この連載は不定期なので毎月とか毎週書く必要は無いわけだが、私自身の中で月一のペースで書いていこうと一応そう決めていたつもりだった。そのつもりが7月は個人的な用事で東京に行っていたため書きそびれてしまった。何処にいようが書くことは出来るしそれをメールで送れば簡単なことなのだが、、、。
宮本亜門の「太平洋序曲」を観た。今年のリンカーンセンターサマーフェスティバルに招待されてNYにやって来たのだ。私が観たのは最終日の公演だったが会場は満席でスタンディングオベーション!NY TIMES,VILLAGE VOICEにも絶賛された。VILLAGE VOICEに褒められると言う事はある意味ではNY TIMESよりも意味の深い事かもしれない。 舞踏集団「大駱駝鑑」の舞台も観た。これも私は最終日のを観たがNY TIMES絶賛でやはりスタンディングオベーションだった。今年はあとは暮れにニューヴァージョンの「蜷川マクベス」が来る。10年程前に初めてみたが今回も是非観るつもりだ。それと忘れてはいけない山海塾の公演も見逃せない。最近はNYで日本からやって来る公演を観ることが頻繁にある。
私は東京に行くと必ずと言っていいくらい歌舞伎を観る。そしてなんと今回は知り合いの特別な計らいで歌舞伎の稽古を見学させてもらえた。兎に角歌舞伎の稽古を見るなんて初めての経験だったのでNYを発つ前から興奮していた。私が行ったときはちょうど八月納涼歌舞伎の題目の一つ「播州皿屋敷」の稽古をやっていた。ところで歌舞伎には演出家がいないとは聞いていたが、演出家なしでどんなふうに稽古を進めるのかたいへん興味があった。
普段稽古は歌舞伎座のロビーでやるらしい、しかしその日は歌舞伎座の裏にある稽古場のようなところでやっていた。三十畳ほどの板張りの部屋にお囃子、常磐津、長唄そして義太夫の方たちが両サイドに座り、中央左側に台本を読んだり何か書き込んだりしている人が3人座っていた。そして正面真ん中にかなり年配の方が一人座って全体を見ていた。私はその中央に座っている年配の方が演出家のような役目をする人かなと思って見ていたが、その方はほとんど何も言わなかったように思う。あとで聞いたらその方は監修の人だそうだ。そして大きく開かれたところに何人ものまだ若い役者さん達がきちんと正座をして台本に目を配りながら稽古をじっと見ていた。私に紹介してくれた役者さんが「今日で稽古2日目でまだぐちゃぐちゃなの」と言っていたが初日まであと四日しかないのにだいじょうぶなのかと勝手に心配しながら稽古を見ていた。しかし稽古が始まると台詞はほとんど入っているし音楽との掛け合いもピッタシ合っていた。あとは衣装を着けてないくらいで私にしたら本番を見ているようだった。稽古は全体を通しでやっていたが時折役者各々がお囃子や常磐津の人に何か希望を言ったり、役者どおしで色々話し合って形を整えていっているようだった。そして全体の通しが終わった後、役者と台本を見ていた何人かで話し合いの様なことがあって稽古は終わった。この日私は素顔で演じている歌舞伎役者を見ることが出来て一人で得をした気分だった。
それから数日後私は新宿梁山泊の稽古場に居た。8月15日から新宿の花園神社を皮切りに全国ツアーに入る劇団は、唐十郎作の「吸血姫」の最後の通し稽古をやていた。新宿梁山泊の舞台を以前NYで観たとき強烈な印象をうけたのを今でも鮮烈に憶えている。そして今回「吸血姫」の通し稽古を観て、私の中に騒ぐ舞台ならではの芝居の血を沸き立たせられた。
吉祥寺という街の名は知っていたし井の頭公園も有名だ。しかし私は生まれて初めてその有名な街と公園に行くことになった。
私が訪れた処は「三鷹の森ジブリ美術館」。そこで谷川俊太郎、覚和歌子による詩の朗読会があった。それに音楽家でピアニストの谷川賢作も加わって1時間半程の詩と音楽のコラボレーション。その一時間半私は何十年ものタイムスリップをさせてもらった。なぜ詩は心を和ませてくれるのに哀しい気持ちになるのだろうか。 そして東京最後の日、歌舞伎座で井上ひさし作「手鎖心中」より「浮かれ心中」を観た。歌舞伎はいつ観ても感動する。
実は私は今回7月から8月にかけてイギリスの演出家デイヴィッド・ルヴェーのワークショップを受けに東京に行った。そしてここに記した歌舞伎、芝居それと詩の朗読会に足を運ぶ機会を得た。私はこの夏NYでもそして東京でも日本の素晴らしいものを目にすることが出来た。そしてこれからも日本の素晴らしいものをNYにいようが東京であろうが、何処にいようが観ていきたいと思う。
(つづく)