2005.3.8
NYの日本人俳優(25)

自分は自分!

アメリカの演劇について最近よく考える。それは昨年イギリスに演劇の勉強に行ったり、ドイツに3ヶ月ほど滞在したことがかなり影響していると思う。

シカゴにステッペンウルフというアメリカではかなりの知名度の高い劇団がある。そのステッペンウルフが村上春樹の書いた「地震のあとで」という短編集をアダプテーション(脚色:編集部注)した芝居をやるため、先日NYでオーディションがあった。来月はLAでもオーディションをするらしい。シカゴで東洋人の役者をさがすのは難しいのでNYまでやって来たのだろう。日本が舞台で日本人が登場する芝居なので、日本人の役者を探してるかと言うとそういうわけではない。アメリカ人から見て日本人に見えたらそれでいいわけだ。アメリカ人作家が書いてベストセラーになり映画化される「メモアーオブゲイシャ」も、主役は英語がしゃべれない中国人女優。アメリカ人には中国人と日本人の違いの判断がつかないということだ。しかしそれは逆も言える。我々日本人から見て、フランス人もアメリカ人も見た目では区別がつかないのと同じことかも。

話をステッペンウルフのオーディションに戻そう。それではディレクターは英語力で役者を探しているのか。英語の発音にアクセントがある役者か、アクセントのないきれいなアメリカンイングリッシュをしゃべる役者。それとも見た目を第一に考えているのか。東洋人の役者か、日本人の役者か。ここでまた逆を考えてみたい。日本でチェーホフとかモリエーなんかを日本語で日本人で演じる場合、役者はロシア訛とかフランス訛で芝居をやらない。それでは、チェホフの芝居を出演者全員日本語がしゃべれるロシア人役者でやるとした場合、ロシア訛の日本語でやる場合と、訛の全くない完璧な日本語をしゃべれるロシア人でやるのとでは、観客から見たらどちらの方が最もしっくりと感じられるだろうか。ただ日本だとほとんどの場合、西洋の芝居もみな日本人が演じている。しかしアメリカの場合、東洋の芝居は東洋人が演じるのが普通だ。例外にシェークスピアなんか今は黒人が演じることが自然に受け入れられているが、まだ東洋人で演じらることはほとんどない。中国人の演じる「メモアーオブゲイシャ」を観た観客はどう感じるだろうか非常に興味深い。

ここでもうひとつ興味深いことがある。アメリカで日本の芝居を東洋人の役者達が英語で演じたとき、きれいなアメリカンイングリッシュと、訛のあるイングリッシュの役者がごちゃ混ぜになって演じたら、さて観客はどう感じるだろうか。同じように日本でチェーホフをロシア人または西洋人で日本語で演じるとき、私達がしゃべるように完璧な日本語をしゃべるロシア人と、訛のある日本語をしゃべるロシア人役者達がごちゃ混ぜで芝居をやった場合、日本人の観客はどう感じるだろうか。そう考えていくと、国どうしが陸続きで色々な言葉があるヨーロッパで、今EUが統一しつつある中その共通語は自然と英語になっているように思う。

そんな中演劇の世界でも英語で演じられる舞台が増えてきているようだ。イギリスはブリティッシュアクセントだが、その他のヨーロッパ諸国は英語が母国語ではない。そんなときに英語での芝居をやる場合、どの国のアクセントに標準を合わせるのだろうか。ではどこかの国のアクセントに標準を合わせたところで、それがどこの国のアクセントと理解できる観客がさてどのくらいの確率でいるだろうか。もし私のアクセントで英語でしゃべった場合、チャイニーズ訛かコリアン訛かジャパニーズ訛か、あるいはフィリピン訛かほとんどのヨーロッパ人にはわからないだろうし、それ以前にどんな訛の英語でしゃべろうが私を東洋人と見て彼らの脳にインプットされてしまい、私のしゃべる英語のアクセントなんかどうでもよくなると思う。

ちなみに先日ロンドンで知り合ったイギリス人女優に、私の英語のアクセントはどこの国のアクセントと思うかと聞いたら、彼女はアメリカンアクセントになにかが混ざっていると答えた。アメリカだと私の話す英語をアメリカンアクセントと言う人はまずいないだろう。

そして最近NYで、日本語がしゃべれる日系人3世の若者に聞いたら、私のしゃべる英語は日本語訛の英語ではないと言っていた。その若者はLAで生まれNYで育っているので、日本語訛か中国語訛かあるいはコリアン訛かなどはっきりと聞き取れるそうだ。私も今はある程度どこの国のアクセントがあるか、彼らの英語を聞いて聞き取れる。そんな中日本で演じるときその芝居の設定が九州だったら、役者は九州弁でしゃべるだろうし、またその方が観る方も自然に感じると思う。だからアメリカ人がシェークスピアを演じるとき、イングリッシュアクセントで演じるか、アメリカンアクセントで演じるかオーディションのときにはっきりと決められる。でも東洋人が西洋で芝居をやるとなると、西洋人の観客はアクセントよりも見た目でその役者のキャラクタを決め込んでしまうのではないだろうか。そこで日本人の私がアメリカの南部が舞台の芝居を南部訛の英語で演じたら、さて観客は自然に感じるだろうか。たとえば日本で日本人が西洋人を演じる場合、俗に言う西洋訛の日本語を使うことがある。でもその役のキャラクターがアメリカ人だろうがイタリア人だろうが、その西洋訛の日本語はどれもが同じだ。

私はアメリカで役者をやっていてこのアクセントの問題にいつも悩まされているが、このように考えてくると、アクセントなんかにこだわること自体ばかばかしく思えてくる。私がどんな英語をしゃべろうが誰が見ても私は東洋人にかわりはない。

(つづく)


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