いよいよ今年の乾坤も、これが最後になってしまいましたね。早いもんです。
先週は、結局、『聖ミカエラ学園漂流記』の直前で、いつもの公演にも増してやることが多く(ま、ほとんど初舞台という学生たちばかりですから、彼らが出来ない分をすべて引き受けなくちゃいけないので、当然といえば当然なんですが)、初日が開けたとはいえ、3クラスの公演ですから、二日目も違うクラスがやるので、朝から場当たりやったりなんだりで、他のことには何も手がつけられないまま、乾坤の更新日も何日も過ぎてしまったので、お休みさせていただきました。すみませんでした。
その『聖ミカエラ〜』ですが、ここでも何回か書いてますが、学生たちの芝居とはいえ、手を抜くようなことはしたくないので、予算的に無理なことと、市民センターゆえにやれなかったこと(まぁ、終った今だから書きますが、人を吊るしちゃダメ、火吹きはダメ、舞台上で御飯粒をこぼすな、飲み物はダメ、その他にもいろいろネチネチといわれました。ホント、もう『笑の大学』のような世界です。最終的には、スタッフの人たちはいろいろよくやってくれたんですけどね)以外は、きっちりやりました(衣装はほとんど学生たちの手作りです。花嫁衣裳も特攻服も、もちろん、セーラー服やシスターの服も)。おかげで、2時間を越える大作になってしまいました。演技的には拙い部分もありますが、何しろ『ミカエラ』ですからね。若者たちのパワーが命の舞台ですからね(もちろん、それだけじゃありませんが)。その辺りは、20年経った今でも、私も年甲斐もなく、稽古の最初の頃から若者たちに立ち向かっていったので、彼らもしっかり応えてくれた舞台になっていたと思います。いやぁ、久しぶりに公演らしい公演をした感じです。月光舎の『啼く月に思ふ』凱旋公演以来ですから、2年ぶりですね。年を取ると、公演が終わる度に白髪が増えていたんですが、最近は公演もなく、あまり変わり映えしていなかった頭に、気がつくと、どっと白髪が増えていました。
しかし、ほんと、2年間付き合ってきた学生たちだからこそ出来た舞台だと、つくづく思いました。1年じゃ無理ですね。ましてや、昔のように、一ヶ月前から舞台制作のためだけに授業に入るとかだと、絶対出来ない舞台でした。まぁ、なんでも、強制的に、あるいは、おだててやらせることは出来ても、しっかりお互いの意思の疎通が取れていないと(演出家と役者の関係であり、役者同士や各スタッフと役者の関係も)、表面的な形だけのものになってしまいますから。特に、こういうパワーが要求される芝居はね。それをやろうとしてしまったことを、ちょっとやばかったかな、と思った一瞬もありましたが、ひるむことなく(いや、むしろ楽しんで)、突き進んでいって、正解だったと思います。打ち上げも、実にいい打ち上げでした! 総勢60人近い、3クラス合同という、考えられないようなコミュニケーションのある(公演自体、他クラスの助っ人の出演者を頼まないと成立しなかったり、本番中の裏方を他のクラスの人が手伝ったりしましたから)素晴らしい打ち上げの会は、鍋を囲み、席を移動しながら楽しく飲んだ後、最後にはみんな泣いていましたからね。特に男の子たちは号泣してる子が何人もいました。先生方も学生たちと抱き合って泣きました。いやぁ、こんな打ち上げも久しぶりでした。ま、卒業式の時には笑顔で送り出してやろうと思ってるので、泣くのはこれで最後にしようと思いながら私も泣いていましたが。
そんな公演でしたが、先々週からの準備は、前に「楽しい」なんて書いたりしましたが、もうそんな思いをはるかに越えるハードな日々が続き、連日、夜中というか、朝も近い3時4時まで、学院でタタキをやったり、音楽の編集をしたりしてました。こんなのも何年ぶりですかね。そして、授業、というより稽古を、朝の10時から夕方5時までびっちりやって。何しろ、3クラスですからね、ひとつのシーンが出来ても、それを3チーム分観て作っていかなくちゃいけないし……う〜ん、我ながら、ホントによくやったなぁという日々でしたね。まぁ、半分何かにとり憑かれているような感じだったと思います。
とにかく、無事20年ぶりの『聖ミカエラ学園漂流記』の本番も終わり、24日のクリスマスイブの打ち上げ(なんか寂しい者同士が集まってたような……なんてことは、ないですけど、ハハハ)の翌日には、西鉄ホールに『すぎのとを』を観に行ってきました。いきなり、演出の江口カン氏のすごいものを見せつけられ、その回のゲストの大塚ムネト氏のハイテンションの芝居に引きつけられ、年甲斐もない(いえ、悪い意味じゃなくて、知っているだけに感動してしまったという意味です)女優陣の歌とダンスに圧倒させられ、最後にはホロリとさせられる、いい舞台でした! 西鉄ホールは西鉄ホールでいいんですけど、女たちの会話が、西鉄ホールのように大きな空間ではなく、同じ視線の高さで客席に密に伝わるような小劇場で観たら、また違った良さが出るだろうな、と思ったりもしましたけどね。
観終わった後は、楽屋に行き、初日乾杯に加わらせてもらいました。みんなもいい舞台を終えて幸せそうでしたが、私も、今年最後の観劇を、大好きな西鉄ホールで観ることが出来て幸せでした。
で、この時、95年の月光舎『ピカイア』大阪公演以来だと思うので、なんと約10年ぶりに、小堀純氏に会ったんです! 小堀氏は、プロデューサーの中村さんに呼ばれて大阪から来ていたらしいのですが、私も彼も事前に中村さんに何も聞いていなかったので、西鉄ホールの客席で会った時には、お互いに「なんでここにいるの!」と、びっくりしてしました。いやぁ、小堀さんは老けたし、私は「丸くなった(太った)」といわれました。
小堀さんは、今や大阪の演劇界には欠かすことの出来ない存在で、『劇の宇宙』という季刊誌を出したりしてるんですが(本業は編集者で、今年亡くなった中島らもさんの本も何冊も編集しました)、私が小堀さんと知り合ったのは、もう今から30年近く前、彼が名古屋で『プレイガイドジャーナル名古屋』(通称:プガジャナ)の編集長をしていた頃のことです。その後、彼は大阪のプガジャに行き、最後の編集長を務め、今に至るわけですが、プガジャのこととかいろいろ話し出すと長くなるんで(私はかつて漫画の編集者もしていたので、そういった付き合いもいろいろあるんですよ)、詳しくはまたの機会にしますが(最近、名古屋や大阪に行ってないんで、行く機会があった時にまとめて話し、いえ、書きますね)、とにかく小堀氏に会えて、懐かしかったです。名古屋の話もし、私がよく名古屋に行ってた頃にお世話になった人たちが、いろいろ亡くなったという話も聞きました。確かに、その頃からすでに20年ですからね。でも、やはり寂しいですね。
小堀氏とは、初日乾杯の後、西鉄ホールの中村さんと技術スタッフの松島さんと4人で、『一刻堂』という刺身のおいしい店に行き、久しぶりに一緒に飲みました。いろいろ突っ込んだ話(らもさんの話とか、大阪の今の演劇状況の話とか)もしましたが、ミカエラの疲れがどっと出てきたのか(年を取ると、溜まった疲れは後からジワジワ出てきますからね)、酔いも早く、頭もボーッとして、あまり覚えていません。小堀さんも、結構酔ってたしね。でも、おいしい刺身を食べ、日本酒をグイグイやりながら、久しぶりに小堀節を聞くことが出来て、楽しかったなぁ! 大阪も今、新しい波が起こりつつあるので、「近いうちに必ず行くね!」と約束をして、別れました。
26日には、ミカエラ終了後、ようやく家の掃除や片付けをしつつ、有馬記念をIPATで買いましたが、ダメでしたねぇ。ロブロイとタップダンスは、それこそ1着2着の3連単でも買ったんですけど、相性の悪い四位のシルクフェイマスはまったく切っていたので、全滅でした。馬単とか買えば取れてたんですけど、最近はもっぱら3連複と3連単ですからね。今年の競馬の収支は……ま、収支の計算をすればマイナスでしょうけど、万馬券を良く取ったなぁ、という楽しい年でしたね。来年こそ、10万馬券を取れるように頑張ります! 1月の末からは小倉競馬も始まるしね!
で、27日の仕事納めの日には、学院でミカエラの道具や衣装の片付け、机の周りの整理、来年の授業の打ち合わせや準備をして、夜には去年と同じ、天神4丁目にある『グリル・ド・しんちゃん』というところで忘年会をしました。学院の経理担当の安川先生が、急遽、東京校への出張で参加出来ず、それ以外の先生方全員で、飲みかつ話をして盛り上がりました。ミカエラを観てくれた先生方からも、「よかった!」「わたしの好み!」「ここまでやれるとは!」などといろいろお褒めの言葉を頂き、うれしかったです。そして、来年に向けて一本締めで終了しました。今年最後の忘年会は9時過ぎに終り、例年だと二次会のカラオケに行くんですが、この日は、妻と子供二人(次男と三男)が神奈川から来るので、私はみんなと別れ、家族を待つ場所に向かいました。それは、福岡都市高速の天神北出口の辺りです。そうなんです、妻と子供たちは、神奈川から車で福岡に来るんです! そして、私を乗せて30日に神奈川に戻る、と。
この日の朝、7時に神奈川の家を出発した妻たちは、東名厚木インターから入り、東名、名神、中国道、山陽道、九州道と通り、結局、途中休憩しながら、15時間かけて、夜の10時に無事、福岡に到着しました! これまた、なんか感動的でした! 思わず、妻や子供たちを抱きしめてしまいましたもん! あ、酒臭いといわれましたが、そうですよね、前にさんざん飲んでたんですから。次男は一睡もせず、何回か電話連絡を取りながら、ナビを務めてくれたそうです。次男にとっては初めての福岡なので、よほどうれしかったようです。で、その夜は、お腹が空いてるというみんなを連れて、これまた次男以外みんなが行っている『住吉亭』に行き、絶品のラーメンと山盛りのごはんを食べて(さすがに私は食べられませんでしたが)、家に戻りました。翌日は、野球をやっている次男のために、福岡ドームのバックステージツアーに行く予定です。
というわけで、まだまだいろいろある年末でして、年末恒例(といっても、今年で3年目ですが)の〈小松杏里の乾坤一的十大ニュース〉は、ゆっくり考えている時間がなかったので、年明けにしますね。それでは、みなさん、酔い、いえ、良いお年を!
(2004.12.28)