2007年8月第5週

 早いもので、8月も終わってしまったが、合宿後の中旬以降のことが何も書けていないので、例によって主だったことを箇条書きでまとめてしまおう。だいぶ遅れたし、ちょっと長いけど。

■8月15日(水)

 昼は学校で合宿の整理や諸々の準備。学校は靖国神社に近いところにあるので、右翼の車がグルグル同じところを回っていて、その度に機動隊が交通整理をしているのが窓から見えた。この地域の住人たちにとっては、ある意味、この時期の風物詩なのだろう。もちろん、いい風物詩ではないが。

 夜は中野のザ・ポケット黒色綺譚カナリア派の『リュウカデンドロン』を観に行った。ちょっと早めに中野に着いたのでブロードウェイを歩いていたら、メイドが走って来たのでびっくりした。それがウチの学生の女の子だったので、さらに驚いた。ブロードウェイの3階にある“おぎメイド”という店で働いているとのこと。「先生、今度来てね!」とチラシを渡された。行かねばなるまいっ!

 『リュウカデンドロン』は、私の大好きなサーカスの話だったが、なぜサーカスなのか、というところがイマイチ伝わって来なかったのが残念だ。しかし、黒色綺譚カナリア派が決して今流行りのアングラもどきではないということがわかったのは収穫だった。確かにチラシに“新進気鋭サイケ新派”と書かれているように、私もこれは新派の流れだと思った。ということは、赤澤ムックは尾崎紅葉や泉鏡花や川口松太郎を目指せばいいのだ! 終演後、一緒に観に行った熊谷さんたちと飲み会に参加。中野で飲むのは久しぶり。黒色綺譚カナリア派のみんなには挨拶出来たが、今回の舞台でお気に入りになった女優の牛水里美嬢とは、席が離れていたせいで話が出来なかったのが悔やまれる。彼女とは、いつか何か一緒にやりたい。そうそう、長男のミントが椿組に続いて裏方の手伝いをしていて、奈落に潜ってサーカスの柱を動かしたり、穴に落ちてくる役者を受け止めたりしていたらしい。彼は彼で着々と人脈を広げているようだ。いいことだ。赤澤ムックとは、その席で、ある企みの話をしたが、それはいずれはっきりしたら報告する。

■8月16日(木)

 お盆の変則飛び石休みで、学校は休み。テレビで熊谷真美がオススメしていて、前から行きたいと思っていた町田市にある天然温泉の“ロテン・ガーデン”へ妻と一緒に行く。家から車で40分ほど。箱根とかではない近場の天然温泉の中では一番遠いかもしれないが、一番のお気に入りになった! 何がいいって、甚平のような館内着を貸してくれて、食事処やリクライニングソファのある休憩処も充実していて、もちろん風呂の出入りは自由。風呂も日替わりで男湯と女湯が変わるし、展望(天望)露天風呂からの見晴らしもいいし、何より琥珀色でちょっとヌルッとしている感じの源泉かけ流しの温泉がいい! ここに一日いてのんびり過ごして1.000円(土日祭日は1.200円)は安い。館内での食事とかはキーバンドで支払いが出来るので現金を持ち歩かなくてもいいし(出る時に精算)、まだ入っていないが岩盤浴(50分500円)やタイ古式セラピーとかもある。アカスリも比較的安い。福岡にいる時に大好きだった那珂川清滝のようなところがこっちにもあればなぁ、と常々思っていたのだが、近場にあったのだ! 宴会も出来るようなので、打ち上げとかにもオススメだ。これから頻繁に行きそうな予感!

■8月18日(土)

 この日は結婚記念日。今年で20年。知り合ったのはさらに2、3年前で妻が高校生の頃だったが、ついこの間のような気がする。何婚式だか知らないが、とりあえず、お互いに好きな香港映画(韓国映画より古くから観ている)の、観逃していた『傷だらけの男たち』を観に行くことにしていたので出掛ける。途中、新婚、というより同棲していた時に住んでいた新代田の古いアパートを見に行くと、アパートの名前こそ変わっていたが、まだあった。そのアパートの前のマンションにはアルフィーの坂崎幸之助が住んでいて、妻はなぜかよく会って話をしたりしていた。今も住んでいるのかはわからないが。

 その後、近くの、よく行った中華料理屋で昼食を食べ、隣りの駅の下北沢まで歩いた。その道も昔、よく歩いた。ただ、周りの家々は建て替えられたのか、みんなきれいになっていた。下北から新宿に出て、新宿から地下鉄で六本木に行き、『傷だらけの男たち』を観た。久しぶりに観た香港映画。最高だった。ボロボロ泣いた。こんなに泣けた香港映画は『ヒーロー・ネバー・ダイ』以来だ。トニー・レオンも金城武も、そして、大好きなスー・チーもよかった。これは男のツボにはまる映画だ。妻の隣りにアベックの男性が座っていて、私やその男性がグスングスン泣いているので、挟まれた妻は困ったといっていた。前半は金城、後半はトニーの土壇場。これもハリウッドでリメイクするらしいが、トニーのあの憂いの表情をリメイク出来るハリウッドスターがいるとは思えない。

 映画の後、六本木から恵比寿に出て、予約をしておいた、ちりとり鍋“大島”に行った。ここも前から一度行ってみたいと思っていた店で、元ドロンズの大島直也が経営している、大阪発祥の「ちりとり鍋」の店だ。鉄板だと汁がこぼれ、普通の鍋だと深過ぎるということで、その中間の深さで「ちりとり」のような形になったという。中身はホルモン。席に案内されて待っていると、店長の大島直也が挨拶にやって来た。なぜか親しく話をしてしまい、妻に「知り合いなの?」といわれたが、まったく知らない。店内のBGMは80年代の歌謡曲。アイドルものが多く、妻が懐かしがって口ずさんでいた。鍋の味は、辛い韓国鍋に慣れている身としては、ちょっと甘めな感じがした。日本の焼酎には合う。〆は当然おじや。かなり満腹状態になったので、恵比寿から渋谷まで明治通りを歩いて帰った。渋谷の場外馬券売り場や天井桟敷館のあった辺りも、大きなビルが建ち並んできれいになっていたので驚いた。

■8月24日(金)

 DCS[ドワンゴ クリエイティブ スクール]の声優科とボーカル科の学生の一部(女の子だけ18人)が、秋葉原のメイド喫茶“めいどinじゃぱん”(8月いっぱいで通常営業は終了した)でライブをした。名付けて「DCSライブin“めいどinじゃぱん”」。朝9時前に学校に行き、抜きのリハーサル後、私は先に機材を持って店に行き、開店前にいろいろ準備。学生たちは後から来て、交代でコスプレに着替え、本番の時間に備える。ライブは途中にお店のメイドさんたちのアミューズメントタイムを何回か挟んで、2時間ほど。12時と3時と6時から、ちょっと中身を変えて3回やった。メイド喫茶で働いていて、そういった場に慣れている子ばかりでなく、人前で歌ったりするのは初めてという子もいて、お客さん(やはり常連さんが多いようだ)にとっても、なかなか新鮮な催しだったように思う。お店の人も感謝してくれた。その場でアニメに声を当てる生アフレコも、お客さんにも参加してもらってやった。参加した人は「あこがれのアニメアフレコが出来て幸せでした!」と感動していた。しかし、メイド喫茶でもやはりアニソンが一番盛り上がるようだ。アニメファンとメイド喫茶ファンはかなりリンクしているのだろう。6時の最終回を終えて一度学校に戻り、機材を置いて近くの居酒屋で打ち上げ。学生たちにとっても、人前で表現するといういい経験になったようだ。機会があれば、ぜひまたやらせたい。今回はメイド喫茶なので女の子だけだったが、今度は男の子にもね。

■8月25日(土)

 学校の土曜クラスの授業終了後、新宿・紀伊國屋ホールで月蝕歌劇団『寺山修司−過激なる疾走−』を観劇。月蝕を観るのは何年ぶりだろう。高取さんとの付き合いは、もちろん30年近い。『聖ミカエラ学園漂流記』の初演が82年だが、それ以前に漫画編集者としての付き合いがあった。考えたら一番最初の出会いは岸田理生さんに誘われた麻雀の席だ。前にも書いたかもしれないが、「演劇界の明星や平凡(昔あったアイドル雑誌)を作りたいと考えている人間がいる」と紹介されたのだ。いや、麻雀は結局実現しなかったのだが、その後、彼に会い、けいせい出版からいしかわじゅんの『憂国』や一番売れた中島史雄の単行本を出せたのも高取さんのおかげで、あれが80年。その後、演劇での付き合いが始まり、螳螂でも何本か彼の作品をやった。私が神奈川に引っ越してからは公演の時に会うくらいになり、福岡に行く前もしばらく会っていなかったから、会うのは10年ぶりぐらいかもしれない。紀伊國屋ホールに行くと、ロビーにはいなかったが、客席に入ると、相変わらず大きな身体で忙しそうに動き回っていて、すぐわかった。終演後、前の席を見ると、これまた見慣れた顔があった。吉田光彦さんだった。吉田さんは螳螂のチラシの絵や舞台美術もやってもらっていた、これまた長い付き合いのイラストレーターだ。けいせい出版で吉田さんの単行本も2冊(『ペダルに足がとどく日』『視感』)出させてもらった(9月に個展がある)。吉田さんに会うのも久しぶりだった。ロビーで話をしていると高取さんも来た。さらに、天井桟敷の役者だった市川正さん(初演の『ミカエラ』に出てもらうという話もあった)もいた。高取さんが他に行き、3人で話しているとJ・A・シーザーがやって来て、「先に行っていよう。後で高取も来るから」ということで、毎日飲みに行っているという新宿3丁目の“呑者家(どんじゃか)・銅鑼”に向かった。結局、そこには後で、高取さんと一緒に、寺山さんと交流のあったアートディレクターの榎本了壱さんらも来て、みんなで飲みながらいろいろ話した。

 月蝕歌劇団の芝居に関しては、久しぶりに観て、まずその観客層に驚いた。一番多い客層が、見事にメイド喫茶に来ている客層と一致していたのだ。つまり、“おたく”といわれる人たちだ。いや、いい意味、高取さんは昔から“おたく”だったし、それで、これだけ若い女の子たちを引き連れて劇団をやっているのだから(しかも、小劇場界すごろくのあがりともいうべき紀伊國屋ホールで!)、“おたく”たちのカリスマといっても過言ではないだろう。ロビーの販売コーナーもすごい! 出演している女の子たちの生写真付きパンフや台本が所狭しと並べられ、どんどん売れているのだ。まるで、コミケの会場のように(笑)。

 作品自体は、寺山さんの身近にいた高取さんならではという視点で描かれていて(原作も彼の著作『寺山修司』)、実際の寺山さんの生活的なエピソードでは、苦笑してしまうところもあったりしたが、個人的には、寺山さんの芝居の名場面や懐かしいシーザーの曲や歌をたくさん聴くことが出来て、一緒に歌を口ずさんだりしながら楽しめたし、なかなか感動した。いや、作品に感動したということじゃくて、ノスタルジックな気持ちになって感動したということだけど(笑)。やはり寺山さんは、生き方としての生々しい部分じゃなくて、その作品に魅力があるんだということを改めて認識した。高取さんに「寺山さんはどう思ってるかな?」と訊いたら、「怒ってるよ」と即答したのには笑えたが、それも高取さんだからこそ許されることだと思う。しかし、本人もしっかり認めている学芸会的芝居を紀伊國屋ホールでやってしまうというすごさには、毎度のことながら感心する。久しぶりに懐かしくて楽しい一夜だった。

■8月26日(日)

 次男の神奈川県高校野球秋季大会の試合で、茅ヶ崎北陵高校へ。久しぶりに単線のJR相模線に乗り、寒川駅から田んぼ道を歩いていく。地区予選の最終試合。この試合に勝たないと県大会に出られない。しかも得失点差の結果がかかっているという大事な試合。実は前日までの得失点差で、かなり無理そうな数字が出ていたのだが、この日の第一試合で、茅ヶ崎北陵高校が深沢高校に10対2という大量得点差で勝ってくれたものだから、もし、対戦相手の茅ヶ崎西浜高校に7点差をつけて勝てば、なんとか1得失点差で県大会に出られるようになった。6点じゃダメ。結果は、7対0で6回コールド完封勝ち! 次男も3打数2安打で新キャプテンの役目を果たした。よかった、よかった! まったく冷や冷やさせてくれる。次は9月6日に、次男がくじを引いて県大会の組み合わせと日程が決まる。藤沢総合高校、今年の秋は何回戦まで行ってくれるかなぁ。いや、目指すは優勝(笑)!

■8月29日(水)

 学校は休み。夕方から“ロテン・ガーデン”へ。やはり、休みとなると行きたくなったのと、夏休み最後ということで子供たちも連れて行ってやりたかったので、妻と次男と三男と一緒。この日は道が空いていたので、30分ほどで着いてしまった。一回風呂に入り、40分ほどで出て、生ビールを飲んでひと休み。次男と三男はそのまま休憩処のリクライニングソファでひと眠り。私はのんびり出たり入ったり、結局、3回風呂に入った。食事処で夕飯も食べ、家に帰って来たのは11時過ぎ。4時間ぐらいいたのかな。月に2回は行きたいな。いろいろイベントの日があって、生ビールが安い日もある。今度は岩盤浴も試してみたい。

 ということで、8月後半の主だったことはここまで。9月に入ってからのことは来週まとめて。今週も芝居を2本観に行く予定だし、来週も! 芸術の秋が始まったかな。いや、クリエイターはいつもアート=芸術していないとな(笑)。温泉に行くのも、アート欲のなせる業!

(2007.9.6)


前週