私の2002年最後の舞台「阿房列車」(内田百聞原作、平田オリザ脚本)のステージリーディングをやった。劇団青年団のある役者が英語に訳した、英語バージョンとオリジナルの日本語バージョンの2本立ての公演。私は日本語版の方に青年団の役者二人と出演し、英語版ではアメリカ人の役者が日本人を演じた。
ちなみにステージリーディングとは、最小限の演出と観客がいて本を持って芝居をするので、ある程度セリフは覚えなければならない。日本語で芝居をするのは二度目だが、英語のスピーチにいつも四苦八苦している私が、今回は日本語のかつぜつの大変さに毎日五十音を読誦する羽目になった。
公演は、初め日本語版をやって15分の休憩後英語版が演じられた。久し振りの母国語での芝居に稽古の最初のころは手間取ったが、英語で演じる時とまったく違う、言葉の意味合いが自然と身体にしみ込んでいくのを感じた。そして日本語版の舞台が終わり、私が日本語で演じた役をアメリカ人の役者が英語版で演じているのを観て、英語でもその同じ役を演じてみたくなっていく自分がいた。そして言葉から来る芝居、演技の違いを感じてみたかった。
広告の仕事が入った。アメリカの某ソフトウエア会社が「世界中のビジネスマン」で広告を制作するらしい。もちろん私はアジア人ビジネスマンとしてオーディションに行った。Call−Backの後スタッフから私のバックグラウンドを聞かれ、もちろん私はJapaneseと答えた。数日後採用が決まり、エージェントから撮影日の詳細を受け取り、撮影も難なく無事終えコントラクトにサインをしてすべてが終了した。その翌日今度はエージェントを通して広告代理店から、私のバックグラウンドについての問い合わせが来た。私のラストネームのKIMはコリアンではないかと?
広告代理店としては、今回の広告を全世界に発信するつもりで制作したわけで、私の写真を日本人ビジネスマンとして日本の広告に使うつもりらしく、そこでどうしても私のバックグラウンドが日本人だという証明がほしいらしい。私の祖先は朝鮮だが、私自身は生まれも育ちもそして教育も日本だ。ただ便宜上国籍はアメリカ合衆国になってはいるが。
英語で言うMy Heritage is Korean, Nationality is Japanese, Citizenship is USA.ただそれだけの事だ。でも私は思うのだが、私の外見はどう見ても日本人に見える。私の祖先が朝鮮民族でも私の外見が日本人に見えるのは、私が日本語を話すからではないか? なぜそう思うか? それはアメリカの日系人は日本に居る日本人とどこかしら違う。なぜなら彼らの母国語は英語だからではないか?
私の名前がキムだろうとケネディーであろうと私は私だ。そしてその私は何人だと聞かれたら私は日本人だと答える。なぜなら私は日本で生まれ日本で育ったからだ。これが私のNATIONALITY!
What's in a name? That which we call a rose by any other word would smell as sweet.名前ってなに?バラと呼んでいる花を、別の名前にしてみても美しい香りはそのまま。
「ロミオとジュリエット」シェイクスピア(小田島雄志訳)
(つづく)