学院祭が終わり、授業の方は、2年生の卒業公演ともいうべき、12月に行われる舞台発表会の稽古が始まった。横浜校に来て初めての舞台発表会だが、公演場所は月光舎で何回も公演をしている相鉄本多劇場だし、作品は去年もやった(といっても福岡でだが)、『ピカイア』なので、演出的には、あまり心配はしていない。音楽もあるし、すでに半立ち(台本を持っての立ち稽古)ながら、通しもやった。後は、2006年版として(正式なタイトルは『ピカイア2006』)、どう新味を出していくかだ。毎度のことながら、無料の公演とはいえ、普通の学校の発表会とは違い、プロを目指している学生たちの公演なのだから、観客には、見応えのあるものにしていかなければいけないし、出演者である学生たちには、プロの表現の厳しさと、これからも表現の世界で続けていく意識を持たせるようにしていかなければいけない。ただの思い出作りではいけないのだ。
まぁ、毎年、こんな思いで作っている舞台だが、やはり学校の発表会だから、いろいろ制約(予算や稽古時間等々)もあり、どれだけ思いが伝わっているかは、わからない。特に学生たちに。
今、横浜校の2年生たちと接していて、一番感じるのは、とにかく動けないということだ。ほとんど棒立ちで台詞をいうか、動くにしても、日常の身体感覚のまま動くので、ぎこちないし、美しくない。つまり、見せる意識を持って動くことが出来ないのだ。声優の学校だから仕方ないといえば仕方ないのだが、福岡にいた時は1年生の時から、身体全体を使って表現することが、台詞の表現も、口先だけでなく、身体で感じる感情を伴った表現になるということを教え、かなり身体を動かすことをやっていたが(アクションを含めて)、今の横浜校の2年生には、どうもそういったことが理解出来ていないのか、教わっていないのか、それとも、声優志望だから身体を使った表現なんか必要ないと思っているのか(そう思っているとしたら大きな間違いだし、そう思っていて欲しくないが)、とにかく動かない、いや、動けないのだ。もちろん全員ではなく、中には、それまでのアフレコやサウンドドラマの授業とは打って変わって、楽しそうに生き生きと動いている学生もいるが(笑)。
そう考えると、こういった専門学校の卒業公演の発表会というのは、ただ単に舞台をやればいいというものではなく、その後の希望進路に合わせたジャンルでの、より専門的な、よりプロフェッショナルな世界を体感させた発表会にした方がいいような気がする。結局、志を同じにするみんなで力を合わせてひとつのものを作り上げることが大事だという、精神論的な部分(それも大切だが)で成立しているような気がするのだ。いや、こんなことはずっと前からいっていたことだが。
とりあえず、あと1ヶ月(発表会は12月13日の水曜日、夜7時から1回のみ!)、最初に書いたように、観客には見応えのあるものに、学生たちにはプロの表現の厳しさと、表現の世界で続けていく意識を持たせるように、頑張って作っていくしかない! どれだけ動けるようになったか(なっていてくれないと困るが)、ぜひ観に来て欲しい!
さて、先週末には2本の舞台を観に行った。本当は7日の火曜日にも、離風霊船と椿組のコラボレーション公演(こういう試みはおもしろい! お互いの劇団の客を呼ぶことも出来るし)を観に行く予定だったのだが、残業が延び、関内から行くには、開演時間に間に合わなくなってしまったのだ。やはり、平日の公演を観に行くのはなかなか厳しい。すまん、岡村。
そこで10日の金曜日には、いつもは週末は仕事が溜るし、土日の体験入学の準備で遅くなるのだが、仕事の整理を早めにしておいて、次の土日には体験入学もないので、終了ミーティング後、すぐに帰らせてもらい、6時前には関内を出た。向かった先は森下のベニサン・ピット。劇団桟敷童子の公演『海猫街』だ。
桟敷童子の公演を観るのは初めてだが、主宰の東憲司氏には、3年前、福岡で会ったことがあり(彼は福岡の出身で、その時、福岡で公演をやりたいとやって来ていた)、その時に彼を紹介してくれた女優の南谷朝子も、桟敷童子の公演によくゲストで出演していて、今回の『海猫街』にも出ている。東氏と朝子は、木冬社時代からの知り合いだという。しかも、今回の公演のチラシをよく見直して気がついたのだが、音楽が川崎貴人! 初期の頃の月光舎の音楽や音響をやってくれていて、北九州演劇祭にも一緒に行ったメンバーだ。そういえば、前にどこかの劇団の音楽をやっていると聞いたような気がしたが(彼にも、何年も会っていない)、それが桟敷童子だったとは! 残念ながら、この日は来ていないということで会うことは出来なかったが、終演後、朝子にも話しておいた。
さて、初見の桟敷童子の芝居だが、確かにアングラ風の舞台装置、役者の演技、音楽の使い方、つまり、確実にアングラ風演出なのだが、私は、何か物足りなさを感じた。それは何なのかと考えながら、同じ日に観に来ていた、代アニ・福岡校の卒業生で、今年、青年座の研究所に入った吉富睦に終演後、「どうだった?」と訊いたら、「すごかったですね!」とまず第一声、そして、「アングラってわかりにくいって思ってたけど、わかりやすかったですね」と。そうなのだ! 私が何か腑に落ちなかったのは、話がわかりやす過ぎたことなのだ。芝居の構成も。吉富はちょっと前に松本修氏演出の『秘密の花園』を観て来たという。それもすごかったけど、話がよくわからなかったという。さすが唐戯曲! やはり、そのわかりにくさこそが、アングラのアングラたる所以なのだ! 桟敷童子の芝居(まだ『海猫街』しか観ていないが)は、わかりやすいが故に、いくら作りがアングラ風であっても、私は物足りなさを感じたのだ。
しかし、アングラは本当にわかりにくいのかというと、そうではない。昔はそんなことは微塵も感じなかった。『秘密の花園』にしても、私も24年前の奇しくも11月、本多劇場の柿落とし公演の初日に観ているが、全然わかりにくいなどということはなかった。では、何が違うのか? 要するに、役者の問題なのだ。昔のアングラ、あえて“本物のアングラ”といわせてもらうが、それらは、唐にしても寺山にしても、脚本は確かに一見わかりにくくても(劇的構造が複雑だから)、それを演じる役者たちが、そのわかりにくい部分を補って余りあるほどのパワーで、戯曲を立ち上げていたのだ。つまり、客観的にわかりにくいなどと考える余裕を与えない劇世界を作り出していたわけだ。だから、わかりにくいなどということはまるでなく、スーッと身体に入ってきて、理解出来たのだ。まさに、唐十郎のいう特権的肉体論を体現している役者体、寺山修司のいう見世物的身体がそこにあったのだ! 桟敷童子の劇団員の役者たちは、もうひとつ伸びないといわれているらしい。私は1回しか観ていないので比較は出来ないが、もしそうだとしたら、それは戯曲の問題だろう(これも1作しか観ていないので想像だが)。今回のようなわかりやすい戯曲だと、いわゆるパワーを前面に押し出す演技は出来ても、そこに書かれている言語と格闘したところから生まれてくる“得体の知れない力”は感じることが出来ない。そう、昔の“本物のアングラ”の役者たちには、この“得体の知れない力”があったのだ。
結局、この『海猫街』や、詳しくは後述するが、翌日観た『タンゴ・冬の終わりに』を観てはっきりしたのは、やはり私の好きな芝居は、役者に圧倒される芝居なのだということだ! 最近の小劇場にもうひとつ魅力を感じないのは(それなりにおもしろいものはあるが)、テレビで見ることが出来るような小粒な役者が多くなった、逆にいえば、舞台でこそ生きるような役者、戯曲と格闘して戯曲以上の世界を感じさせてくれる役者、前述した“得体の知れない力”を感じさせてくれる役者が少なくなったということだろう。最近は、この役者の芝居を観てるより、自分で戯曲を読んでいた方がいいと思ってしまう役者が多いような気がする。もちろん、あくまでも個人的にだ。そうじゃない楽しみ方をしている人も多くいるわけだから、それはそれでいいが。
『海猫街』でのウミネコの声が耳に残っている翌日、11日の土曜日も、ウミネコの声を渋谷で聞いた。蜷川幸雄20年ぶりの再演(日本で)、『タンゴ・冬の終わりに』だ。〈To be continued……〉
(2006.11.16)