2005年1月第2週

 正月を神奈川で過ごし、5日の朝に福岡に戻ってきて、学院で翌日からの授業の準備をしているところに、妻から電話があった。それは、元・螳螂のガンちゃんこと冬雁子[とう かりこ]の訃報だった。5日の0時27分に息を引き取ったという。享年47歳。翌日が誕生日で、2月生まれの私と同い年だ。三年前に見つかった肝臓の癌を、一度は手術で取り除くことが出来たが、昨年再発し、手術をしたが今度は取り除くことが出来ず、世界でも38例目という特殊な癌のため、抗癌剤も放射線も効かず、最後は癌がいろいろな臓器に広がっての死だった。痛みを抑えるためのモルヒネもどんどん強くなり、最後は意識もなくなり、静かな死を迎えたそうだ。だが、その前の痛みは壮絶なものだったろう。暮に妻が、福岡に来る前、元・螳螂で道学先生のかんのひとみと一緒に見舞いに行った時も、つらかっただろうにそんな素振りは見せなかったという。我慢強いガンちゃんのことだから、きっと一人で耐えていたに違いない。かわいそうという言葉しか思い浮かばないのがつらい。その時、「こまっちゃんはいつ帰って来るの?」と聞いていたという。正月に会いに行けないまま、こんな結果になってしまったのが悔やまれる。

 何から書いていいのかわからない……ガンちゃんについては、去年の8月の第4週に、2回目の手術を受ける前に病院に見舞いに行った時のことでちょっと触れたが、 彼女がいなかったら、演劇舎螳螂は生まれていなかった。つまり、私の演劇人生はな かったのだ。それは、彼女にとってもそうだろうけど。

 19歳の時、明治大学の駿台劇研・螺船で寺山(修司)さんの『疫病流行記』を上演したことで、寺山さんから助言をもらい、同じく螺船にいた福士恵二(その後、天井桟敷に入った)と児島達也(音響担当)と新しい劇団を作ろうということになったのはいいが、他に劇団員がいないと出来ないということで、延び延びになっていた時、私がアルバイトをしていた御茶ノ水の“穂高”という喫茶店の同僚が、高校で演劇をしていたという女の子を紹介してくれた。それがガンちゃんだった。第一印象は、随分大人びた感じがしたが、聞けば同い年だった。当時、ガンちゃんは高校を卒業して“ニッセイのおばちゃん”をやっていた。ガンちゃんと同じ高校の友人の小林千恵子も螳螂に入ることになり、制作をやってくれた。そして、1977年3月、明治大学4号館内の螳螂の小さなアトリエで、私の処女作でもある、演劇舎螳螂旗揚げ公演『軌跡〜ロウカス〜』は上演された。出演者は福士とガンちゃんを含め、たった4人だった。この時に、その後の螳螂の演劇的な方向性、そして、ガンちゃんの役割が決まったような気がする。つまり、螳螂は実験劇や前衛劇志向であり、ガンちゃんは20歳にして、すでに螳螂の母親的存在になったのだ。

 もう30年近く前になるが、この旗揚げ公演のことは、昨日のことのようによく覚えている。人形ぶりで芝居をするところがあるのだが、ガンちゃんと福士の動きが素晴らしかった。ガンちゃんは、身長はそんなに高くないのだが、動きで存在を大きく見せる。この旗揚げ公演のように、少人数で緻密な芝居をやりたいと思ってやったのが、螳螂とは別のユニットを作って公演した『バイオ・死の寓意』だ。この時のガンちゃん、そして、今はサラリーマンになっているという神宮司修の動きも素晴らしく、美しかった。長谷川和彦監督が観に来て、絶賛してくれた。実は、月光舎の『啼く月に思ふ』も、少人数ではないが、この系譜の作品だ。ガンちゃんに観てもらえなかったのが残念だ。最近は『冬のソナタ』にはまっていたガンちゃん(ポラリスの携帯ストラップのおみやげをあげたのをとても喜んでいたと、昨日お姉さんから聞いた)を、韓国公演にも誘えなかった。ずっと体調が悪かったのだ。話が飛ぶが、香港には、中国に返還される前に一緒に行った。香港に住んでいる私の小学校の時からの友人を訪ね、ガンちゃんと元・螳螂でラッパ屋の武藤直樹と螳螂の制作を手伝ってくれた伊藤素子と妻と私の5人で行った。豪雨でホテルのロビーは水浸しになるし、いろいろ初体験ばかりでなかなかの珍道中だった。

 ……ガンちゃんとの思い出を書いていくとキリがない。何しろ、私が演劇に関わってから一番古い付き合いで、30年近く、螳螂がなくなってからも彼女が出る芝居を観に行ったり(燐光群やはみだし劇場によく出ていた)、たまに連絡をしたり(といっても、主にガンちゃんと仲のよかった妻と話をしていたが)、ずっと、同志として付き合ってきたのだから。プライベートでは、結婚(結婚式は明石スタジオでやった)も離婚も経験したガンちゃん。うちの子供たちにも、小さい頃よくおみやげを買ってくれた。ガンちゃんというと、楽しくてニコニコしている顔と、若手を叱る時の厳しい顔と、女優としての美しい顔を思い出す。それに、昔は天地真理に似ているといわれた。声も、いつも元気でよく通る声だった。映画やテレビにも時々出ていた。NHKの朝のテレビ小説に出ているのを観た時はうれしかった。井筒監督の『のど自慢』も、ちょっとの出演だけだったけど、いい。改めてガンちゃんの出演作品を観直したい。近年はホラー映画も多かった。幽霊や死体の役もやっている。阿部能丸が葬儀の時、一緒に共演したという幽霊の格好をしているガンちゃんの写真を持って来て、みんなに見せたら、みんなはひいたという。あたり前だ。阿部[あぶ]は相変わらず阿部だ。きっとガンちゃんは「もう、あぶったら!」と怒っているに違いない。もちろん、螳螂のビデオも観直そう。『レプリカ』のガンちゃんは凄いし(みんなも凄いけど)、『ヴォイツェク』は美しく(みんな美しい)、『ダブル・テイク』のガンちゃんは思いっきり笑える。『ダブル・テイク』では、ガンちゃんが風邪で倒れ、一日だけ私が代役をやったことがある。まだまだ話は尽きない。

 実は、訃報を聞いてからも、学院の授業はちゃんと気持ちを切り替えてしっかりやったし、新年会の飲み会もあって、人前では普通にしてたけど、家に帰ったら何もやる気も起こらず、この三連休も家に閉じこもりっきりでした。芝居も観に行く気も起こらず、当然、競馬も。なんか文章も変かもしれませんが、すみません。文体、変わりましたね。

 私は行けませんでしたが、妻や何人かがいろいろ連絡してくれて、6日の通夜や7日の葬儀には、元・螳螂のみんなが来てくれたそうです。元・旦那の大鷹明良は当然ですが、美加理も阿部能丸も新童龍二も中野真希もかんのひとみも武藤直樹も高橋滋己も高橋かおりも美佐緒もかとうも渡辺敬彦も黒田隆行も。そして、螳螂でずっと音響をやってくれていた松本昭ご夫妻や音楽の千野秀一ご夫妻、螳螂の原点でもある明石スタジオの浅間さんや制作をやってくれた小松克彦さん、龍昇こと平井さんや椿組の外波山さんと、はみだし劇場で共演もした鳥居しのぶさん、それに、まぁ、いろいろあった前川麻子ご夫妻と、ガンちゃんも小さい頃よく面倒を見ていた娘の日向ちゃん。高取英さんからは供花が届いていたそうです。そういえば、この前『ミカエラ』やったばかりなんですよね。ガンちゃんは学園長のシスター役でした。去年の学院祭でやった『グレシアの森に』を螳螂でやった時(『螳螂版☆森は生きている』という螳螂の最終公演でした)、ガンちゃんは弥生という母親役でしたが、それにも出ていたのまひろみや藤掛利佐、そして、須和野裕子さんや清水ベンご夫妻からは弔電が届いていたそうです。

 私は2月に神奈川に帰った時に、線香を上げてきます。もしかすると四十九日の納骨にも立ち会えるかもしれません。そうそう、前からいっていた、演劇舎螳螂という、すでにない劇団のホームページを作るという企画、みんなも賛成してくれたそうなので、螳螂の記憶ははっきり覚えているという阿部能丸の協力を得て(私の記憶は曖昧になってきているので)、早く演劇舎螳螂のHP作らないと。う〜ん、昔を懐かしむわけじゃないけど、80年代の活動の結びつきって深いものがあるような気がします。確かに我々も青春時代だったけど、劇団という結びつきが深かったからなんでしょうね。バブルも関係あるのかな。今はプロデュース公演が多いし、不景気だし。

 結局、ガンちゃんとは何本芝居に関わったのかなぁ……ま、いずれ螳螂の資料が整理出来たらわかるよね。あぁ、ガンちゃんと、もう一度芝居やりたかった! そういえば、なんか一度話したことあったね。一夜限りの螳螂復活公演! 阿部が制作やるとかいってたっけ。でも、もうそれもやれないね。いや、ガンちゃんがいなかったら、やりたくないよ。悲しくなるだけだからね。ま、いずれ私もそっちに行くし、そっちでいいメンバー集めて待っててよ! なんか結構、俺が一緒に芝居やってたやつで、そっちに行っちゃったやつ多いんだよ。みんな、まだまだ若いのに。なんでだろうね。ま、そのうち、他のみんなも行くだろうけど。そうだ、ガンちゃんのために、なんか本書いて持ってくよ! あ、でも、それだったら、書き上がったらそっちに行かなくちゃいけないってことかな。まぁ、まだ行きたくないから、のんびり書くよ。そっちに行って演出出来ないような年までは、こっちにいたくないけどね。しかし、やっぱ47は早過ぎるよね。これから、女優として渋くていい味を出していけたのに。阿部が、ガンちゃんの分まで頑張って役者稼業を続けるっていってるけど、俺も48から新人役者として頑張ろうかな。いや、身体がついていけないね。でも、相変わらず声は大きいよ。声だけじゃだめか。ま、でも芝居は続けるよ。韓国公演もまた絶対するから、その時はそっちからついておいでね。陰ながら、って本当にそうだけど、応援してくれ! 今度、2月にちょっとは近くで一緒に飲めると思うので、楽しみにしてる。福岡でも一人で通夜やってたけど、遠いからね。それじゃ!

 合掌。

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(2005.1.11)
(つづく)


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