4月も一週間が過ぎ、久しぶりの電車通勤になる横浜の関内通いも、何となく落ち着いてきた感じだが、神奈川を離れて福岡に行くことになった3年前の4月は、いろんなことがあったのを思い出した。大好きだったレスリー・チャンの飛び降り自殺、そして、月光舎に何回も出てもらった役者・渡部克浩の突然の死と、ホントに嫌なことが続いた。まるで、その辛さから逃れるかのように福岡に旅立ってから(いや、実際は全然そんなことじゃないんだけど)、もう3年になるんだなぁ、としみじみ思う。振り返ってみると、3月から4月にかけてというのは、どうも私にとっていろんなことが起きる季節のようだ。4年前の3月末には、5月の韓国公演の準備で5回目の訪韓をしているし、2年前の3月末にも韓国に行っている(8回目)。去年は福岡西方沖地震があり(私にとって、というわけじゃないが、福岡で、いや、厳密には小倉で、遭遇したということで)、今年は神奈川に戻ってきた。やはり、春というのは新しい季節の始まりであり、世の中自体が新年度ということで、いろいろ何かが起きるのだろう。
さて、この4月からの新年度は、代々木アニメーション学院の横浜校で授業を行っていくわけで、また新たな出会いがあるかと思うと、ワクワクする! 当然、地元だという愛着はあるし、神奈川も高校演劇が盛んなところだし(福岡もそうだった!)、2年生の卒業公演も、月光舎のホームグラウンドのひとつだった相鉄本多劇場になるようだし(2002年の韓国凱旋公演以来になる!)、2年間毎日教えていくという中で、次代を担う表現者をしっかり育てていきたいと思う。学生数も、今のところ1クラス25人ぐらいで理想的だし、1年2クラス、2年2クラスの4クラスだ。男女比だと4:6で女子が多いようだが。1年も2年も、午前が波クラス、午後が雲クラス。あと、毎週木曜日に夜間クラスがあり、通常の授業は今週末からだが、先週、夜間クラスの授業があり、横浜校の常任としては初めての授業を行った。夜間クラスだけに15歳から32歳までと幅広い年齢層で、12人の学生がいた。中には、中学で演劇部にいたという高校生や、ダブルスタディ(1学科の授業料で2学科の授業を受けられるお得な制度)でコミック科の授業も受けている学生などもいて、なかなかユニークな顔ぶれだった。
そして、今日4月10日、東京・大宮・横浜・アキバ(秋葉原)と、代々木アニメーション学院、関東圏4校の、三遊亭楽太郎学院長の下での最初の入学式が、新宿の厚生年金会館で行われた。石原のぶてる衆議院議員も祝辞で駆けつけてくれるなど、なかなか盛大で華やかな入学式だった。横浜校の新入生にも声をかけ、何人か顔も覚えた。明日、明後日と学院でオリエンテーションがあり、福岡で常任講師とやってきた3年間を踏まえての、横浜校での通常授業は、いよいよ今週の金曜日から始まる。楽しみだ!
いずれにしても、仕事とはいえ、そして、講師と学生という関係とはいえ、表現というクリエイティブな世界で生きていくのだから、しっかり結果を出せるように、刺激的な環境の中で教え育んでいきたいと思う。いつもいってることだが、そのためには、教える側もいろいろ勉強していかないと!
ところで、最近は、いろいろな俳優や声優など表現者の養成学校があるようだが、そういった多くの学校に関係のある訴訟のことがStage Powerのnewsにも載っていたし、記事にもなっていた。劇団ショーマの高橋いさをさんが講師を務めていた俳優養成所のカリキュラムや発表公演で、作者の許可なく、無断でテキストを使ってしまったという事件のことだ。結果としては和解という形になり、訴えた側のシナリオ作家の伴一彦さんのホームページから、その経緯を逐次伝えていたコラムは一旦削除されてしまったが(裁判の経過報告を加え、改めて掲載されるということだが)、私は、著作権という問題に関する重要な、そして、当事者だからこそのリアルなレポートとして、興味を持ってずっと真剣に読んでいた。思えば、私の『グレシアの森に』が、作者にまったく許可なく、福岡のアマチュアグループで(代アニ・福岡校の卒業公演をやった博多市民センターで)上演され、私が直接観に行って、「作者です」といったら、関係者がうろたえていたことを前に書いたが、おそらく、こういうことは未だにあちこちで行われているのだろう。その時の私の対応は、人に対して、甘いといえば甘いのだが。
当然、代アニでの卒業公演は、私の作品か、おととしの『聖ミカエラ学園漂流記』の時は作者の高取英さんに上演許可をもらったし、他の養成学校が私の作品をやる時には、ちゃんと私に上演許可を求めてくる(いや、実は、ネットで検索すると、私の知らないところでやってたりするのもあるのだが……)。一般の観客も入れる発表会の時は、たとえ無料公演であれ、許可を取るのは当然だと思うのだが(高校演劇の大会などでは、作者の上演許可証が必要なはずだ)、高橋いさをさんはそれをしなかったようだ。なぜしなかったのか、それはわからないが、私が意外に思ったのは、授業のカリキュラムの中でも、そのテキストを使っていて、教室で発表したことに対しても無断上演として訴訟が行われたという点だ。つまり、著作権や上演権というのは、どこまでの範囲になるのだろうかということだ。例えば、多くの養成所では、外郎売りの台詞やシェイクスピアの戯曲をテキストとして使う。あれは古典だから、著作権が切れていると考えることが出来るが、翻訳者の権利というのはどうなのだろうか。また、現代作家の作品をレッスンの中でテキストとして使用する場合には、制限などはどうなっているのだろうか。どのくらいまでならいい、とか、引用を明記すればいい、とか、あるいは、あくまでも上演するという形にのみ、上演権は成立すると考えていいのだろうか、とか、いろいろ気になる。名誉毀損は親告罪だが、著作権とか上演権も、親告されなければいいいのだろうか。戯曲集の戯曲をコピーして使うことも、本当はいけないことだというのも聞いたことがあったような気がする。こういったことは、本当は、演劇関係者のみならず、あらゆる著作権を持つ人々や、そういった文献を使用する立場にいる人たち、みんな、知っておかなくてはいけないことなのだと思う。今回の、身近な訴訟問題で(和解になったが)、私も改めて興味を持った、というか、知っておかなくちゃいけないと思ったので、これからしっかり調べてみたいと思う。もしかして、私も訴訟を起こせるかも……いや、訴えられないようにもしないとね。
もうひとつ、先週、長々と書かせてもらった『豚とオートバイ』の総括に、いろいろ意見をいただいた。公演にかける思いや情熱が感じられたというものだ。ありがたいことなのだが、演出家本人としては、まず、その思いや情熱が、観客の目から見て、公演にきちんと反映されていたかどうかという点が気になる。つまり、作り手側の独り善がりになってしまっていてはだめだと思うからだ。こういう作品(脚本)だから、演出家がこういうことをしたかったというのはわかる、だがこうだった、とか、では、ここはこうした方がいい、とか、それはここでこう感じられた、というような、批評や感想が欲しいのだ。考えたら、私はいつも、そういうスタンスで他の芝居の感想を書いているような気がする。まず作品を理解しようとし、それが「演劇」として、どう成立しているかと考えるのだ。まぁ、だから、おもしろいか、おもしろくないかだけで判断してしまうような観客とは、どうしても相容れないのだとは思うが……。
それと、これは当たり前だと思っていたのだが、ひとつの公演をやる時には、それだけの思いや情熱を持ってやるのは当然のことなんじゃないかという気持ちを感じたことだ。これは別に、思いや情熱を感じました、といってくれた人を責めているのではない。いや、そういってくれた人も、私の文章からそういう思いや情熱を感じたことを喜んでくれたり、そういう文章を改めて書いたことを喜んでくれたりしているのかもしれないが、一瞬、私は、え、そんな思いや情熱を持つのは当たり前なんじゃない、と思ったのだ。おそらく、そんな風に思ったのは、私が過去に、そういう、思いや情熱を感じない舞台を何回か観たりしたからなのだと思う。当然、福岡でもあった。演出家にしても役者にしても、“命懸け”というと大袈裟だが、少なからず、観て「凄い!」と感じた舞台には、私は、そういう“命懸け”さを感じた。それは、危険度や大仕掛けや派手な部分での“命懸け”さでは決してない。静かな演劇であっても、「凄い!」と感じ、“命懸け”さも感じたものもある。最近では、チェルフィッチュも、ギンギラもそうだ(スゴイ両極端!)。とにかく、演出家は、いや、演出家だけでなく、その公演に関わるすべての関係者は、思いや情熱を持って公演に取り組むのは当たり前だし、そうじゃなきゃ、金を払って観に来てくれる観客にすまないだろうと思う。
ということで、今週は、いや、今週も、演劇のサイトらしく、まじめにまとまってしまったが、最後に、『豚とオートバイ』のパク・キョンスク役の都地みゆき嬢から教えてもらった成分解析で調べた“小松杏里”の成分結果をお知らせしよう!
『小松杏里の成分解析結果 :
小松杏里の58%はミスリルで出来ています。
小松杏里の28%は言葉で出来ています。
小松杏里の6%は黒インクで出来ています。
小松杏里の4%は勢いで出来ています。
小松杏里の4%は呪詛で出来ています。』
ちなみに、私の58%を占めている“ミスリル”というのは、トールキンの小説『指輪物語』に出てくる灰色の輝きを持った「まことの銀」とも呼ばれる架空の金属のことで、ファイナルファンタジー・シリーズの剣や鎧の素材としても使われているそうな。
さて、あなたは、どういう成分で出来ていますか? 調べてみて下さいな!
【今週は写真はありません】
(2006.4.11)