東京はようやく暖かくなってきた。と思ったら、また寒くなって雨が降ったりしている。札幌では先週雪が降ったらしいし、変な天気だ。ところで、この時期の乾坤を読み返すと、やはり競馬の話が多いのだが、春のクラシックシーズンが開幕したのだから仕方がない。というわけで、先々週のズバリ3連単を取った桜花賞に続いて、この前の日曜日は皐月賞だったが、これが3連単162万円、3連複でも20万円という大波乱になって、当然、ハズレた。いや、いつか取りたいとは思うが。一応、1着になったヴィクトリーも好きな田中勝春騎手だし、なかなか根性のある馬だな、と思って気にしてはいたのだが、2着のサンツェッペリンはまったく無印だったので、完敗! カッチーは15年ぶりのGT(名称が変わるらしいが、まだいいのかな)制覇ということで、オメデトウ! 私が期待したナムラマースは11着だったし、1ヶ月後のダービーの時には、またいろいろ考え直さないといけないだろう。
競馬といえば、最近はもっぱらパソコンや携帯から投票出来るIPATを利用しているが、昔はよく場外馬券売り場にも行っていた。特に水道橋の場外馬券売り場はいろいろな思い出がある。初めて5万円の馬券が当たったのもここだし、5000円で1点買いをする勇気がなくて迷っているうちに締め切りになって買えなかったら、それが来て万馬券だったとか(買ってたら50万!)。その水道橋に、今はほぼ毎日通っているのだが、ここの駅の発車メロディーが、巨人の応援歌「闘魂こめて」なのだ。まぁ、東京ドームがあるし、しょうがないとは思うけど、アンチ巨人ファンは嫌だろうなぁ。私はまぁ、「巨人の星」は好きだったから、別に気にならないけど。ちなみに、高田馬場もよく行くが、あそこは虫プロがあったので、「鉄腕アトム」だった。蒲田が「蒲田行進曲」ってのもわかるけど、他にはどんなのがあるんだろ? CDも出ているらしい。
さて、福岡で6月に開催する「演出家のためのワークショップ」について書いておこう。この企画は、福岡にいた時に知り合ったFPAP[福岡パフォーミングアーツプロジェクト]の高崎さんが、今年の1月に東京に来た時、新宿のしょんべん横丁の「きくや」の2階の奥でいろいろ話している時に出た話からトントン拍子で進んでいった。といっても、具体的になったのは、つい1ヶ月ほど前だが。まぁ、飲み屋での話から出た企画はいいものが多い。あ、私の場合ね。『豚とオートバイ』のリーディングもそうだったし、実は来年の秋に計画している公演も、つい先日の中野での飲み会から出たものだ。その内容については、まだ公には発表出来ないが。要するに、飲み屋での話というのは、話が早いのだ。ダラダラ時間ばかりかけて中身のない会議をいろいろ経験してきた身としては、飲み屋での話の方が手っ取り早いというわけだ。まぁ、飲み屋での話なんて、と眉をひそめる輩もいるだろうが、それはきっかけに過ぎなくて、大切なのは実現することと、その結果だからね。具体的に話を詰めていくのは飲み屋じゃ出来ないし(笑)。
で、この「演出家のためのワークショップ」は、どういうことをやるのかというと、演出家と役者5人の計6人のユニットを募集して(一応、4組の予定)、15分から20分ぐらいの舞台を作ってもらおうというもので、脚本は私のオリジナル。これを、それぞれの演出家に好きに演出してもらうわけだが、これが、実は一筋縄ではいかないのだ。というのも、まず、なぜ、「演出家のためのワークショップ」をやろうと思ったのかというと、いろいろ芝居を観ていて、その、基になる戯曲を深く掘り下げず、表面的に捉えているだけで演出しているような舞台が多過ぎると思ったからだ。つまり、いい脚本なのに、演出がしっかり出来ていないから、ダメな舞台になっている、というやつだ。演出家がいないわけだ。この「演出家不在」というのは、福岡でいろんな演劇関係者と話している時に、実によく話題に上がったし、私も観てきてそれを感じた。どうも、演出家の役目というのを履き違えているような気がする舞台が多かったのだ。演出家の役目というのは、ただ自分の好きなように、やりたいように舞台を作るのではなく、その戯曲の良さをしっかり分析して役者たちに伝え、戯曲以上の、つまり、舞台=演劇としてのおもしろさを表現した作品を役者と共に(もちろんスタッフとも)作り上げていくことだと思うのだが、ただ戯曲をなぞっているだけなので、自分で戯曲を読んでいろいろ想像している方がおもしろいとか、戯曲の良さを壊してメチャクチャな舞台にしているとか、役者が、自分がいう台詞の意味を本当にわかってやっているとは思えないとか、観客にどう伝わっているのかまるで考えてないように思えるとか、そんな舞台が多いのだ。これははっきりいって、全部、演出家の責任だ。
というわけで、そこら辺の意見が高崎さんと一致し、今回の企画へと進んだわけだが、一筋縄ではいかないというのは、実はもう一捻りあるのだ。
それは、単に戯曲を分析して、それらしく見えるように作り上げてもらおうというのではなく、もう一歩踏み込み、観客に、表面的にわからせるのではなく、想像させる中でわからせていくという、ある意味、高度な演出力を求めたいのだ。というのも、最近はわかりやすい芝居ばかりで物足りない、というより、観ている側を刺激してくれるような舞台が少なくて、おもしろくないのだ! いや、わかりやすい芝居も、それはそれでいいとは思う。私もそういう芝居を観て、単純に感動したりもするから。ただ、演出家のための「ワークショップ」としてやる以上、ひとつの戯曲をそれぞれの演出家がそれぞれの手法で観せるような(要するに、シェイクスピア作品をいろんな演出でやっているような)ことをやってもしようがないと思ったのだ。
で、脚本にちょっと工夫を凝らした。これがなかなか自分で書いていても楽しい。今までなんで思いつかなかったんだろうという新しい試みだ、と思う。それについては、まだ現在執筆中なので、出来上がったら報告、というか、ぜひ、興味のある人はこのワークショップに参加してもらいたい。観に来るだけでもおもしろいと思う。といっても、福岡だが(笑)。タイトルだけは決まった。『フレキシブルな愛の行方〜Whereabouts of flexible love』。考えたら、5年ぶりの新作の脚本だ。短いけど。お楽しみに!
(2007.4.16)