整理が進んだのでよかったのだが。いや、整理自体はそんなに時間はかからなかったのだが、昔の芝居の写真を押入れの奥から引っ張り出しているうちに、ネガやポジの整理をし始め、ついでにそれらをしみじみと見てしまったので、時間がかかったのだ。何しろ、螳螂が12年、月光舎が実質10年(結成が92年なので15年経つが、2002年以来5年間、公演はやっていないので)の活動の記録だから、かなりの量の写真が残っている。ただ、螳螂の方まで手を広げ出すと大変なことになるので、そっちは見るのはチラッ程度で、とりあえずひとつのクリアボックスにどんどんまとめて入れていった。まぁ、これもいずれ整理しないといけないのだが。
それにしても、シンプルな舞台もあれば、しっかり装置を建て込んだ舞台もあるし、衣装も有り物で用意したものもあれば、デザインをして型紙から起こし、みんなで手分けして縫って作ったものもある。芝居そのものも、シリアスなものもあれば、無茶苦茶なメイクをして演じているものもある。とても、これがひとつの同じ劇団(厳密にはプロジェクトだが)の公演とは思えないほどだ。ま、螳螂もそうだったけど。そんな写真を眺めているうちに、あいつは今何しているんだろうとか、いろいろな思い出が蘇ってきた。さらに、公演のビデオの編集を始めたら、その前後だけでなく、全編をじっくりと観始めてしまった。その上、月光舎の公演は8ミリビデオで撮ったものが多いのだが、すでにテープが劣化し始めているものもあり、それをDVDに落とす作業も始めてしまった。もちろん、いっぺんに全部は無理なので少しずつだが。そんなこんなで、絶好の競馬日和でもあった暦上の連休は、あっという間に過ぎてしまった。
翌9日の火曜日は朝から霧雨模様だった。昼前に家を出て、1時半から鄭さんをしのぶ会が行われる片瀬江ノ島へ向かった。会場は、私が螳螂を解散し、神奈川に引っ越してから演劇ワークショップを始め、その流れで作った演劇プロジェクト・月光舎の発祥の地でもあるフリースペース、天文館のあったビルだ。昔はサマリアビルといったが、今は江の島ビュータワーという名称になっていた。そのビルの4階に天文館はあったのだが、今回、鄭さんをしのぶ会が行われるのは、7階にある虎丸座というライブも出来るフリースペースだった。
虎丸座に入ると、太田省吾さんのお別れ会で会った松本丸太さんがいたので、さっそく鄭さんの舞台写真のアルバムとビデオテープを渡した。中を見渡すと、フロア全体を使っているのは天文館と同じなので、片瀬海岸に向かって窓があり、海岸や江ノ島が見えた。この懐かしい眺望は何年ぶりだろう。天文館が閉館したのは93年だから、14年ぶりだ。海岸に出る堤防や江ノ島の展望台は変わったが、海の眺めは変わらない。その窓の近くに席に月光舎関係の人たちがいた。とりいちえ、ベンちゃん、石塚、山本艶さんに、天文館の芝居をよく観に来てくれた塚原さん。やがて、瀬高(今は結婚して野口に名前が変わっているが)も5歳の娘を連れて来た。月光舎の旗上げ公演『莫』で共演した元P.E.C.T.の松本美香も来た。瀬高や松本に会うのは実に久しぶりだ。こういう席ではどうしても初めは無言で顔を見合わせているだけだが、お互いに思いは伝わる。やがて、しのぶ会が始まり、鄭さんが30年近くも所属していたアマチュア劇団「かまくら市民劇場」の代表の方の挨拶があり、続いて、鄭さんにゆかりの人たちの弔辞が続いた。知った顔も何人かいた。鄭さんが出演した太田省吾さんの舞台『砂の駅』のビデオも上映された。作品もすごいが、それに出演してタシケントまで行った鄭さんもすごい。間に歓談の時間を挟んだが、ここではアルコールはなし。コーヒーと菓子をつまみながら、鄭さんや天文館の思い出を話し合う。最後の頃に私も挨拶を求められ、前に出て鄭さんの思い出話を話す。なかなかハードな月光舎の舞台で、踊りも披露してくれたり、しかも、すでに75歳を過ぎてて名古屋や大阪の地方公演にも行ってくれた鄭さん。月光舎の舞台のビデオを見せながらそんな話をしたら、終わった後、かまくら市民劇場の人に「こんなに動いている鄭さんは見たことがない」といわれた。確かにかまくら市民劇場の舞台はおとなしいから、もし、鄭さんが月光舎の舞台で動き回っていたことを喜んでくれていたとしたら、うれしい。いや、やはり大変だったかな。
しのぶ会は予定の2時間をオーバーして終わった。その後、昔よく天文館での稽古や本番の後に寄った、134号線沿いにあったおでんセンターから洲鼻通りに移った“銀鍋”にみんなで行った。ここは、かつて片岡鶴太郎の主演ドラマ『季節はずれの海岸物語』のロケにも使われた(おでんセンターにあった時)、江ノ島では結構有名な店なのだが、かつての名物のおでんはなくなっていて、ちょっとガッカリした。今では観光客相手の海鮮丼ものがメインになっていて、料金も高めになっている。ま、観光地だから仕方がないが。そこで生シラスやあなごの天ぷらを肴にみんなでビールを飲んだ。やはり、故人をしのぶ時には酒は必要だ。私の時には盛大な酒盛りをしてほしい。韓国焼酎やマッコルリも入れてね。
“銀鍋”を出て女性陣が帰った後、ベンちゃんと石塚と3人で藤沢に出て、焼鳥を食べに行った。この店も、店内にいろんな武器や防具が飾られていて、親父がいろいろ客に注文をつけることでも有名な店なのだが、名前は忘れた。藤沢の人なら知っているはずだ。その後、ベンちゃんと石塚は別のところに飲みに行ったが、私は結構酔ったので(やはり年と共に弱くなっている)、先に帰った。
10日の水曜日は学校は休みで、歯医者に行った。麻酔をかけられて歯石を削られてなかなか大変な目にあったのだが、思い出すと痛くなるので、これ以上書くのはやめよう。歯医者には15日の月曜日にも行った。この日は学校があったので、麻酔をかけられて前のようにしばらく痺れて感触がなかったらどうしようと思ったが、麻酔はかけられなかった。
13日の土曜日、授業終了後、久しぶりにカメラマンの加藤孝さんに学校に来てもらって、とあるコラボレーションCDで歌っている女の子たちの写真を撮ってもらった。ところが、これが最初とかなり話が違う展開になって、加藤さんやヘアメイクさんたちに大変な迷惑をかけてしまった。加藤さんにお願い出来ないかと頼まれた時、念を押して、どういう写真を撮るのか訊いたのに、当日になって設定がガラッと変わってしまったのだ。加藤さんはプロだから、というか私の顔を立てて撮ってくれたが、あまりにアバウトなところで仕事をしている人たちには、ホント困ったもんだ。平気で時間を押す人たちとかね。プロだったら時間通りに仕事を終わらせろよ、って、私もあまり人のこといえないけど。
帰りは加藤さんに車で下北沢まで送ってもらった。車中で話をしていたら、観に行こうと思っていた瀧川英次の出る自転車キンクリートの『ツーアウト』の写真も加藤さんの撮影だということがわかった。英次とも話をしたという。英次は七里ガ浜高校で、加藤さんは鎌倉高校なので(2校はご近所)、話が盛り上がったそうだ。加藤さんも観に行くということなので、同じ日だったら英次も誘って飲みに行こうと約束をして別れた。
14日の日曜は久しぶりに川崎に行った。かなり前に川崎競馬場にナイター競馬を観に行って以来だ。川崎にあるH&Bシアターというところで、立花演劇研究所という養成所の発表会として、私の作品『グレシアの森に』(原題:螳螂版・森は生きている)と『眠れぬ夜のアリス』を上演するのだ。もちろん、許可を取っての公演。DCS[ドワンゴクリエイティブスクール]の学生で、そこにも通っている子がいて、やらせてもらえないかとお願いしてきたのだ。その子たち(2人)は『眠れぬ夜のアリス』に出る。『グレシアの森に』が13時からで、『眠れぬ夜のアリス』が18時半からだった。観客はやはり関係者ばかり、というか、そこに通っている子の両親や友人たちばかりという感じだった。キャパ100人ぐらいの客席のど真ん中にひとつだけ「御招待席」とあり、そこに案内されて座って観た。
『グレシアの森に』は、実際は2時間を越える大作なので、ここでは辛いだろうなと思って観たら、ほとんどカットせずに1時間40分ほどだった。飽きることはなかったが、上演時間が示す通り、とにかく台詞をただ消化しているだけという速いテンポで進み、ひとつひとつの見せ場が生きてこない。それに、元々当て書きで書いたものだから仕方ないのだが、例えば、女王役を男の大鷹明良がやったからこそ生きてくる台詞が、女の子が女王役をやっているので全然意味が伝わらないというところなどもあって(他にもいろいろあった)、やはりちょっと苦しかった。しかしまぁ、観客は喜んでいたようだし(SMっぽい描写や南極1号ネタなんかもよくやったと思う)、私も久しぶりに客観的に観て、いろいろなエピソードでちょっと涙してしまった。そう、この作品にはいろいろなテーマが込められていたんだ、と思い出した。親子、家族、友情、恋愛、そして、環境破壊や人間らしさ。うん、いい作品だ。考えたら、ちょうど3年前の10月、代アニ・福岡校の時に1年生が学院祭でやったし、8年前にはシアターバロックでもやってくれたっけ(“アジアの宝石”の金濱夏世も出ていたし、声優のサエキトモも出ていた)。そうそう、福岡での無断上演もあったし、高校の演劇部とかでもよくやってくれている。私も、またいつかやってもいいと思った。ちょっと手を加えてね。しかし、主役の斎は、美加理とはいわずとも、男の子っぽい女の子にやって欲しかったな。
『眠れぬ夜のアリス』は、『グレシアの森に』よりおもしろかった。役者たちの演技のレベルはそれほど変わらないと思うのだが、何よりそれぞれが個性的で、その個性が生かされた舞台になっていたのだ。アリス役の石川真結は、アリスは小さいというイメージを裏切ってくれて、その上、表情が豊かでおもしろかったし、DCSの2人も頑張っていた。特に赤ずきんの母親役やシンデレラの魔法使い役をやった古屋智子は、「ヘンな奴」(最高の褒め言葉!)で、大いに楽しませてくれた。チェシャ猫役の鈴木裕美子は、かわいかったが、芝居自体、もっとはじけてほしかった。まぁ、この作品自体がヘンな世界なので、まともな芝居じゃおもしろくないというわけだ。ひとつ残念だったのは、軽快なテンポできていた芝居が、終盤のハートの女王様が父親に戻ってゆく辺りも同じようなテンポで進んでしまったことだ。そのあとも、それまでの芝居とまったく別なテンポにすることで、作品の二重構造性が生きてくるのだ。
芝居が終わり、役者たちや観に来ていたDCSの学生たち、立花演劇研究所の主宰で演出をした立花里美さんらに挨拶をして、劇場を出た。そして、前から行きたいと思っていた川崎のコリアタウン、セメント通りに向かった。ところが、地図を頼りに行ったら、かなり歩いてしまったのだ。川崎駅からは徒歩で優に30分はかかる。しかも、新大久保のように賑やかなのかと思ったら、入口と出口にアーチこそあったが、長いセメント通りは暗くひっそりとしていた。そこにある焼肉屋は12軒ぐらいで(まぁ、多い方なのかもしれないが)、ほとんどアパートばかりだった。私は一番奥にあった、創業1960年という老舗の“西の屋”というところに入った。炭火で焼く、オリジナルのタレの焼肉は確かに美味かったが(特にロースはハラミの部分を使っているということで絶品だった!)、店内も日曜日の夜だというのに空いていたし、気分はあまり盛り上がらなかった。他にも近くに30軒ぐらい韓国料理関係の店や焼肉屋がある川崎のコリアタウンだが、広い範囲に散らばっているため、全体的な盛り上がりは感じられない。私がイメージしていたようなものじゃないといえばそれまでなのだが、新大久保や大阪の鶴橋のような活気が感じられなかったのは寂しかった。しかし、肉はとても美味く、それほど高くもなかったので、また行ってみたいとは思う。駅からはタクシーを使った方がいいので、その分を入れておかないといけないが。
というわけで、今週はここまで。ホントは火曜の夜、下北沢の古里庵でコ・スヒや熊谷さんたちと飲んだ話も書く予定だったが、長くなったのでそれは来週。しかし、来週はまたいくつかの芝居の話が中心になるし、20・21の土日はテアトルフォンテで横浜市の高校演劇大会の審査員をやるので、その話もあるなぁ。また長くなるかな。
(2007.10.18)