2007年9月第2週

 9月に入ってから先週までに、4本の芝居を観た。1日の土曜に下北沢の東演パラータで“アジアの宝石”の『愛し君に〜お孝と清葉〜』、5日の水曜に横浜の相鉄本多劇場“ウジェーヌ・イヨネスコ劇場”の『授業』、そして、7日の金曜に世田谷パブリックシアターで“こまつ座シス・カンパニー”の『ロマンス』、14日の金曜にベニサン・ピットで“流山児★事務所”の『オッペケペ』。ここんところ観劇が続いているのは、やはり芸術の秋に入ったからだろうか。それにしてもまだ残暑、といっていいのかわからないが、涼しくなったかと思うと暑さがぶり返したりして、体調はあまりよろしくない。というより、いろいろやることが多過ぎて、この原稿もなかなかまとめている時間がないし、疲れが溜まっているのかな。まぁ、9月は久しぶりの連休が2回もあるので、ちょっと休めそう。さて、とりあえず、今月観た4本の芝居について簡単にまとめておこう。

 “アジアの宝石”は、月光舎の舞台にも出てくれたことのある女優の金濱夏世が主宰している演劇ユニットで、プロデュース公演として、今回が3回目の公演になる。だいぶ前にこの公演にいろいろ協力をするという話をしていたのだが、作品自体が途中で変わったり、紆余曲折があり、今回の泉鏡花の『日本橋』を原作とした作品に落ち着いたのだ。だから、チラシに私の名前も「協力」として載っているのだが、DCS[ドワンゴ クリエイティブ スクール]の学生で出演したい人間に声をかけたりするぐらいで(結局、二人が出演したが、二人ともなかなか頑張っていた)、あまり実質的な協力は出来なかった。まぁ、実はこの作品を、今後、韓国に持っていこうという話もあるので、その辺りでは大いに協力したいと思う。で、一緒に韓国に行く、と(笑)。

 演出は金濱自身が担当したのだが、こうしたいという思いは伝わっていたと思う。特に、金濱演じるお孝と、とりいちえ演じる清葉の二人の女の対比は、二人の演技力によって直截に伝わってきた。等身大の演技しか出来ないような若い役者ではこうはいかないだろう。何しろ大正時代の芸者の役なのだから。そういった意味で、大正時代を背景とした鏡花の作品をやることはなかなか難しいと思うのだが、やはりそういった面での弱さがあったと思う。ジャズダンスを随所に取り入れることは悪くないが、衣装にももう少し気をつかってほしいと思ったし、若い女優たちの細かい所作にも気を配るべきだ。やはり所作や着付け指導を入れないと。着物の芝居は難しい。しかし、この作品もアングラ的なエネルギーは感じたので、個人的には、“アジアの宝石”として、どんどんこういう芝居をやっていってほしいと思う。お前がやれよ、とは突っ込まないでほしいが(笑)。ま、いつかやるから。

 それにしても、この公演のあった東演パラータの隣りのマンションに私は20数年前に一人で住んでいたことがあり(下北沢近辺で、幼少の頃から一人暮らしの時代を含めて6回引っ越した)、下北沢の駅からかつての帰宅の道を懐かしい思いで歩いていたら、なんとその日は、やはり小さい頃から慣れ親しんでいた北沢八幡のお祭りだったのだ。で、北沢八幡に向かって茶沢通りの方を通っていくと、御輿の待機所があり、ふと覗くと見覚えのある顔があったのでちょっと立ち止まって見ていると、「鈴木さんに御用ですか?」と声をかけられた。やはり、小学校、中学校と同級生でよく遊んだ鈴木君だということがわかり、前の同窓会以来10数年ぶりの再会をしたのだ。すっかり頭の髪の毛は薄くなっていたが(失礼!)、下北沢の不動産屋の息子だった彼が、今では後を引き継いでいる。その後、時間がなかったので北沢八幡に行くことは出来なかったが、東演パラータに行く途中で、やはり同級生が一緒に回って担いでいると鈴木君に教えられた御輿を見ることが出来(同級生の姿は確認出来なかったが)、またいつか下北沢界隈に住みたいという思いが強くなった。小さい頃は御輿を担いだり、山車を引いたりしたものだ。考えたら、ウチの子供たちにはそういう経験をさせてあげることが出来なかったのが、ちょっと残念だ。しかし、毎回書いているかもしれないが、下北沢は、ここんところ行く度に変わっていて、駅近辺は井の頭線のガード以外はほとんど昔の面影は残っていない。ま、しょうがないんだろうけど。

 さらにその公演の後、出演者の金濱やとりいやDCSの学生の濱田に加え、受付を手伝っていたStage Powerの神保さんやその日観に来た観客たちと飲みに行ったのだが、それがさながら月光舎関係者の同窓会のようになってしまったのだ。とりいの旦那の清水ベンちゃん、元螳螂で今はラッパ屋の武藤直樹夫妻、それに月光舎の角館章子と立石徳行夫妻に石塚基光、初代アリスの長澤紀子、そこに後から、出演していた佐藤拓馬も来たのだが、彼ももちろん月光舎。もっとも、「月光舎」といっても、公演ユニットだし、すでに5年も公演していないし、月光舎のメンバーといっていいのかどうかはわからないが、まぁ、みんな出ていたメンバーであることに変わりはないから。みんなで、ここにいるメンバーで芝居出来るじゃん、というような話も出たらしいが、私はちょっと離れた席で、もっぱら神保さんや金濱と話していた。そうそう、昔よく月光舎の公演を観に来てくれた、鎌倉在住の農家ながら自分で映画も作ったりしている小泉さんも観に来ていて、何年ぶりかで会えたし、この公演は、芝居云々よりも、個人的にいろいろ懐かしさを感じさせてくれたという意味で印象深い。

 2本目の、モルドヴァ共和国から来た“ウジェーヌ・イヨネスコ劇場”の『授業』は、かなりおもしろかった! 前々回の乾坤で野田秀樹の文章を引用したが、その文章が載っていたチラシがこの『授業』のチラシで、ぜひ観に行きたいと思っていたところ、製作の一宮均さんから連絡があり、相鉄本多劇場の公演を観に行ったのだ。『授業』といえば、故・中村伸郎氏が渋谷ジァンジァンで10年に渡って公演をしていたことでよく知られているが(私は未見)、最近は東京乾電池で柄本明がやったりしている。戯曲は昔読んだことがあるのだが、実際の舞台は初見。イヨネスコの不条理劇がどうなるのか、この難解な狂気を孕んだ台詞劇がどうなるのかと、期待を胸に観始めたのだが、見事にその期待を凌駕するおもしろさを見せてくれた。とにかく、三人の役者の存在感がものすごい。その存在感というのは、脚本に秘められた部分を見事に体現化しているからこそ感じることが出来るのだ。最近、脚本はおもしろいのに舞台はつまらないという作品によく出会う。それは、台詞を、演劇言語(言葉だけでなく身体もある)として成立させていない役者の力量のなさのせいだからなのだが、それを指摘し、高めさせることの出来ない演出家の力量のなさもある。まぁ、そういうことをいい出すときりがないのでやめるが、この作品を観て、モルドヴァの演劇というものに非常に興味を持った。演劇というものの成立のさせ方にだ。今の日本の演劇の成立のさせ方というのは、新劇も小劇場も商業演劇もほとんど同じようなものだ。本読みがあり、立ち稽古があり、舞台稽古があり、ゲネプロがあって、本番。その流れで作っていくのが当たり前になっている。もちろん、いろいろなきっかけや段取りがあるから、その打ち合わせをしないといけないこともあるが、ひとつの流れの中で、完成度ばかりを追い求めているような気がして、どうもおもしろくない。もっと、その上演時間の中で、何が起こるかわからないような、リアルにその時間に立ち会っていることを感じさせてくれる演劇はないものかと、予定調和のつまらない芝居を観る度に思うのだ。いい芝居は、ずっとこの時間が終わってくれるな、と思う。その流れの中で、まだまだ何かが起こりそうだという期待を感じるからだ。この『授業』も、もちろんいろいろなきっかけはあるのだが、それさえ、今の日本の演劇に慣れていると、新鮮に感じた。「何ナノ、アレハ?」という驚きの喜びだ。そして、予想外の展開(戯曲上だけでなく役者の表現も)にグイグイ引きこまれていく。それは単に過激というだけでなく、演劇という身体を伴った表現芸術が持つ、狂気性や暴力性や遊戯性の部分であり、この演出家がイヨネスコの『授業』という戯曲をこう解釈して、この役者たちと楽しく作り上げているということが明確にわかるのだ。演劇を観ていて、こんなに楽しいことはない。この芝居には、清水・とりい夫妻や、DCSの学生の吉富、ウチの長男のミントらも一緒に行ったのだが、みんな衝撃を受けていた。特に吉富やミントは外国の芝居は初めてということで、字幕とかを気にしていたが、それを気にさせない迫力に圧倒されて楽しんでいた。かなり昔、とりいがまだ高校生の頃にポーランドのタデウシュ・カントールの芝居をパルコ劇場に観に連れて行ったのを思い出した。若い頃にこういう芝居を観ると演劇観変わるよなぁ、と思っていたら、相鉄本多には、6月に私がワークショップをやった横浜市の高校演劇の先生も来ていて、演劇をやっている高校生たちもたくさん観に来ていた。いいことだ。どんどん刺激を受けてほしい。

 実は先週、太田省吾さんの「お別れ会」の時に、この公演を日本に呼んだ、日本−モルドヴァ演劇交流会代表で、螳螂時代から長い付き合いでもある演劇評論家の七字英輔さんに会った時に、モルドヴァの話をいろいろ聞いた。ルーマニアとウクライナに挟まれた国、モルドヴァには日本の劇団も結構行っているのだ。これはぜひいつか月光舎でも行かねばならないと思ったので、いつかその報告が出来るとうれしい。

 “こまつ座&シス・カンパニー”の『ロマンス』は、もちろん、大竹しのぶを観たくて観に行った。今年、正月に最初に観た芝居が『スゥーニィー・トッド』で、天才・大竹しのぶの舞台は観続けようと決心したのだ。いや、それほどじゃないけど。で、今回は、このパンフレットの写真も撮っている加藤孝さん経由でチケットを頼み、妻と二人で観に行った。考えたら、シアタートラムには何回か行っているが、世田谷パブリックシアターでの観劇は初めてだった。きれいでおしゃれな劇場だ。グローブ座のような造りになっている。私は1階の真ん中辺りで観たのでわからないが、回廊の席も観やすいのかな。

 井上ひさし作品は、蜷川演出の『天保十二年〜』は別として、こまつ座の芝居は何以来だろう。佐藤慶の出た『イーハトーボの劇列車』を本多劇場で観た記憶はあるんだけど、あれはいつだったか、とにかく、かなり昔だと思う。大鷹明良とかも出ている最近のは全然観ていない。いや、嫌いなわけじゃなく、戯曲は読んでいるのだが、なかなかタイミングが合わなくて観に行けないのだ。そういうわけで、こまつ座の芝居は久しぶり。

 今回の作品は『ロマンス』というタイトルから、井上ひさしお得意の人物評伝劇じゃないのかと思ったが、チェーホフの話だった。だが、外国人。井上ひさしが外国人の話を書くのは珍しいんじゃないだろうか。確か『シャンハイ・ムーン』が魯迅で中国。西洋の人物評伝は初めてだろう(シェイクスピアがあるけど、あれは人物評伝じゃない)。だが、劇作家ということで、自分に置き換えているんじゃないかなというところも随所にあって、メツセージ性はしっかり感じ取れた。チェーホフももちろん好きだし、きちんとした劇評も書こうと思えば書けるのだろうが、簡単にいえば、楽しかったけど物足りなかった。これだけの役者たちの芝居や歌やダンスを、パブリックシアターという劇場の、近い距離で観ることが出来る贅沢さや、お目当ての大竹しのぶの芸達者ぶりや、松たか子のピアノ伴奏だけの美しい歌声は充分に堪能したが、作品としては物足りないということだ。チェーホフを何人かの役者が交代でやり、役者たちもいくつかの役をやるという造りが、作品の奥深さを薄めてしまっているような気がしたのは演出のせいなのか、元々の戯曲の弱さなのか、それは戯曲(「すばる」10月号掲載)を読んで考えて見たいと思う。おこがましいが、月光舎で公演したルイス・キャロルの評伝劇『アリス・ラビリンス』を思い出し、翌日、読み返してみた。いや、なかなかおもしろいと思った。あの時は3本連続公演でバタバタしていたから、改めてやってみてもいいんじゃないかな。ミュージカル風にして。

 ところで、芝居を観た後はその余韻を楽しみながら飲みに行くのが常だが、この日は三軒茶屋ということで、隣りの駒澤大学駅に行き、前から行きたいと思っていた“博多どかどか団”に行って来た。ここは、いろいろ演劇関係の原稿を書いていて、しょっちゅうソウルにも演劇を観に行っているライターのU女史(名前を載せていいか確認していないので)から教えてもらった店で、博多風の焼鳥や料理が食べられるのだ。もちろん、焼酎も。一見わかりにくい木戸の入口をくぐると、カウンターだけの小さな店で、行った時は満員だったので、近くのブック・オフで30分ほど時間をつぶしてから、入ることが出来た。いやぁ、満足満足! やっぱ焼鳥にはキャベツがないとね。めんたい玉子焼きもグー。マスターは博多の人だし(早良区っていっていた)、トイレはホークスグッズでいっぱいだったし、しばし、福岡の店で飲んでいる気分になって酔いどれた。今度はホークスの試合のある時に(全試合観れるらしい)、常連客と一緒に応援しながら飲みたい。

 というわけで、3本書いてかなり長くなったので、“流山児★事務所”の『オッペケペ』の話は次回に。それと、太田省吾さんの「お別れ会」のことも。観逃した芝居もいろいろあるんだけどね。原稿の方は、連休があるとじっくりまとめることが出来るので、来週も遅れないと思うけど。

(2007.9.17)


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