今週はとりあえず、24日の日曜日にやった、高校生のための、というより、高校演劇部員のための演劇ワークショップ関連の話だけ。といっても、結構、長い。
神奈川が、高校演劇が盛んなのは前にも書いたと思うし(福岡もそうだが)、15年前の月光舎の旗揚げから、結構、神奈川の高校演劇関係者との交流はあったのだが、ここ5、6年は、私が福岡に行っていたこともあって、ほとんど交流はなくなっていた。それが、神奈川の演劇関係のイベントなどで古くからプロデュースをしている、私も古くから知っている一宮氏と久しぶりに劇サロで再会したことで、横浜市高等学校演劇連盟事務局の古谷先生を紹介され、その関係で、演劇ワークショップを行うことになった。古谷先生は、県立光陵高校の先生でもある。
24日の日曜の朝、私は久しぶりに湘南台駅に行った。湘南台駅には湘南台文化センターがあり、その中の市民シアターは、かつて太田省吾さんが芸術監督を務めていて、私もいろいろ公演やワークショップの手伝いをさせてもらったりもした。月光舎でも94年に『莫』の公演をしたし、ここの地下の談話室でもよく稽古をした。先週書いた瀧川英次の初舞台も、この市民シアターだ。天井が丸いドーム型で高く、まるで宇宙の中にいるようなこの空間は私も大好きで、ここで観た太田さんの『夏の船』や『砂の駅』、『更地』、そして、維新派の舞台などは決して忘れられない。私もいつかまた、ぜひここでやりたいと思っているのだが、新宿から急行でも1時間近くかかるし、興行的にはなかなか難しい。
残念ながら、この日は湘南台駅周辺を見ている時間はなく、すぐ横浜市営地下鉄に乗り換え、立場駅に行った。そこから神奈中バスで、ワークショップをやる横浜桜陽高校まで向かった。途中、新しい住宅が建っているところがたくさんあり、ここら辺に住むのもいいかなとも思ったが、その日は日曜の朝ということで道も空いていたわけで、平日の朝は道も混んでいるというので、通勤や通学は大変だろうなと思った。いや、別に私が家を買って住むわけじゃないけど(笑)。ていうか、家を買う余裕なんかまったくないし(笑)、まぁ、もし家を買って住むとしたら、韓国か沖縄か福岡辺りがいいかな、やっぱり。1番は、ソウルのちょっと郊外ね(笑)。それはともかく、桜陽高校に行く途中に、不思議な形をした大きなアンテナのようなものがいくつもあるところを通った。そこは、米軍の深谷通信隊という場所で、地図(特に航空写真)で見ると、道路がきれいな大きな円になっていて、まるで地上絵でも描かれているかのような感じがする。今はこのアンテナも使われなくなっているらしく、家庭菜園や少年野球のグラウンドがいくつかあるが(ウチの次男も少年野球の時、ここで試合をしたといっていた)、ちょっと不思議な場所だ。夜中に見ず知らずの人がこの辺りを車で通ったら、ミステリーゾーンにでも迷い込んで感じがするだろう。
立場から20分ほどで桜陽高校前に着き、バスを降りて高校の方に歩いて行くと、入口で古谷先生らが待っていてくれた。そこからちょっと奥に歩いて、ワークショップをやる、演劇部とダンス部が共同で使っている教室のある校舎に入った。すでに何人かの高校生がいたが、私服の子もいれば制服の子もいた。私立高校は制服で、県立でも制服のところもあるらしい。聞けば、桜陽高校は県立で自由服なのだそうだが、女子の中には、制服らしい服装をしてくる子も多いそうだ。制服を着ることが出来るのは高校が最後だから、ということらしい。さすがに、男子の学ラン姿はいないようだ。まぁ、男子は高校で身体がグンと大きくなるので、中学の学生服は着れなくなり、わざわざ高い学生服を買わないということもあるのだろうけど。
結局、その日集まった演劇部の高校生たちは全部で25名。内訳は、横浜桜陽高校が4名(演劇部は20名以上いるのだが、この日、別働隊が他の稽古をしていた)、日本大学高校が4名、岡津高校が2名、光陵高校が7名、岸根高校が1名、そして、桐蔭学園が7名。男女比はほぼ半分ずつだった。実は横浜隼人からも8名ほど参加する予定だったのだが、はしかで休校になったとかで家から出られなくなり、参加出来なくなってしまったのだ。今や、はしかは高校にまで広がっているようだ。
ワークショップは10時から始まった。最初は、学校教育の中での演劇の位置づけなどの話をした。実際、桜陽高校も選択制なので演劇の授業があり、横浜ボートシアターの遠藤啄郎氏が授業を行ったこともあるという。実は私は、教育にとっては、演劇を一種のコミュニケーションツールのひとつとして取り入れていくのはいいと思うのだが、演劇にとっては、あまり教育的な観点や視点を持ち込んだり、教育というものと深い関係を持つのは良くない、と思っている。演劇は、教育というものとは別の、もっとドロドロした芸能のひとつであって欲しいわけだ。それが、教育などという冠が着いてしまうと、人間の営みの根本的なところが表現出来なくなってしまう危険性があると思うのだ。禁欲的だったり、道徳的だったりする芝居ならいいかもしれないが(笑)。でも、そんな芝居は、私はおもしろいとは思わない。だいたい、学校の演劇鑑賞会とかで観に行った芝居のせいで演劇が嫌いになったという人も多いんじゃないかな(笑)。学校という枠の中だと、そうなってしまうのだ。演劇というものに対して興味を持ってもらう取っ掛かりになるはずが、逆に演劇から遠ざけてしまうようなことになってしまっては、本末転倒だ。まぁ、大学生にでもなれば、自分の意思で選択出来るからいいが、中学や高校で、選択科目の中ならともかく、普通の授業に演劇を持ち込むのはあまり賛成出来ない。
あ、コミュニケーションツールとしての演劇的なワークショップと、演劇そのものとは別だからね。それを一緒に考えるのは大きな間違いだと思うわけ。確かに、今、「演劇教育を学校に」ということで、先日も平田オリザのワークショップとシンポジウムが行われたらしいが、オリザのような芝居ならいいかもしれないけど(笑)。そうそう、桜陽高校の演劇部の顧問の先生で、神奈川県の高校教育の「ワークショップ表現教育」を担当している久世先生も、先日、そのStage Powerのnewsでも紹介された「平田オリザ無料ワークショップ&シンポジウム」(今週の企画室でもレポートされている!)にも行ってきたそうだ。これは、今回のワークショップが終わって、久世先生と古谷先生と3人で戸塚の串揚げの店で打ち上げをしている時に聞いたのだが、そのシンポジウムのテーマでもあった「学校に演劇教育を持ち込む」ということに関しては、理想論や戦略的な話が多く、実際に見に、いや、聴きに行っていた高校の現場の先生方は、首を傾げたそうだ。多分、私とは違う立場でだと思うが。
というのも、実際に演劇の授業を演劇関係者に頼むにしても、県の予算は厳しく(東京都の場合はどうか知らないが)、ボートシアターの遠藤氏のギャラにしても、聞いたら、びっくりするような安さだった。まぁ、それでもいいというのなら話は別だが(私も、神奈川の演劇の発展のためならそれでも構わない、といったが)、とてもそれだけの仕事として成立するようなものではない。まぁ、後はそこに政治力が介入して来ない限り、理想を現実に近づけることは出来ないわけだが、今の政府じゃ無理だろうし(おそらく、どの政党が政権を握っても演劇に対しては冷たいと思うし)、政治があまり口を出して来るようだと、ろくなことにならないのは目に見えている。そんなわけで、打ち上げの時も、高校演劇の先生方でさえ、サラリーマンの愚痴のような話になってしまった。いや、実際、今はなかなか上に意見が通らないので仕方ないということなのだが。久世先生は、上に頼るより、現場でやったが勝ち、というようなことをいっていたが、その通りだと思う。何も大上段に構えてやる必要はないのだ。ごく身近なところで、もっともっと演劇に興味を持たせるような何か(試み)であれば、大いに賛成だ。教育のためでなく、演劇のためになることであれば、どんなことでも協力したい。
だいたい、「コミュニケーションツールとしての演劇」なんていったって、学校教育以前に、家庭の教育がダメだから、つまり、親の教育がなってないから、コミュニケーションを取れないガキがすぐ犯罪を起こしたりするのだ。しかも、肉親に対する犯罪が一番多いというのだから、まさに自業自得とでもいえよう。今、学校教育についての議論が高まっているのは、ある意味で、もう親には手に負えないというところまで来ているからなのかもしれない。親がダメだから、学校に頼るしかないということか。それもどうかと思うよなぁ。いつからこんなダメダメ日本になったんだろう。
と、大きく話が脱線してしまったが(笑)、もちろん、ワークショップに参加している高校生たちにはこんな話はしていない。彼らは初めから演劇が好きなので、「演劇は、おそらく君らが考えているものよりも、はるかにおもしろいよ」というような話をして、「今日はその実践も行うから」といって実技に入っていった。
ついこの間、福岡でやって来た「演出家のためのワークショップ」でもいったのだが、演劇ワークショップというと、すぐコミュニケーションゲームから始まるのが多いらしいが(笑)、言葉や思想が異なる種族ならともかく、同じ日本人にそんなことをやらしても何の意味があるのか、私にはわからない。だいたい限られた時間の中で鬼ごっこなんかしていられない(笑)。そんなことより、より演劇的なことを実践する方が大切だ。いや、ホントは鬼ごっこの意味もわかるんだけどね(笑)。確かに、演劇初心者には、コミュニケーションゲームもいいかもしれないとは思うけど、演劇に何年か関わっている人間には必要ないでしょ、コミュニケーションゲームなんて。そんなに信用出来ないのかなぁ。
そんなわけで、今回も、すぐストレッチや発声練習のウォーミングアップから入った。ま、何をやるにしても、「表現する身体」にしなくてはダメだからね。いや、日常の我々の身体も充分表現はしているのだけど、日常とは違う特異な世界を表現し、かつまたそれによって感動を与える、さらにはそれを生業としてお金をもらうためには、どこにでもいる人と同じ身体のままではダメだから。例え「どこにでもいる人」を演じるにしても、「どこにでもいる人」のままではなく、「どこにでもいる人」を表現していかなくてはいけないわけだから。ん、なんか演劇講座みたいになってきたぞ。ま、最近、いろんな学生たちもよく見てくれているようだから、いいか。
で、滑舌をよくする発声練習や、身体の部分動作や緊張弛緩まで、螳螂や月光舎でもやっていたことを一通りやっていったのだけど、これがなんと、この高校生たちはよくついて来るんだ! いやぁ、さすが横浜市の高校演劇連盟参加校の演劇部! 多分、指導者がいいんだろうな。特に、文武両道で名高い桐蔭学園の子たち(全員、男子)なんか、最初は、結構、おしゃべりとかしてチャラチャラしてるなと思ったけど、やり出したら、しっかりやるんだ。しかも、ちゃんと自分で理解してやろうとしているから、ただ、いわれたことを表面的にやってるだけじゃなくて、深く取り組んでいる感じ。きっとスポーツもそうなんだろうなぁ。強いわけだ。古谷先生も、桐蔭の子たちの取り組み方、いいですねぇ、といっていた。とっても楽しそうなんだな。これも顧問の先生がいいんだと思う。
いやぁ、実際、高校演劇の子たちのワークショップということで、高を括っていたところもあったんだけど、とんでもない! やっていくうちに、私自身もどんどん楽しくなっていった! とにかく、ひとつひとつ、みんなちゃんと吸収して結果を出していくんだ。この高校生たちを使って芝居をやりたいと思ったね(笑)。高校生たちにとっていいか悪いかはわからないけど(笑)。『銀河中学三年宙組賢治先生』でもやろうかな、いや、真面目な話。多分、リアルで熱い作品になると思う。現役高校生でも、タレントなんかプロがいるんだから、高校演劇の子たちを使って公演したって構わないはずだよな。昔は『ミカエラ』でも現役女子高生たちが出演したし。
またまた話が脱線しているが(笑)、そんなわけで、高校演劇部の学生のためのワークショップの方は、後半は、感情解放(これも物怖じせず、実に元気にやっていた)やエチュード(これもアドバイスを聞いてなかなか深くやっていた)と、連体詞や接続詞や感嘆詞などだけで、固有名詞が一切出て来ない台詞による「同台詞異状況」というワークショップと、その発表をやった。これは、福岡の「演出家のためのワークショップ」でもやった、同じ台本をいろいろな解釈でやるというもののミニ版みたいなもので、3分ぐらいの同じ台詞の台本を、自分たちなりの状況設定を考えて演じるというもので、そのいろいろなシチュエーションによって、台詞のトーンや強弱、間などがまったく違ってくるということを理解させていくものなのだ。これも彼らは、初めて組む他校の男女ながら(後半はまったく男女の数が同じになり、12組出来た)、真剣に、かつまた楽しそうに打ち合わせをし、さらに立ち稽古をして、最終的には順番に発表した。そして、それを観て、どういうシチュエーションを想像したかということを観ている人間に訊き、実際はどういうシチュエーションを考えて演じたかを発表してもらい、その違いを検討したりするという形で進めていった。
そんな感じで、10時から昼の休憩を挟んで17時までの演劇ワークショップは終わった。その後は、前述したように、古谷先生と久世先生と3人でささやかな打ち上げをし、いろいろ話をした。ワークショップも打ち上げでの話も、実に楽しく、充実した1日を送ることが出来たし、これもまた、次につながるような気がする。いや、つなげないとね。以上。
(2007.6.29)