2005年2月第4週

 先週は神奈川に戻っていたわけですが、連日いろんなことがあり過ぎて(ま、飲んでたのがほとんどですが)、細かく書いていくと大変なことになりそうなので、久しぶりに日記形式でお届けします。それでも長くなりそう……。

■2月20日(日)

 元・演劇舎螳螂の女優、冬雁子ことガンちゃんの四十九日法要。座間の家を出る時は曇り空だったが、寺のある井の頭線・久我山の駅に着いた頃には雲行きが怪しくなり、法要が始まると雨が降り出す。まだまだいろんなことをやりたかったであろうガンちゃんの悔し涙雨に、私も妻も「悲しいね……」とポツリとつぶやくばかり。今は演劇から足を洗ってフラダンスをやっている元・螳螂の高橋滋己と、前夜、韓国ドラマリーディングを終えた大鷹明良が来る。大鷹ももちろん螳螂初期からの仲間で30年近い付き合い。ガンちゃんの元・旦那でもある。雨の中の納骨を終え、大鷹といろいろ話す。私と大鷹とガンちゃんしかわからない話もあり、悲しさが増す。ガンちゃんの遺品でもある、自分が出演した舞台の資料をお姉さんから頂き、「いつか螳螂のホームページでまとめます」と約束する。所属していた事務所へのプロフィール用紙に“特技:天地真理の物真似”と書いてあり、みんなで「物真似というより顔が似てたってことじゃない」と笑い合う。「でも、『ダブル・テイク』で天地真理の役をやることになった時には、すごく喜んで、衣装や小道具もすごく凝ってたのよ」と妻。気合の入れ方が違ったそうな。いずれ、その写真も公開するね、ガンちゃん。帰る頃には雨脚も弱まり、久我山駅で滋己、大鷹と別れる。

 その後、喪服のまま、下高井戸の菩提寺へ行き、小松家の墓参り。そういえば、二日連続の下高井戸だ。宗派の違う寺へ、それも他の法事の後、続けて行っていいものかどうか迷ったが、お参りをしたいという気持ちが大事だろうと思い、行ってしまった。下高井戸では、帰りに駅近くの“木八”というお気に入りのラーメン屋に寄り、久しぶりにニンニクいっぱいのラーメンを食べる。味はホープ軒系だが、割とあっさりしていて人気もあるらしい。下北沢から小田急に乗り換え、町田でちょっとブラブラしてから、早めに帰宅して、次の日の授業の準備。

■2月21日(月)

 代アニ横浜校での特別講義。電車での通勤は2年ぶり。朝のラッシュを覚悟していたが、相武台前から海老名までは新宿方面と逆だし、横浜までの相鉄線も海老名始発だし、横浜から関内までも東京とは逆方向で、すべて座って行くことが出来て拍子抜け。いつもこれならいいんだけどね。関内駅前にある横浜校は、学生数に比べてレッスンスタジオも広く快適。伊勢佐木町はすぐ近くだし、ちょっと歩けば中華街も餃子の三陽の野毛もあるし、なかなか楽しい環境だ。神奈川は高校演劇も盛んなので、そういう流れで横浜校のクオリティも上がっていってくれれば、地元民としてはうれしいのだが。

 この日は、翌日からの連チャン飲み会のことを考え、横浜でちょっと買い物をして、まっすぐ帰宅。

■2月22日(火)

 代アニ大宮校での特別講義。6年ぶりの大宮行き。朝7時に家を出るも、当然、新宿までは通勤ラッシュ。これも2年ぶり。新宿から大宮行きの湘南新宿ラインは新宿で降りる人が多く、大宮まで座って行くことが出来る。大宮に着き、駅前が変わっている(さらに3月に変わるらしい)のに驚く。しかし、ちょっと歩くと古い商店街は残っているようだ。

 現在、大宮校の声優科を担当している先生は、8年前、仙台校の特別講義と卒業公演で私も教えたことがあり、月光舎に入った同期のメンバーの話など昔話に花が咲く。

 大宮校の授業を終え、知り合いのタレントプロダクション、スターダス・21の松永英晃氏に会いに、埼京線で池袋に出て有楽町線に乗り換え、小竹向原に行く。松永氏は自身が俳優・声優であると同時に、附属の養成所の所長でもあり、代アニ福岡校の卒業生もお世話になっている。元・螳螂で現在、劇団道学先生のかんのひとみも以前プロダクションに所属していたことがあり、かんのの旦那でもある道学先生の代表・青山勝氏は今も養成所の講師をしている。

 スターダス・21の事務所と、修了公演の稽古をしていた稽古場を見学させてもらい、その後、二人で新宿に出て西口の居酒屋で飲む。松永氏とは福岡でも2度ほど飲んだことがあり(例の中州の“ふとっぱら”にも行った)、東京での再会を祝して早く乾杯をしたいと思ったら、いきなりバイトの兄ちゃんが持ってきた焼酎のグラスをドドドッと倒してしまい、テーブルの上も足元も水、いや、焼酎浸しになる。なんか、かなり疲れてる様子の兄ちゃんだったが、私は代アニの卒業生が東京に出て来てバイトをしている姿とオーバーラップし、責める気持ちになれなかった。ただし、その後、その兄ちゃんに注文するのはやめ、料理を持ってきた時には用心するようにはした。松永氏は同じ小田急線の経堂に帰るということで、最終電車近くまで飲む。家に帰り、風呂に入ったら当然バタンキュー。

■2月23日(水)

 この日から三日間、代アニ東京校での特別講義。場所は新宿南口のスペースゼロの隣りにある代アニの声優・フィギュア館。行くのは初めてだ。ちょっと早めに家を出て準急に乗ったら、町田の駅で一瞬空き、何と座れた! あまりに有名な小田急線の朝の通勤ラッシュで座れるなんて! 当然、新宿までグッスリ寝る。

 今回の東京出張の特別講義は横浜も大宮もすべて2年生で、出席を取りながら、そろそろ決まっている進路先を訊く。「東京校」とはいっても、クラスの8割が地方出身者で、やはり声優志望の学生が極端に多く、その系統のプロダクションの養成所に進む学生が多い。まぁ、声優になるにしても芝居がきちんと出来ないと、と思うのだが。ちなみに福岡校は演劇志望の学生が割合多く(そうさせてしまったのかもしれないが)、地元のギンギラ太陽’sやテアトルハカタ、あと北九州の劇団にも、今年初めて何人か進むことが決まった。経済的な理由で東京には出られないがやる気のある子が、地元でも活動出来るというのは、うれしいことだ。近くで見守り、叱咤激励することも出来るので、頑張ってほしい。親心だね。

 東京校の授業を終え、久しぶりに新宿西口のヨドバシカメラ本店を見てから(博多のヨドバシと変わらんたい)、渋谷へ出て東横線で横浜へ。今回の東京出張が決まり、ガンちゃんの四十九日法要に参加出来るということともうひとつ、うれしいことが出来たのは2月8日。今年の岸田戯曲賞が発表された日だ。誰もが知ってるクドカンこと宮藤官九郎氏と同時受賞の岡田利規氏。知る人ぞ知るというより、「え、誰、この人?」と思った人が多かったと思うが、今も続いている“横浜西口演劇サロン”通称“劇サロ”立ち上げの中心になったのは、誰あろう、私と日本演出者協会の理事でもあるネオゼネレイター・プロジェクトの大西一郎君と岡田利規君なのだ。その時点では彼の演劇ユニット、チェルフィッチュのことは知らなかったが、その後、すぐに(2001年1月)STスポットで『二人の高利貸しの21世紀』を見て彼の演劇的センスが気に入り(この『二人の高利貸しの21世紀』を福岡でやりたいと思ってる。もちろん、私の演出で。誰かプロデュースしてくれる人いないかなぁ。ちなみに二人芝居)、続いて『彼等の希望に瞠れ』、彼が大西君と共に発起人となった横浜演劇計画での小公演を続けて見て、翌年のアリスフェスティバル’02に横浜の劇団としてチェルフィッチュをタイニイアリスに推薦したのだ。そこで上演された『三日三晩、そして百年。』について、上演後、私は劇評、というよりラブレターのようなものを書いた。それはアリスフェスティバルのサイトにも載ったが、今は見ることが出来ないようだ。その後、チェルフィッチュはしばらく公演がなくなり、2003年の4月から私は福岡在住になり、チェルフィッチュの公演を観る機会に恵まれなくなったが、演劇ファンなら御存知のように、昨年、チェルフィッチュは『三月の5日間』のガーディアンガーディアンフェスティバルや神戸での公演で話題になり、ついには、その作品で第49回岸田戯曲賞を取ってしまったわけだ。

 8日の発表後、岡田君にはすぐお祝いのメールをし、横浜に行く機会があったら飲もうという約束をして、この日に会うことになったのだ。それにしても久しぶりのSTスポット。何年ぶりだろう。月光舎で再演もした2本の作品『眠れぬ夜のアリス』と『ピカイア』や、ARROWでも再演をした『月と青空』などの初演はすべてSTスポットだし、螳螂時代から数えて再々演の『ある晴れた朝、突然に…』もここ。月光舎の上演後、ノーベル文学賞を受賞した高行健氏の『バス停』(上演タイトル『彼らはバスを待っている』)をやったのもここと、STスポットは私の演劇活動にとってエポックメイキングな作品を上演している空間なのだ。

 劇場では3月公演『ポスト*労苦の終わり』の稽古をしていた。本番は観に行くことが出来ないので、しばらく稽古を見せてもらった。相変わらず、形容しがたいおもしろさだ。演出の岡田君が見ていて、途中で役者が演技を続けている中に入っていって演出をしても、どこまでが演出をしているのか、芝居が進んでいるのかわからない。動きや言葉が現在のどこにでもいる若者たちの言葉使いそのままであると思うと(決して、わざと今風にいおうとしているのではなく、ただボソボソと話しているだけなのだ)、それがリピートされて劇的昂揚感を生み出したりと、いわゆるただの静かな演劇ではないのだ。役者の、ごく日常的に誰でもあり得そうな変な動きも、ダンスと見てとれなくもない。とにかく、このおもしろさはなんといったらいいのだろう。ひどく現実っぽい夢の世界とでもいおうか、まぁ、岡田利規の世界であることに間違いはないのだが。

 稽古終了後、月光舎もSTで公演をした時には、ほとんど毎日飲みに行く(打ち上げも)“天狗”横浜北幸店に、チェルフィッチュの常連役者の山崎ルキノと山縣太一も誘って飲みに行く。昨年、結婚したというルキノとも、もう10年近い付き合いだ。太一も月光舎を観てくれたり、私も彼の芝居を観てはいるのだが、一緒に飲むのは初めて。まずは、改めて岸田戯曲賞受賞祝いの乾杯をし、いろいろ話をする。岡田君は何度も「運がよかった」といっていたが、運を呼べるというのも才能があってのこと。発表の日は連絡を取れるようにしておいてほしいといわれた(芥川賞や直木賞と同じ)ことや、受賞の連絡があった日はさすがに稽古を切り上げて役者たちとシャンパンで乾杯したということ、今回は今までになく選考時間が早かったと聞いたということ、他にもここでは発表出来ないような裏話もいろいろ聞いたり話したりしたが、4月11日の授賞式にはぜひ駆けつけて岡田君を応援したい。何しろ同時受賞の相手がクドカンなのだから。向こうはゲストもすごいだろうし。岸田戯曲賞の授賞式に呼ばれて行くのは坂手洋二が取った時以来だから14年ぶりになる。もし行くことが出来たら報告しよう。

 ……というわけで、やはりかなり長くなってきたので、木曜日以降はまた来週! 結局、木曜日も金曜日もいろんな人たちに会って飲んでたんですけどね。ま、たまの東京だったからしょうがないです。ただ、月光舎の関係者や代アニの卒業生たちに会えなかったのは、ちょっと残念でした。

(2005.3.2)
(つづく)


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