2007.10.20
NYの日本人俳優(29)

インディーフィルム

突然インディペンデント映画の仕事が入ったとエージェントから連絡があった。私はそのときパリで演劇のワークショップを受けていたが、そのワークショップを数日休んでフランクフルト経由でボストンまで飛びそこからロケ地まで車で2時間、アメリカ北東部のメイン州Kennebunkportというロケーション現場に向かった。

映画のタイトルは「THE LIVING WAKE」。日本語に訳すと「生前葬」。風変わりな人間たちが住むボーディングハウスの住人の一人の男がある病名不明な病気にかかり、その病気でいつの日の何時何分何秒に死ぬと医者から宣告され、それでその男は自分にかかわる人たちを招待して生前葬のパフォーマンスを計画するというストーリーで、私はそのボーディングハウスに住む変な東洋人を演じた。

THE LIVING WAKE 01
The Living Wake ロケーション

ここKennebunkportは財界・政界の著名人が別荘を所有する有名な夏のリゾート地らしいが、私なんか映画の撮影がなければ来るようなところではなさそうだ。そんなアメリカ北東部の片田舎の高級リゾート別荘地のホテルにチェックインできたのは夜の8時を過ぎていた。季節がちょうど10月だったことで夏のバカンスシーズンはすでに終わり、まったくといっていいくらい人の気配もなければ自動車の音も騒音も無い、シ〜ンと静まりかえった森の中のホテルに連れて行かれた。今夜このホテルに宿泊しているのは私一人だけではないかと思ったくらい無音、無人の世界にあの花の都パリからやってきた。途中コンビニにも寄らなかったのと、シーズンオフのホテルのレストランは事前に予約を入れてないと営業してないので、私は冷蔵庫にあった朝食用のマフィンとヨーグルトとオレンジジュースでその夜の空腹を補い、旅の疲れでそのまま寝入ってしまった。わざわざパリから乗り継ぎ乗り継ぎで14時間かけてやって来たのに食事の準備もされていないとは、、、トホホ、、インディー映画。

THE LIVING WAKE 02
監督との2ショット

翌朝撮影隊のPAから部屋に電話があり、コールタイムは午後2時ということを知らされて、やや時差ボケの私はもう少し寝ようとウトウトしていると、そのうちにスタッフの一人が車で迎えに来て、撮影隊の本部にしている森の中の一軒家の現場まで連れて行かれた。すでに撮影は1週間ほど前から始まっていたらしくスタッフやメインの役者達は数日前からここに来てたようだ。私は監督やプロデューサーに会わされ、それから他の役者達にも会い自己紹介して、その一軒家の中でぶらぶら時間をつぶしながら衣装合わせやメイクをされた。それにしてもアメリカの田舎の一軒家はバカでかい!その一軒家から草むらを歩いて、というか無理やり草を踏み倒し小道を作って2分ほど行くと、野球場が何個か入りそうな周りを森で囲まれているだだっ広い高原があり、そこにぽつんとこじんまりした木造で天井の無い舞台と20席ほどの客席のセットが建てられていた。

THE LIVING WAKE 02
The Living Wake セット

撮影が始まったのはあたりが薄暗くなりかけたころからだった。夜間の撮影だったので暗くなるまで待っていたらしい。しかし10月半ばの大西洋に面したアメリカ北東部のこの地域は、日が暮れ始めると急激に気温が下がるということをLAからやってきたスタッフの誰もが予測をしていなかった。とにかく気温の低下が尋常ではなかった。とくにこの日はその時期にしては急激な天候の変化だったようで、昼間はまだTシャツでもしのげてたのに、夜になってから吐く息も白く、摂氏で氷点下になってきた。スタッフは慌てて外用のヒーターを探し回り取り寄せたり、焚き火をするなどして大慌てだった。それにしても虫の音も無い静けさの中、空は絵の具の群青色に小さなガラスを散りばめたような透き通った暗さで、夜中の2時を過ぎたころ遠くから狼の遠吠えが聞こえたときにはみんな驚いてその音に聞き入ってしまった。

THE LIVING WAKE 05
主役のジェシーとメイクさんと

今夜の撮影はラストシーンのパーフォーマンスの場面。私は客席でただ突っ立ってるだけで台詞も無く、水色のジャージの上下に黒の革ジャンの衣装。あまりの寒さでジャージの下に6枚もシャツやセーターを着込んでの撮影。この時期季節が最高のパリから氷点下で狼の遠吠えの聞こえるロケーション現場まで14時間かけて私は台詞の無い変な東洋人を演じにやって来てしまった。そんな凍えるような寒さの中撮影は明け方まで続いた。

撮影が終わり私はその日の午後の便でそのままパリに帰った。するとパリに帰った翌週、別のシーンの撮影をするからと私はパリ発フランクフルト経由でボストンまで飛び、そこから車で2時間かけてメイン州のKennebunkportまで行きあの静かなホテルにチェックインした。まったく先週と同じコースで乗り継ぎ乗り継ぎ大西洋を越えてやってきた。

今回は私がメインのシーンの撮影で台詞もあった。今回のロケーションはボーディングハウスの中。築100年くらい経ってそうな今にも潰れそうな木造二階建てのバカでかいハウス。よくこんな家を探してきたと感心するほどオンボロハウスだ。

THE LIVING WAKE 04
The Living Wake ボーディングハウス

私はそのボーディングハウスに住み毛沢東の演説テープをいつも聞いている変な東洋人。その日に台詞が書かれたシーンノートを渡された。英語で書かれている台詞を中国語で言ってくれといわれたので、スタッフの一人にサンフランシスコ出身のチャイニーズの人がいて、その彼女から中国語の台詞を習った私は、撮影までの数時間中国語の台詞を言いまくって役作りをしていると撮影寸前に監督が、台詞を中国語と韓国語と日本語の三ヶ国語で喋ってくれないかとの注文がきた。私は急遽さっきまで習った中国語の台詞を韓国語と日本語にも訳した。主役の彼からパフォーマンスに使う花火を作ってくれと頼まれた私は、その花火に火薬を注ぎながら彼とさっき習ったばかりの中国語と韓国語と日本語で会話をするというシーン。何回かのテイクで無事撮影も終わりそして私はその日の午後の便でパリまで帰った。

この撮影は2005年の10月に行われたが、なぜか未だ一般にリリースされていないようだ、、。トホホ、、インディー映画、、、。

THE LIVING WAKE 06
コスチュームを着て

【編集部(勝手に)注】
THE LIVING WAKE サイト
第9回シネベガス映画祭 Jackpot Premieres
about"THE LIVING WAKE"(TheInternetMovieDatabase)
about"Jun Kim"(TheInternetMovieDatabase)


前回