2006年3月第4週

 先週の木曜日、実家のある神奈川に帰って来た。3年前の4月20日、ネオユニヴァースが勝った皐月賞の日、広島経由で福岡に旅立ってから約3年ぶりだ。もちろん、その間、何度も帰って来てはいたが、何日かしたらまた福岡に戻るんだという気持ちがあって、気分はすっかり福岡の人だった。家族にも「いつ、(福岡に)帰るの?」といわれていた。確かに変な感じだったが、当たり前のような気もしていた。それが今回は、福岡を完全に引き払っての引越しだ。引越しの当日、一人暮らしとはいえ30個近いダンボールの荷物を送り出し、ガランとなった部屋を掃除していても、まだ、これで完全に福岡を離れるのだという気がしなかった。私が住んでいた学院の寮の片付けに来ていた、何人かの先生方に見送られてタクシーに乗り込み、空港に向かっている途中でも、これで福岡ともお別れだ、とも思わなかった。それは、いつかまた来るからということではなく、いつものように仕事で東京に行っている感じがしたからだ。実家に戻ってからも、その感じは変わらなかった。口では「これで、もう家にずっといるんだぞ!」と子供たちにいったりしていても、また福岡に戻るような気がしていた。その気持ちが完全に切り替わったのは、翌日、30個ものダンボールの山が届いてからだ。3LDKとはいえ、育ち盛りの息子たちが3人もいる上に、以前の私の部屋は倉庫状態になっているところに、その荷物だ。あぁ、これで完全に福岡には何もなくなったんだな、という思いを初めて実感した。いや、人間関係とかそういうことじゃなくて、単に生活に必要な荷物がなくなった、ということだが。

 そんなわけで、少しずつ荷物を片付けながら、神奈川での生活、横浜・関内での仕事を始めているが、とりあえず、福岡での最後の一週間のいろいろをまとめておこう。

■3月16日(木)

 『豚とオートバイ』の稽古の時から、みんなで「呼子にイカを食べに行きたいねぇ!」「行こう、行こう!」といっていた、トンバイカツアー(『豚とオートバイ』関係者の間では、この公演は“トンバイク”と呼ばれていた。そのトンバイクとイカをもじって“トンバイカ”とハンキンさんが命名した)の決行日。みんなのスケジュールの都合で夜から行くということになり、昼間の営業が中心で夜は早く店仕舞いをしてしまう呼子ではなく、同じ佐賀だが、唐津にあるイカ専門店に行くことになった。案内役は唐津に住んでいる、『豚とオートバイ』では妻役だった面谷さん。

 夜の6時半に天神に集まり、医者役のハンキンさんと、ホームページを作ってくれた大塚さんの2台の車に分乗して行くことになった。福岡からは、私と薙野さんと都地さんと萩原さんと宮園さんと吉富に、わざわざ熊本から駆けつけてくれた松岡さんと、ハンキンさんの友人の女性、そして、ドライバー2人の総勢10名。唐津で面谷さんと渡辺さんが待っていて、全部で12人のツアーになった。その待ち合わせの場所で、何と偶然、中村卓二さんに会ったのには驚いた。ギンギラの稽古に行く途中ということだったが、その偶然さには、『豚とオートバイ』関係者の縁の深さを感じてしまった(それは、その5日後にも起きるのだが)。

 唐津のイカ料理屋は、ぐるめ海舟・唐津店というところだった。チェーン店だそうだが、他の店は8時には閉まってしまい、国道202号線沿いのその店だけは9時までやっていた(それでも早いと思うが)。私は当然、イカの活き造り定食を頼んだ。大きなイカが取れなかったそうなので、中ぐらいの大きさだったが、2人で3杯のイカを食べることが出来た。活き造りとイカしゅうまい2個と小鉢(イカのもろみ漬け)と茶碗蒸しに、御飯とお吸い物にフルーツがついて、2.835円だった。安い! とにかく、新鮮なイカの刺身は透き通っていて、甘い。久しぶりに日本酒をグイグイ飲みながら、イカを食べた。刺身を食べた後に作ってくれる、後造りの天ぷらもおいしく、実に大満足だった。

 その後、地元の面谷さんの案内で、唐津城の夜景を観に行った。そこは、お参りをすると宝くじがよく当たるという、宝当神社行きの船が出ているところだった。そこから、唐津湾の海岸に行き、真っ暗な波打ち際で、みんなで童心に帰って遊んだ後、約4.5kmも松林が続く、日本三大松原のひとつ、“虹の松原”というところを車で通り、面谷さんと渡辺さんと別れ、福岡に戻った。

 福岡に戻り、ほとんどの人と別れたが、ハンキンさんが車で送ってくれるというので残り、ついでに、都地さんやハンキンさんお薦めの、箱崎にある“ぼたん”という中華料理屋に連れて行ってもらい、締めの乾杯をした。考えてみたら、彼らと会うのもこれが最後なのだ。あ、永遠の別れじゃないけど。この“ぼたん”という店がまた料理がおいしくて、私は気に入ってしまった。名物は380円のもやしラーメンということだが、お腹がいっぱいで食べられなかったので、今度、福岡を訪れる機会があった時には、ぜひ行きたい。

■3月17日(金)

 夜7時半から、代々木アニメーション学院・福岡校の先生方が、中洲にある“宮嶋商店”という居酒屋で送別会を開いてくれた。この店は、おなじみ“ふとっぱら”の元・店長が独立して開いた店だそうで、同じようなメニューもあり、しかも座敷でくつろげるので、なかなかいい。福岡校の先生方は、とにかく飲み会が好きで、もちろん私も好きだから、よくみんなと飲みに行った。しかしそれも、福岡校の講師としては、この日が最後だ。

 いろいろ、3年間の話や、これからのことを話したりしながら、みんなでかなり飲んだ。そして、外に出て店の人に写真を撮ってもらった時には、なぜかみんなピースサインだったのには笑ってしまったが、もちろん、それでは終わらず、いつも通りカラオケに行った。そこでは、私のためにと、最初は懐かしい歌をみんなで歌ってくれ、次第にアニメソングになり、私も古いアニメソングを歌い(一番古かったのは『宇宙エース』)、そのモノクロの映像が出たりするもんだから、まるでアニメの歴史の勉強をしているみたいだとアニメーター科の柳瀬先生がいった。結局、家に帰ったのは夜中の3時過ぎだった。確かに、よく飲んだ。当然、次の日は半日ボーッとしていた。夕方からは、ボチボチ荷物の整理を始めたが。

■3月19日(日)

 私が福岡を去るということを聞いて、以前、何回か一緒に飲んだり、芝居を観に行ったことのある劇団ふわっとりんどばぁぐの松尾優夏さんと劇団の人たちが送別会を開いてくれるという連絡があり、温泉好きの私のために、劇団でよく打ち上げや飲み会に使っているという“まむし温泉”というところに連れて行ってくれることになった。妖しげな名前だが、昔、弘法大師が、諸国行脚の折、筑前の人々がまむしに咬まれ苦しんでいるのを見て、現在の温泉の北側にある湧水池に杖をついて薬水を湧出させた。この薬水を飲み、傷口を洗い、全身を清めた人は、次第に痛みも取れて全快した、というのが名前の由来で、福岡の西のはずれ、糸島郡の二丈町というところにある。

 温泉の近くまで行った時、滝を観に行こうということになり、そこから佐賀県に入り、七山村にある、日本の滝百選にも選ばれている“観音の滝”を観に行くことになった。そして、滝を観る前に、その近くの“鳴神の庄”という七山村の特産品販売施設にある食事処で昼飯を食べたのだが、そこの野菜や食材は、みな七山村で採れたもので、全部、生産者の名前が書いてあるのだ。野菜は低農薬で、本当の自然食を味わうことが出来、ここも、もっと早くから教えてもらっていたら何回も来たのにぃ、と悔しい思いをした。そこで売っていたネギ(太いのが5本ぐらいあって70円!)を買ってきて、翌日、辛ラーメンに入れて食べたが、抜群に美味かった!

 “観音の滝”も、さすが百選に選ばれているだけあって見応えがあり、久しぶりに雄大な自然というものを満喫した。周りで梅が咲いているのもきれいだった。

 お腹も気分もいい感じのまま、最後に“まむし温泉”で、身体ものんびり癒すことが出来た。松尾さんにはホント感謝している。ここの温泉はサラッとしていて、湯上り、肌がツルツルになった。やはり、傷にも効くのだろう。ここで飲んだ地ビールと、ざる豆腐とホヤと赤貝の塩辛も美味かったぁ! みんな、こんなところによく来ているなんて(松尾さんは170回も来ているといっていた)、うらやましい! ここも機会があったら、ぜひまた入りに来たい!

■3月20日(月)

 この日は、私が3年間住んでいた学院の寮の備品整理。といっても、私の部屋ではなく、退寮した学生と新学期から入ってくる学生のために、使わなくなった部屋にあった鉄製のベッドやら机やら洗濯機やら冷蔵庫やらを移動するのだ。とにかく、昼前から夜の7時ぐらいまで、久しぶりの肉体労働で、燃え尽きる。ついでに脂肪も燃えて、確実に何キロか痩せたと思う。夜、何日か後にやってくる筋肉痛が怖いので、わざわざよく効きそうな高めの入浴剤を買ってきて風呂に入る。しかし、前日、温泉に行っていて、疲れを溜めとかなくてよかったぁ。疲れは溜め込むとヤバイ。特に年を取ると。

■3月21日(火)

 祭日なので、昼間はずっと引越しの準備の荷物整理。3年前に来た時はそんなに多くなかったのに、その後、CDやらビデオやら本やら何やらの資料を、神奈川から少しずつ持って来ていたもんだから、ダンボール箱に入れても入れても荷物が減らない感じで、途中で嫌になってきた。そして夕方、もう今日が最後だろうと思って、やはり、“ふとっぱら”に行くことにした。すると、何と、そこに私がクラス担任をしていた1年生の空クラスの学生が6人いたのだ! その日は、あるイベントにみんなで出演していて、その帰りに来たのだという。担任としての縁の深さに驚きながら、2年次のこと、そして、卒業後のことなどを話していたら、これまた何と、そこに、『豚とオートバイ』でチェ・バンドンの妻をやってくれた劇団きららの宗さんはじめ、きらら主宰の池田さんや、照明のシーニックの荒巻さん、劇団轍の日下部さんらがやって来たのだ。その日、ぽんプラザで行われていた『福岡演劇の展望を語るパネルトーク』の打ち上げの後ということだった。宗さんとの再会は驚くと同時にホントにうれしく、ただならぬ縁の深さを感じていたら、その日、自分たちの公演があった、『豚とオートバイ』の検事役の矢ヶ部君までそこに現れ(その公演に出ていた代アニの学生に、ふとっぱらにいた空クラスの子がメールで連絡してくれたのだ!)、結局、『豚とオートバイ』の公演終了後、福岡を去るまでに、出演してくれた役者たち全員に会うことが出来たのだ! これはもう、驚きを通り過ごして、運命的なものさえ感じるのも、無理はないことだろう! 福岡演劇のひろばでの送別会やトンバイカツアーで会えた人たちはともかく、卓二さんや宗さんや矢ヶ部君には、もう会えないままだろうと思っていたのだから! 宗さんも矢ヶ部君に会えたことを喜んでいた。まぁ、時間もあまりなかったので、ゆっくり飲んだりは出来なかったが、会えたということだけで、すごくうれしかった!

 その後、ひとりで“めんちゃん”でラーメンを食べて帰った。

■3月22日(水)

 福岡校での業務の最後の日。一日かけて、学院にあったCDや資料を箱に詰め、机回りを片付けて引継ぎ作業をし、荷物を横浜校に送る手配をした。そして、夕方のミーティングで、3年間お世話になった御礼の挨拶をしたら、先生方から記念品をもらった。それは、博多の街が絵で描かれた大きな地図と、博多祇園山笠の扇子やTシャツ、博多織の巾着、そして、明太子ふりかけだった。去年の夏、初めて山笠を観に行き、博多の良さを再認識したことを思い出した。大きな絵の地図の裏側には、山笠の法被の絵が描かれている。これを見ながら、時々、あの山笠のことを思い出すだろう。乾坤には、横のままだが、動画も残っているし。明太子ふりかけも、味わいながらゆっくり食べよう。

 学院の帰り、少なくとも週に一回は必ず行っていた近所の“とんかつ大将”に行き、いつものとんかつ定食・小(480円)ではなく、時々食べる、えびA定食(大きなえびフライ2本にとんかつと冷奴がついていて880円)を食べ、ビールを一本飲んだ。そして、いつもやたら元気なおばちゃんに、「今日が最後なんだよ。神奈川に帰るんだ」というと、驚いて、「いつ帰るの?」というので、「だから、明日だって」というと、急にしんみりして、「寂しくなるねぇ……こっちに来る時があったら寄ってよ」といわれた。そして、会計の時には、1.360円のところを、「最後だから」と1.000円にしてくれた。いつも、ご飯のおかわりの時には「100円で〜す!」という、あのケチっぽい、いや、しっかりしている、おばちゃんが、である。といっても、わかる人にしかわからないだろうけど。

 そして、家に帰り、まだ片付いていない荷物を片付け始めたが、すぐに疲れが襲って来たので、翌朝、早く起きることにして、すぐに寝た。

■3月23日(木)

 福岡で最後の日。6時に起きた。11時に荷物を取りに来るので、早朝から残っている荷物をまとめ出したが、ダンボールが足りなくなり、近くのコンビニや薬局にもらいに行った。一人暮らしでさえこんなに大変なのだから、もう二度と引越しはしたくないと思った。結局、11時半過ぎに荷物を引き取ってもらい、その後、部屋の掃除をして、2時過ぎに空港に向かった。そして、3時15分の飛行機で福岡を離れた。

 というわけで、こんな感じで福岡での生活は終わり、26日の日曜日から、横浜の関内にある、代々木アニメーション学院・横浜校に通い出した(日曜日は体験入学の見学だけだったが)。そして、さっそくその日から、あの「毛沢東もびっくり!」の野毛の“三陽”に寄ってマスターと再会を祝したのだが……そこからは、来週! 福岡での〈ちんちろまい編〉は、今回で終わり! 来週からは……何だろう?

(2006.3.29)
(つづく)


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