2007年8月第1週

 なんかバタバタしている間に8月になってしまい、やらなきゃいけないことが多くて、落ち着いて何かをしているという時間がなかなか取れず、先週も原稿をまとめられなかった。といっても、あまり間を空けても何があったかわからなくなるし、8月もいろいろ動くので、とりあえず、7月末からのことをまとめておこう。2週分なので長くなるが。そうそう、7月中のことで、書いておかなくてはいけないこともあったので、まずはそれから。

 7月13日、劇作家で演出家の太田省吾さんが亡くなった。70年代や80年代の転形劇場の頃は残念ながら接点がなく、T2スタジオの最後の頃に何かを観に行って一度挨拶したぐらいだったが、転形劇場と演劇舎螳螂の解散は同じ88年で、その後、太田さんが湘南台市民シアターの芸術監督に就任してからは、地元(当時、私は湘南台駅のふたつ隣りの高座渋谷駅に住んでいた)での付き合いが始まった。といっても、もちろん頻繁ではないが、月光舎発祥の地である江ノ島の天文館にも、太田さんは公演を観に来てくれたりした。そして、96年の3月には、湘南台市民シアターの演劇ワークショップに参加していた人たちで作った“藤沢演劇プロジェクト”の第1回公演として、太田さんの『プラスチック・ローズ』が上演されることになり、私はその演出を頼まれた。演出とはいっても、総合演出である太田さんが忙しくて来られない時に稽古を進めたり、太田さんの演出意図を伝えるような役目だった。それでも、太田さんは「小松君の好きなように進めて下さい」といってくれ、シーンを膨らませたり深くしていくためのワークショップ的な稽古を取り入れたりしていった。太田さんの隣りで見ている稽古も楽しかったが、稽古の後、ほぼ毎回、市民シアターの前の小さな居酒屋に飲みに行くのが楽しかった。太田さんは、とりあえずビールではなく、最初から日本酒だった。そして、そこで聞く話がおもしろかった。平田オリザのことを「やっと同じ話が出来る若手が出て来た」と喜んでいたのが印象深い。螳螂の結成には寺山修司さんの「学生劇団ではなく、外に出てやりなさい」という言葉があり(当時、私は明治大学の学生で、学内劇団にいたのだが、そこの何人かで辞めて別の劇団を作る相談を寺山さんにした。そのおかげで大学も辞めてしまったのだが(笑))、螳螂を解散した時には佐藤信さんの「30なんて、まだまだこれからだよ」という励ましの言葉があったが(50になった今でも、まだまだこれからだと思っているが(笑))、太田さんにいわれた言葉で印象に残っているのは「小松君の演劇はどんなスタイルなの?」という問い掛けで、そこからいろいろ議論をした。太田さんは、「演劇界で認められるには、ひとつのスタイルを持った方がいい」とアドバイスしてくれたのだが、私は、生意気にも「いろいろな表現の可能性がある演劇をひとつの決まったスタイルでやるのはつまらない。別に認められなくてもいいからいろんなことをやりたい」といった。実際のところ、その頃、私はいろいろ模索している時期だったので、太田さんのアドバイスはとてもありがたかったのだが。う〜ん、あれからしっかり月光舎のスタイルを確立して作っていったら、今頃はもっと演劇界で認められて、売れていたかもなぁ(笑)。とにかく、太田さんはそれまで身近で会っていた演劇人たちにはいないタイプで、ものすごくインテリで、見た目も長髪の長身でカッコよかった。そんな太田さんが、一度だけ激しく怒った時がある。『プラスチック・ローズ』の舞台稽古で、役者たちが台詞を間違えて笑い合った時だ。太田さんはいきなり「何、笑ってるんだ!」と真剣に怒って怒鳴った。周りは一瞬緊張したが、確かにその一言で、それまでちょっと疲れが出たりしてだらけていた空間に緊張感が生まれ、その後の稽古は密度の高いものになっていった。太田さんは、それを考えて怒鳴ったのだと思う。演出家は、そういう対応も必要なのだ。

 つい先日、9月10日の月曜日に南青山のスパイラルホールで献花とお別れ会をやるという案内が来た。なんとしても駆け付けて、太田さんを偲びたい。実は、『プラスチック・ローズ』の出演者のうち、すでに2人が物故しており、そのうちの1人、佐藤文俊君は天文館で何本か一緒に芝居をした。また、湘南台のワークショップに参加していて、太田さんの『砂の駅』に出演してタシケント国際演劇祭にも行った鄭治子さんは、初期の頃の月光舎の舞台には欠かせない人だったが(2003年5月第4週の乾坤写真館にも載っている)、つい先日、太田さんの訃報の後、実は太田さんが亡くなる少し前、7月の初めに亡くなっていたという話を聞いた。90歳だった。太田さんと交流のあった岸田理生さんも、すでにこの世にはいないし、もちろん寺山さんも。みんな、向こうの世界で太田さんに会うことだろう。実は、来年辺り、そろそろ何か始めなきゃいけないかなとは思っていて、いろいろやりたい作品の候補を挙げているのだが、そのひとつに『プラスチック・ローズ』も考えていた矢先の訃報だったのだ。すぐには無理だが、いつか追悼の意も込めて上演したい。

 さて、7月24日以降のことを、箇条書きで。

■7月24日(火)
 今年の3月、代アニの福岡校を卒業し、地元で上京資金を貯めている中川がDCS[ドワンゴ クリエイティブ スクール]の授業見学に来た。福岡では1年間しか教えてあげられなかったが、いわば福岡校最後の弟子たちの一人で、すでに上京して他の養成所に通っている立石と一緒に見に来た。在校生にも、1年先輩の知り合いの吉富や濱田がいて、楽しそうに話していた。来年も何人か福岡組が入りそうだ。いや、代アニ福岡校の教え子以外にも、福岡や長崎や熊本など、九州出身者は多い。彼らに共通していえることは、熱い、ということ。いいことだ。

■7月25日(水)
 本来は休みだが、全体の役員会議のため出社。いや、私は役員じゃないけど。その後、翌日のステップアップオーディションの準備をして、夜は、前日上京した中川を含め福岡校の卒業生4人と新宿で飲む。毎度おなじみ、しょんべん横丁の「きくや」。福岡の焼き鳥と違ってキャベツは出て来ないが、みんな「おいしい、おいしい!」と食べていた。飲むのはもちろん、名物の酎ハイボール。久しぶりに会った牛嶋は相変わらずのテンションの高さ。牛嶋はこっちには住まず、週一回、福岡から通っているというつわもの! 頑張ってほしい。

■7月26日(木)
 午後、夜間クラスとも、ステップアップオーディション。これは、学費が免除になる特待生や、エキスパートカレッジという、デビューに向けての特別授業を受けられる権利を得る学内オーディション。審査員は業界のプロフェッショナルな方々。みんなやはり緊張していたようだが、何事も経験。しかし、4月からたった4ヶ月足らずで、みんなよくここまでやれるようになったと思うと感慨深い。いや、もちろん、まだまだだが。やはり意識を高く持つことが結果に結びついているのだと思う。オーディションの結果が出るのは8月2週の夏休みの後。果たして何人がステップアップするか。このオーディションは9月にもある。

■7月27日(金)
 この日は、DCSだけの会議。授業はなし。翌日の土曜クラスのステップアップオーディションの準備やらなんやらをして、夜は新宿のシアター・ミラクルLa Compagnie Anの『御母堂伝説』の稽古を観に行く。本当はStage Powerの神保さんも一緒の予定だったのだが、急用が出来て一人になった。途中で「銀だこ」のたこ焼きを陣中見舞い用に買って行く。稽古場でやっているのかと思ったら、劇場をずっと借りて稽古をしていた。すごい。ここで公演出来るじゃん。私が観たのは、ちょうどクライマックス辺りのようだった。音楽とダンスの融合がかっこいい。私の大好きな劇世界。最近のアングラもどきに足りない身体性を感じた。女優陣がみんなすごいし、ゲストの韓国の劇団旅行者のクォン・ヨンホはかっこよくてかわいいし。本番がものすごく楽しみだ! 水木さんの演出している姿も初めて見た。なるほど、役者だなぁと感じた。いや、深い意味はないけど。立花あかねさんのショートカットも似合っていてかわいかった。明樹由佳さんにも初めて会ったので挨拶をした。稽古の後、7人で職安通りの毎度おなじみ「カントンの思い出」に行った。いや、金曜の夜だし、「カントン」は満員だと思ったので別のところにしようとしたのだが、通りかかった時に偶然、席が空いたので入れたのだ。サムギョプサルにケランチムはここに来るとほぼ頼む定番メニュー。他にチャプチェ、キムチチヂミ、最後に辛〜いタットリタンにおじや。飲み物は、センメクチュにチャミスルにヌルンジマッコルリ。飲んだ、飲んだ。ヨンホが韓国からの留学生の従業員たちと話していて楽しそうだった。そうそう、この時一緒にいた、もちろん出演者の、清田直子嬢は、何と彼女が韓国留学中の5年前、月光舎の韓国公演を観に来てくれて、一緒に飲みに行ったりもしたということが判明した。なかなか貴重な存在だ。鳥居しのぶや岡村多加江の友達だということもわかった。

■7月28日(土)
 土曜クラスの授業で、午前中はアニメアフレコ、午後はステップアップオーディション。アニメアフレコが延び、ステップアップオーディションの準備が二転三転あり、もうバタバタ。ステップアップオーディションも話が膨らんで当初の予定から大幅に延び、その後出掛ける予定の時間に間に合わず、一緒に行くはずだった会社の小林さんに先に行ってもらう。で、その後どこに行ったのかというと、秋葉原のメイド喫茶。その世界では有名な店で、テレビの『特命係長只野仁』の撮影でも使われている「めいどinじゃぱん」。私は何とメイド喫茶初体験! もちろん、小林さんとただ遊びに行ったのではなく、仕事。店を9月で閉めてしまうため(ビルの建て替えで)、8月に、そこのステージを貸してくれて、学校の学生たちでイベントをやることになったので、その下見と打ち合わせ。いやぁ、実に健全で癒される空間だった。客層もオタクばかりかと思っていたが(確かにそれ系の人は多いが)、アベックや家族連れもいる。まぁ、秋葉原名物ということもあるんだろうけど、観光客も来るそうだ。もちろん、気に入ったメイドさんがいたら、一緒にゲームをしたり、カラオケを歌ったりも出来る。ゲームで勝つと、メイドさんとツーショット写真も撮れる(店内は基本的に撮影禁止)。飲み物や食べ物も凝っていて、私は、前にも来たことがあるという小林さんオススメの“特製めいでぃんオムライスセット”を頼む。1500円でドリンク付き。しかも、何とケチャップを、メイドさんが客の好みの絵通りにかけてくれるのだ(笑)。私は「じゃあ、あなたの似顔絵を」と、あかねちゃんというメイドさんの顔を描いてもらった。ケチャップをかけているあかねちゃんと、それを私が横でニコニコしながら見ている絵といったら……笑える。他にもいろいろなシステムがあり、常連さんは会員になればいいが、別に会員でなくてもフリーで充分楽しむことが出来る。話のネタには絶対行っとくべきだな(笑)。とにかく、マスコミで変な風に取り上げられている感じではなく、本当に健全で癒される空間だということはわかった。客たちはみんな楽しそうだったし。

 その後、秋葉原を出て下北沢に行き、福岡から東京に芝居(あなピグモ捕獲団や野田の『THE BEE』)を観に来ていた丸山さんと、福岡のFPAPの元職員で、今は世田谷パブリックシアターでアーツ・マネジメントの研修中の横山さんと飲む。場所は例によって古里庵。二人には先に店に行っていてもらうようにメールで場所を教えたが、やはりあそこはわからないようで、近くのうなぎ屋の前にいた。ま、古里庵は知ってる人じゃないとおそらく入り込めないであろう場所にあるからね(笑)。丸山さんは演劇が大好きな福岡の高校の先生で、私が代アニ福岡校にいた時、丸山さんの教え子が何人か入って来た。彼らは今年の春に卒業して東京に出て来て、よく交流している。5月に飲みに行った中にもいたし、7月24日に学校見学に来たTもそうだ。その日は3人で福岡の演劇界についての話で盛り上がった。下北沢で福岡の話とは(笑)。あと、丸山さんの「公務員はいい」という話とか(笑)。横山さんに「月光舎の制作やってよ」というような話もしたような(笑)。3人で飲むというのは初めてだったが、なかなか楽しい時間を過ごせた。古里庵の料理も美味かったし。あ、やはり納豆の天ぷらは「福岡では食べられない」と喜んでたな。

■7月29日(日)
 神奈川の高校野球の決勝戦を観て、図書館に行き、帰りに選挙の投票。選挙の結果はどう考えても明らかなのであまり興味なし。ダメなのはわかってるんだから、何とかしてほしいってことだけ。そのために何をどうすればいいのかちゃんと考えてるのかなぁ、あの人。しかし、年寄りが落ちて若い人が当選しているような気がする。議員の平均年齢の推移って、誰か調べてないのかな。自分で調べてみようかな。いや、そんな時間はないか。この日は、翌日の人間ドックに備えて、一切アルコールはだめで、食事も8時までに済ます。それ以降は何も口に入れてはいけないとのこと。で、起きてても腹が減るので早く寝たのだが、夜中に暑くて起き、何も口にしてはいけないことをすっかり忘れてて、アイスキャンディーを食べてしまう。食べ終わって寝ようとして気がつく。検査で血糖値が上がっていたらどうしようと少し心配になる(笑)。

■7月30日(月)
 朝5時半起きで、人間ドックの7時半からの受付に間に合うように家を出る。場所は新宿の職安通りの健診センター。毎度おなじみのコリアンタウンのところなので笑っちゃう。こういう本格的な人間ドックは久しぶり。バリウムも久しぶりに飲んだが、昔と違ってちゃんとバニラ味になっていて、これで冷たきゃ、ちょっと濃い目のマックシェイク。グルグル動く台の上で身体もグルグルさせられるのは、私ゃ身体の緊張弛緩で動かすのは慣れてるから大丈夫だけど(いや、それでも発泡薬のおかげで苦しかったが)、普通のおじさんやおばさんたちゃ大変だろうな。この検査が人によって時間が違う(私の前の人はすごい時間がかかって、出て来た時は、髪が乱れている上にグッタリしてて辛そうだった)のはわかる気がする。すべての検査が終わり、審査結果を聞いて11時近くに終了。やはり、血糖値がちょっと高く、体重もオーバー気味だった。う〜ん、ダイエットしなくては。いや、するぞ! 今年の夏、5kgは落とす。いや、最低3kgはね。有言実行あるのみ! といいながら、帰り、あまりの空腹に耐え切れず、そこでもらった1.000円のお食事券を使って、「ねぎし」で牛タン塩焼きセットを食べてしまう。美味かった。

 この日は、夜間クラスの授業までの間、録音スタジオで、とある声優の子のアフレコの練習に付き合う。その子の友人の声優も見学に来ていて、一緒にやってみたり、アドバイスしてくれたり。すでに仕事をしているからといって、やはりどこかで練習をしていないとダメになっていってしまう。プロの世界はどこも厳しいのだ。

■8月1日(火)
 午後クラスの授業は社長の話と前に録ったアニメアフレコの確認。退社後、4ヶ月ぶりに関内の代アニ横浜校へ。去年も観た神奈川新聞の花火大会。校舎の屋上から、みなとみらいの臨港パーク沖で上がる花火が見えるのだ。ただし、この校舎から観ることが出来るのは今年が最後。学校が別の場所に移転するからだ。来年は観れるのかどうかわからない。屋上に、久しぶりに会った先生方や1年間教えた学生たちが集まり、7時15分から花火が始まった。ビールを傾け、枝豆をつまみながら観る花火は最高だ。ただ、ちょうど花火が見えるビルの谷間に、どうも新しいビルが建ったらしく、高く上がった花火じゃないと見れなくなってしまった(笑)。ちょっと遅れて、妻も来た。子供たちも誘ったのだが、みんな断られた。まぁ、親と観てもおもしろくもない年頃になったのだろう。先生方ともいろいろ近況を話し、学生たちとも「最近、どうよ」と話し、いろいろアドバイスもした。横浜校の体験入学に何回か来ていたのでよく知っていて、今年入った1年生の子に「なんで辞めたんですか、小松先生がいたから入ったのに」といわれた時には「すまん」としかいえなかったが。花火大会終了後、前から行きたいと思っていた、伊勢佐木町にある延辺料理の店「延明」に妻と一緒にちょっと寄り、羊肉串を少し食べた。普段は1本100円なのだが、何と8月いっぱいは、半額の50円になっていた。安い! 椿組を観に行った後に行った、同じ延辺料理の新大久保の「千里香」もいいが、今度、関内に行った時には、ぜひまた「延明」に行きたい。この日は、その前におでんやフランクフルトなどを食べていたので、あまり食べられなかったから。

 その後、8月に入ってからは、とりあえず、いつも通り、学校に行けば授業がなくてもいろいろやることはあるし、3日には、録音スタジオに籠って、48人分のナレーターのオーディション用のボイスサンプルを1日がかりで収録したり、相変わらずの忙しさ。4日の土曜は、学校帰りに相武台前の駅からも厚木の花火大会の花火が見えて、今年は2回も花火を観てしまった。とはいえ、2回とも遠くからなので、もう1回ぐらい、もう少し近くでちゃんと観たい気もする。やはり、夏に花火はいいなぁ。今年は椿組で『花火、舞い散る』も観たし。そうそう、5日の日曜日には、さすがに連日の疲労回復のために温泉に入りたくて、久しぶりにかしわ台の「ここち湯」に妻と三男との三人で行った。露天の天然温泉や泡風呂は、ここのところ続いていた足腰のしびれや痛みもしっかり取ってくれた。ところが、露天風呂にのんびり浸かっていたら雷が鳴り出したので、三男と一緒に内風呂に戻った。しばらくして館内放送があり、露天風呂は雷のために使用中止になってしまった。運良く入れたから良かったものの、その後、大雨になり、タイミングの悪い人は残念ながら露天風呂に入れなくなってしまった。やはり、露天風呂にも雷が落ちたりすることがあるんだろうな。

 というわけで、かなり長くなってしまったが、これでちょっと一段落。7日の火曜日には、La Compagnie Anの『御母堂伝説』の本番を観て来たが、それについては、来週。おっと、来週は、月・火と合宿があるので、その報告ともども、また水曜日になるかな。8月15日だな。終戦、いや、敗戦から62年か。日本は平和だな。

(2007.8.9)


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