2006年3月第1週

 ……終わった、いろいろと。いや、まだやらなければならないことはたくさんあるんだけど、とりあえず、学院の今年度の授業と、『豚とオートバイ』が終わったわけで、ちょっと腑抜け状態になっているのは確かだ。学院の今年度の授業が終わったということは、私の福岡校での3年間の授業も終わったというわけで……そう、この3月をもって福岡を去ることが正式に決まったのだ。正式に決まったというのは、つまり、現在仕事をしている学院の上の方の承認を受けたということで、いや、「はい、辞めます、さようなら」というのは簡単だけど、もう15年近くお世話になっている学院に、そんな無下な態度は取れるわけがなく、きちんと、福岡を離れるわけを了解してもらいたかったのだ。ただ、神奈川に戻ってどうなるかは、まだ何も決まっていない。実は、福岡で3年目を迎えた時から、つまり、昨年の4月辺りから、家のいろいろな事情で神奈川に戻ることを考え始め、声優科の責任者の長谷川先生にも相談していたのだが、とにかく、あと1年はしっかり務めるということで了承してもらい、こうして1年やってきたわけだ。だからというわけじゃないが、今年の1年生には最初からかなり厳しく、深く接してきて、それが逆に彼らの表現意欲を掻き立てることになり、交流も深まってきたというのは皮肉だけど、その分、彼らは2年生になっても心配することなくやっていけると思うので、安心して去ることが出来るというわけだ。まぁ、最後の週に、その話をしたら、びっくりしたり泣いたりしてる子もいたけれど、別に永遠の別れじゃなく、彼らも来年卒業して東京に来ることもあるのだから、その時にしっかり成長した姿を見せて欲しいと、2年次での頑張りを促して話を終えた。いろいろ話し出すと、こっちがホロリと来てしまいそうだったので、手短に切り上げた。1年生はその後も、『豚とオートバイ』を大勢で観に来てくれたり、寄せ書きや花束をくれたり、飲み会をしましょうと誘ってくれたり、まぁ、ホントにいい奴らだ。誕生日会で撮った写真は、はがき大に引き伸ばして全員にあげた。最後の授業は、『アエイウエオア王物語』という8分ぐらいの芝居の発表で、午前午後合わせて8チームが発表したのだけど、同じ台本でも、それぞれ解釈やキャラクターの作り方が違っていて、私はマジに感心した! しかも、みんな楽しそうにやっているし! 学校という教育の場で、一番引き出していかなくてはいけないことだと思う、自分で考え、自分で作り出すという“自立心”というやつを、大いに感じたのだ。私は、「どうすればいいんですか?」という学生には、「自分で考えてやってみろ」としかいわない。で、やらせて、やったことに対しては、いろいろいってやる。彼らは、もう自分でやれるのだ。もちろん、技術的にはまだ拙いところもあるが。もう1年、彼らと一緒にやっていったらすごいことになるなとも思ったが、それはいわないでおこう。もう充分、彼らはやっていける。後は、ひとりひとりの魅力や才能を伸ばしてやるだけだ。

 2年生も最後の授業で、ショートストーリーを伴った殺陣の発表をやった。こっちも、自分たちでよく考えて作っていた。だが、いまいち、楽しさが観客に伝わって来なかった。この違いは何だろうと感じたが、彼らのことは、また、来週月曜日の卒業式後にでも書こう。

 話が前後するが、先々週の名古屋、横浜、大宮、秋葉原行きのことを書いておこう。すべて、学院の各地校での特別講義だ。1・2年の合同授業が中心になっている。

 名古屋に行ったのは、実に7年ぶりだ。かつて、東海月光舎という、月光舎の名古屋支部のような組織があり、それが解散したのが98年で、その後、そのメンバーたちが自分たちでプロジェクトを作って公演をしたりしているのを観に行った時以来というわけだ。しかも今回は、福岡から中部国際空港セントレアまで飛行機で行くという、あまりない、というか、おそらく最初で最後の経験になるであろう行程だ。初めて訪れた中部国際空港は、同じ埋立地にあり、国際線と国内線が一緒になっているというのも同じ、関西空港に似ている感じだった。ただ、朝着いてすぐ名古屋駅に向かったので、空港内を見ている暇はなかった。名古屋駅周辺もガラッと変わっていてびっくりした。そういえば、頻繁に名古屋に来ていた頃は工事の最中だった。今、博多駅周辺も工事をしているが、何年後かに来た時には、ガラッと変わっているのだろう。

 名古屋校の授業を終えた月曜日の夜、東海月光舎にいた美月と円[まどか]が会いに来てくれた。ちなみに現在、美月は“美月ノン”、円は“まどか園太夫”という名前で活動している。東海月光舎の活動からすでに10年が経つわけで、二人ともいい年になり、円は、劇作家のスエヒロケイスケ氏と結婚して、いつのまにか人妻になっていた。スエヒロケイスケ氏は、寺っちゃんこと寺十吾のtsumazuki no ishiの作家であり、昨年の12月、かながわ戯曲賞の最優秀賞を取った。今年の8月に宮沢章夫演出でリーディング公演があるそうなので、行きたい。余談だが、そのかながわ戯曲賞の一次選考通過者6名の中には、福岡演劇のひろばのメンバーで、正月には博多新劇座に一緒に行き、『豚とオートバイ』でも受付を手伝ってくれた宮園瑠衣子もいた。不思議な縁だ。

 三人で名古屋駅近くの焼き鳥屋に行き、福岡の焼き鳥屋のようにキャベツが出て来ないのに不満をもらしながらも懐かしい話に花を咲かせた後、現在、美月の彼氏であり、KUDAN Projectの『くだんの件』や『真夜中の弥次さん喜多さん』で寺っちゃんと共演している、てんぷくプロの小熊ヒデジ氏と、やはり東海月光舎のメンバーだった長江ヒロミが来てくれて、5人で手羽をつまみにホッピーを飲んでいろいろ話した。かつて、螳螂でも月光舎でも東海月光舎でも公演をしたことのある大須の七ツ寺共同スタジオの話も出た。昔はさびれた門前町という感じだった大須が、今や古着の街と化し、休日は若者でいっぱいだと聞き、驚いた。下北みたいになっているのだろうか。小熊氏とは、『くだんの件』の釜山公演を観に行って会ったり、小倉にも『真夜中の弥次喜多』を観に行ったりしてるのだが、ちゃんと話しながら飲むのは、初めてだった。美月や円も知らない大昔の名古屋の演劇事情の話も出て楽しかった。名古屋には、20代前半の頃、北村想さんの芝居を観に、よく行っていたのだ。名古屋の話をし出すと長くなるのでやめよう。そういえば、名古屋ではみそかつも食べたけど、今回はあまり写真を撮らなかった。

 月・火と名古屋校で、水曜日は横浜校、木曜日は大宮校だった。先々週の話だが。横浜校では、昼飯を食べに行った沖縄料理屋(タコライス、といってもタコのご飯じゃない、を食べた)が気に入って、授業終了後も、横浜校の先生と泡盛を飲みに行ってしまった。もちろん、海ブドウやゴーヤチャンプル、麩チャンプル、ポーク玉子やミミガーも食べた。当然、最近行ってない沖縄にも行きたくなった。

 大宮も、駅がきれいになっていた。とにかく、都会はどこもかしこも、ちょっと行かないとどんどん変わっている。やはり、いつまでも変わらない田舎が好きかも。

 で、金曜日の秋葉原校も、秋葉原駅周辺が、当然、大きく変わっていて、東京生まれで東京育ちの私でさえ、カルチャーショックを受けるほどだった。学生時代(高校・大学)は、学校のあるお茶の水の隣りだから、よく遊びに行っていたのだが、まさに電脳都市といった感じのビル街の変わりように驚きながら、私はまるっきり田舎モンという感じでフラフラと歩いていた。すると、メイドの格好をした女の子たちがチラシを配っていて、これまた驚いた。これが噂のメイドか、写真撮らせてもらおうかなぁ、などと、これまた田舎モン丸出しになっていたが、何とか理性が押し留めた。しかし、メイド喫茶だけじゃなく、メイド美容院やメイド居酒屋まで出来ているのには、唖然とした。まさに、秋葉原、恐るべしだ。

 夜には、下北で30年間変わらない、我が故郷のような店、古里庵[こりあん]で、昨年、福岡校から東京校に転勤した川島先生、安川先生御夫妻と共に食事をした。10人も入ればいっぱいの狭い店内だが、料理は抜群に美味いし、安いのだ。マスター夫婦もいつまでも変わらない、わけはないのだが、そう見える。自分だけが、かなり老けた、いや、太った。

 土曜日には、高校受験が終わるまで我慢していた1月生まれの次男の誕生日のお祝いと、2月生まれの私と義母の誕生日会をまとめてやった。確か、前にもこんなことがあったと思う。それは私が福岡にいたからということではなく、まとめてやった方がいろいろ便利だからだ。11月には、長男と三男と義妹の旦那の誕生日会を一緒にやっている。まぁ、とにかく小松家は賑やかなことが好きなのだ。

 翌日曜日は朝から雨で、夜の便で福岡に帰ることになっていたが、私は、ぜひ行きたいところがあると、妻の車で、無理矢理、次男と三男も一緒に乗せ、あるところに行ってもらった。それは、以前、博多の元・美少女に連れて行ってもらったコストコだ。もちろん、以前行ったのは福岡の久山店で、今回行ったのは町田市の多摩境店。どういうところかは、前にも紹介したので省くが、思った通り、ここは小松家に合っているらしく、妻も子供たちも一発で気に入ってしまい、給料日前だというのに、いろいろ大量に買ってしまった。会員になるのに年会費が4.200円かかるし。しかし、ウチのような5人家族の、しかも成長期のデカイ子供たちのいる家庭にはぴったりで、神奈川に帰ったら、私も頻繁に通うことになるような気がする。他に、尼崎、幕張、横浜にあるので、近隣に住んでる、家族の多い方は、ぜひ行ってみるといい。

 というわけで、先々週の報告は、ようやくこれで終わり。日曜夜の羽田発の便は1時間以上の遅れで、おかげで混雑していたロビーに、学院や『豚とオートバイ』のみんなに買ったおみやげは置き忘れてしまうし、福岡に戻って来たのが遅くなったので、和田学院長たちとの飲み会には行けなくなるしで、散々だった。そういえば、すでに新聞でも報道されていたし、『笑点』でもいわれていたが、代アニの学院長が、来年から三遊亭楽太郎師匠になる。声優タレント科の授業に落語が入ってきたり、落語科が出来たりすると楽しいのだが。

 さて、韓国現代戯曲ドラマリーディングの『豚とオートバイ』は、4回公演で約340人の動員ということで、100人キャパの劇場での公演としては、成功したといえるだろう。もちろん、別に興行を目的としてやっていたわけじゃないので、大切なのは、動員数というより、観に来てくれた観客の反応だ。そういったことや、私自身の感想などについては、来週、まとめて発表しよう。とても残りのスペース(なんてものは、ホントはないけど)じゃ書ききれないと思うので。とりあえず、楽しみにしていたイ・マニさんとの再会はなかった、ということだけは伝えておく。制作日誌のブログとかにすでに書かれているし、御存知の方もいると思うが、詳しくいうと、多忙なイ・マニさん(福岡に来る前の週も外国に行っていた)のパスポートの写真が福岡に入国しようとしていた時にパスポートからはがれていたため、パスポート不備ということで、入国出来なかったということだ。何か特別な問題があったわけじゃない。しかし、韓国を出る時は大丈夫だったわけだし、その時、イ・マニさんはアメリカのビザを持っていたので、それで本人だと確認出来るだろうと主張したけどダメだったそうで、日本の入管の対応力のなさにはほとほと呆れる。もっとアブナイ人をたくさん入れてしまっているだろうに、韓国の素晴らしい劇作家をそんなことで入国拒否するとは、まったくもって、日本の役所の仕事ってのはいつまでたっても変わらないのだなと悲しくなる、ていうか、日本人として恥ずかしくなる。何が日韓交流だ。Yokoso! Japanだ。現場の対応を何とかしろ! どうせ、「規則ですから」しかいわないマニュアル人間や、自分で責任を取るのを逃げてる言い訳野郎しかいないのだろう。一人ぐらい、「俺が責任取るから入れていいぞ」っていう輩はいないのかね。ああ、嫌だ、嫌だ。イライラしてきたから、もうお終い! イ・マニさんは1時間だけ福岡に、いえ、福岡空港に、滞在した。もう、福岡で会えることはないのかなぁ。残念。

(2006.3.8)
(つづく)


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