2003年最初の仕事はストレートプレイ。
バラード オブ八千代(Ballad of Yachiyo)という日系アメリカ人作家Phillip Kan Gotandaが書いた芝居をやる。5週間の稽古と4週間の公演。
舞台は1919年のハワイの日系移民社会。17歳で自らの命を絶った八千代の物語。私は日本からハワイに流れ着いた陶芸家を演じる。ハワイ生まれの八千代は17歳で高村という陶芸家に弟子入りする。高村のワイフすみ子は茶の湯の師匠。八千代は花嫁修業も兼ねてすみ子から茶道の教えを請う。愛のない高村とすみ子の間に現れた八千代は高村の子をみごもるが、、、。昔からよくある物語だが、Mr.Gotandaは彼のルーツを巧に織り込んだストーリー展開で描いている。とにかく台詞劇なので覚えるのがたいへんだ。
ダウンタウン系の芝居が主だった私が、今回はヘビーなストレートプレイに関わる。そして日本人の役を演じる。もちろんオーディションで決まったわけだが、おそらくディレクターは私が日本人と思ってキャストしたと思う。それは私の日本語訛りの英語なのか、私の身に付いた日本人マナーなのか。私のラストネームがKIMだということは、オーディションの時点で分かったはずだ。
アメリカ生まれの作家が書いた戯曲で、ハワイに移民した日本人の物語を日本生まれのコリアンが演じる。たとえどこで生まれ育とうと自分のルーツは根強いものなのか。日本とインド系アメリカ人の混血、中国系とフィリピン系アメリカ人、そして日本生まれの日本人と韓国人というキャスト。全員アジア人だが出身はそれぞれだ。
台詞はもちろん英語だが、キャラクターがそれぞれ日本語訛り、ピジョン訛りで展開して行くのでスタンダードアメリカンイングリッシュはまったく使われない。関西訛りとか東北訛りみたいなもんだ。
アメリカに於いて英語で海外の戯曲を演じる場合、イギリス訛り、ロシア訛りなどそれぞれの作品が求める違いを要求される。しかし日本語、中国語、韓国語またはアジアの訛りにはあまりこだわってないようだ。私は中国訛り、韓国訛り、日本語訛りを聞き分けることは出来る。しかし一般のアメリカ人はほとんどそれが不可能だろう。彼らには私たち日本人ほど聞き分けが出来ない。だから彼らにしてみたら、東洋人の役は日本語訛りだろうと、中国語訛りだろうとあまり気にならないらしい。もちろんこだわる人もいるだろう。しかし同じ事は日本に於いても言えると思う。外国人が日本語で演じる際中国訛りとか、韓国訛りの日本語を私達日本人は聞き分けるが、フランス訛り、イタリア訛りましてはドイツ訛りなどの日本語を聞き分けることが果たして可能だろうか。
ただここで一つ言える事は、チェーホフだろうがシェークスピアだろうがブレヒトだろうが、出演者全員訛りなしで演じる事のほうがアメリカではほとんどだ。キャラクターが皆ロシア人なら、わざわざロシア訛りなどする必要ない。日本でもテネシーウイリアムスの作品を日本人で演じるときアメリカ訛りの日本語なんて必要ないわけだ。では訛り、アクセントとはいったい何の為に使われるのか?
今回私達の芝居の場合は出演者が皆訛りのある英語で演じる。それも二種類の訛りだ。果たしてアメリカ人の観客にはいったいどの様な音色で耳に伝わるのだろうか?
(つづく)